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板倉聖宣の発想から「科学者は人格者にはなれない」

 東京から研究所に「2年ぶりに沖縄に行くので、可能ならきゆなさんとお話したい」と連絡が入り、その人の宿泊先の那覇市で会うことになりました。

 仮説実験授業や板倉聖宣のことに詳しい方で、板倉聖宣亡き後の研究会の様子なども気になっていましたから、よいチャンスです。

 今年の夏の大会も、授業や講座のスケジュールが立て込んでいて参加できなかったのですけど、板倉聖宣が他界して初の研究大会の内部の様子もたくさん聞かせていただくことができました。

 その様子はもしかするとメルマガでお知らせできるかもしれません。

 ところでその会話の中で〈板倉聖宣が、いかにきっぱりとモノを言う人物であったか〉についてお互いの話がはずみました。

 今回は2003年に〈新しい科学分野の確立〉をテーマに語った内容から少しだけおとどけしましょう。
 板倉聖宣が「自分は円満な人間として生きることを決意した」という内容です。

板倉聖宣、仮説実験授業研究会代表in沖縄

 

板倉聖宣

 私は若い時にかなり気になったことがあります。

 〈科学〉というのは怪しげな知識と,本当の知識とを

「これは本当だ,これはウソだ,これはよく分からない」

と言うようにはっきりと分けてきました。

 

 怪しげなものの多くは〈ウソ〉です。

 よく分からないものの場合には〈本当かウソか〉に分けていって,だんだんとハッキリさせていくのです。

 そうすると敵を作るようになります。

 

 だから科学者は原則として円満な人間になれないということが気になったのです。

 

 円満な人間になれないから科学者になるということもあるのです。

 

 すでに確立した物理学のようなものだと,物理学の知識のほとんどが昔から科学として確立したものですから怪しげな話は少ないのです。

 今までの学者の説を受け入れて自分で咀嚼して話をするのだったら,物理学者の全部が認めているものを言えばいいのですから,これは無難です。
 しかし,例えば「相対性理論というのは間違いだ」とか「量子力学は間違いだ」という人が物理学者の中にも何%かはいるのです。

 相対性理論全体ではなくて「相対論のどこそこの部分は間違いだ」という人もいます。

 

 それならまだしも,例えばオーム真理教が「空中浮遊が出来る」と言っていることに対して「それは間違いだ」と言ったりすると,オーム真理教は抗議して「そんなことない」と反論するでしょう。

 そこで争いが起こります。

 

 そうすると,今の物理学者は科学が出来た時の状況を身に付けていないものだから「敵を作るようなことは言わない」ということにしています。

 ですから,超能力事件とか,怪しげな事件があっても今の科学者はほとんど発言しません。

 新しいことを言わない科学者だったら敵を作らなくて済むのです。

 

 しかし,前のほうに進もうとしたら,この怪しげなところに挑戦しなくてはいけない。

 今の物理学者の場合は怪しげなところに挑戦しないことによって円満な人格が保てるのですが,本当に新しいことを言おうとしたら円満な人格を守れなくなるのです。

 

 それで私は「勉強が出来ることよりも人間性が豊かな方がいい」と学校時代にはずうっと考えていました。「人間性が悪くするなら,その学問を勉強するのは止めよう」というぐらい強いものでした。

 ですから私は中学生ぐらいの時からハッキリと「知識は人を悪くする」と思っていたのです。

 だいたい知識があると知識を知らない人間をバカにする能力が増すのだから「出来ることなら勉強したくない」とかなり本気で考えていました。

 

 ところが,科学の領域に踏み込んでくると,今度は真理と非真理と分けて,それで争うことになるのですが,そういう時に非妥協的に争わなかったら科学の純粋さを守れないのです。

 だから「偏屈な人だ」とある人たちから思われる可能性が高いのです。

 私は仮説実験授業を始める頃にはそういうことが気になっていて,それで「俺は人格者にならない」ということを決意いたしました。

 

 「お前は人格者ではない。円満ではない」と言われることがあっても,甘んじてそういう非難を受けよう。その代わり「科学として厳密にやるぞ」とハッキリと決意した時期があります。

 

 だから,誰かから「お前は円満でない」とか「温厚でない」と言われても「ああ,俺はそうなのだ。そういうことは承知しているのだ」と言えるのです。

 

 それは個人的にAさんBさんという人との対立だけではなくて,科学という性格のものは基本的に反体制にならざるを得ないのです。

 たとえば「文部省が言っていることは正しいに決まっている」という前提では科学者になり得ないのです。だから,文部省の方針だって何だって,間違えていると思えば「それは間違っている」とハッキリ言うことが科学者として大事なことなのです。


 ところで、〈たのしい教育研究所(RIDE)〉の理念の一つは「和を以って貴しと為す」です。
 相手と争って進んでいく道を選択しません。

 だからといって、幽霊や天国・地獄を信じている人たちに「それもそうですよね」という話をすることはありません。「科学的真理は〈原子論〉です。霊も存在しませんし、天国や地獄もありません」と話します。
 だから喧嘩しましょうという道に進まないということです。

 いずれ時が経ち、ゆっくりと原子論が浸透していくことは統計的にも間違いありません。ケンカで真理を決めるのではなく、ゆっくりと大衆の知識理解の高まりによって真理にたどりつくのです。

 納得いかないという人には実験によって確かめるという方法もあります。
たとえば〈コックリさん〉という霊的な占いで、わたしの右ポケットに入っているものを当ててもらえばよいのです。
 将来交通事故にあうといった様な〈未来のこと〉が分かるという霊的なものなら、目の前にいる私の右ポケットに入っているものくらい簡単に当てられるはずですから。

 たとえば今この書いている時の私の右のポケットには〈サメの歯〉が入っています。ア~ルの首輪につりさげられないかと思っているからです。
 午前中なら〈イースト菌〉が入っていました。

 こういうことを当てられた話は聞いたことがありません。

 わたしの嫌いなギャンブルの世界でも、〈確率論〉の研究はしても〈幽霊を呼び出す方法〉の研究はしません。それで当たるのは偶然以上の結果を上回ることがないからです。

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