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板倉聖宣〈ひねくれて考える〉という発想法

今回は〈たのしい教育メールマガジン〉の最新号から少しおとどけしましょう。
私がなかなか真似できずにいるものの1つです。

以前「仮説の会」で伊良波さんが準備してくれたプリントからです。もしかすると研究会ニュースにのった一部かもしれません。

「板倉さんはいつもひねくれて考えるんだから」と思っている人がいるんだけど、たしかに〈ひねくれて考える〉というのが、ボクの哲学的な生き方かもしれません。
普通の人ならAと考えるのに、ボクはBと考えるということです。

登校拒否について「すばらしいことだ」とボクはいうんです、相当ひねくれているんです。
ボクはそういう考え方に慣れてる。

みんなが「これはまずいことだ」と考えたとき、「もしかするといいことかもしれないぞ」と考える。
ひねくれて考えることが大事だという考え方を持っているものだから、ごく自然にそういう考え方が出てくるんです。

例えば〈入学試験におっこちた〉としたら、みんな困ったと思う。でも〈おっこちたらしめた〉かもしれないんだよ。

入学試験に合格したといったって「ギリギリ」で受かったら、入学してからビリでふうふういってるかもしれないでしょ。
それなら、おっこちた方がよいかもしれないんです。
落ちたそのときは悲しいかもしれないけれど、その後の学校生活全体と比較したら、いいことかもしれない。
だから「ころんでもしめた」なんていうことがあるんです。
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