下から上に落ちる!/宇宙には下も上もない

 

 2024年の〈たのしい教育メールマガジン〉スタート号に載せた「下から上に落ちる戻る」が高評です。

 私が作成して理科室などに展示していたものですけど、男の子が地球に向かって落ちているモデルで、15分くらいで作成できるシンプルなものづくりです。

 地球の反対側ではこういうような向きに落ちていることを頭ではイメージできていても、実際に目で見ると「へぇ~、そうなんだね~」と関心して見てくれる子どもたちがたくさん出てきます。
 子どもたちだけでなく「不思議ですよねぇ~、これが万有引力ですか?」というように話しかけてくれる先生たちもたくさんいました。

 話で納得してもらえるものもよいのですけど、モデルで納得してもらうのも効果があります。

 何より、子どもたちが「たのしく理解することができる」ことが最も大切です。

 〈たのしい教育メールマガジン〉にはいろいろな章の一つとして、こういうたのしい教材が毎回載ります。興味のある方はご購読ください。このサイトの左側に案内が出ています。
講読料は全て、子どもたち、先生、保護者の方達の笑顔と元気に繋がるたのしい教育の普及に利用させていただきます。またひとり親世帯など、支援必要な家庭へも大切に利用させていただいています。

たのしい国語⇨たのしい理科⇨たのしい国語① 教師・親は全部の質問に答えられなくてよいけれどその質問を無視するのはよくないという話

 嘉門達夫さんの唄を聞くと爆笑していまう上に、この人は言葉のセンスは天才的だと感じてしまいます。

 この間YouTubeで流れていた

悪いことをする時に〈悪い事に手を染める〉というやろ~、けど、その人がもう二度と悪い事をしません、という時に〈足を洗う〉というじゃろ~、手を染めたんなら手を洗え!

というフレーズに大爆笑してしまった。

全く同感!

 ただし〈悪いことに足を突っ込む〉という言葉があるわけだから、足を洗うのはおかしくない。天才嘉門達夫はあえて無視したわけだ。こういう技はA.I.には不可能だろう。

 ということで今回は〈国語〉をテーマに少し書いてみたいと思います。

 授業中、本気で知りたいことを質問した時、ほぼ答えてもらえなかったことをたくさん覚えています。

 小学校の頃は「聞こえてないのかな」と何度か手を挙げて質問するのだけど、中学になって、やさしい理科の先生のちょうど天体の授業中、タイミングをみて

「先生、天体望遠鏡を買ったので、星を拡大して見ていたら、真ん中に黒い物体が見えたんだけど、高倍率の天体望遠鏡なら星の〈核〉まで見えるんですか?」

と質問したことがあります。子どもの頃から天体が好きで、かなり高倍率で口径の大きい反射式の望遠鏡をもっていて、調整するとどの星も真ん中に黒いボヤ~とした部分が見えるのが不思議で、この先生なら答えてくれそうだと思ったのでしょう。

 先生は「え?」といったまま、「じゃあ、みんな~」と別な話をしてしまう。
タイミングをみてもう一度質問すると、目をきょろきょろ動かして、また別な話をしてしまった。

 はじめは何が起こっているのかわからなかったのだけど、先生も知らなくて答えられないので、誤魔化したのだとわかった。

 知らないことは知らないと言っていいのにね。

〈先生は何でもしっかり答えられるようでなくてはいけない〉と考える超優等生の先生だったのでしょう。

 その後、先生に頼らず自力で学んでいったので、それは結果的にマイナスにはなりませんでした。

 今の私なら「いいえ、核まで見ることができる天体望遠鏡はありませんよ。もしも水のような透明の液体でできている星があれば可能性が出てくるけれど、〈核〉があるとするとそこは超高温で高密度だから、周りで液体が存在することは考えられません。つまり今の技術で天体の核を外から観測するのは無理ですね。きっとキミのピントの合わせ方がうまくいってないのだと思う。
 太陽系の惑星ならピントを合わせやすいのだけど、遠くの天体はピントを合わせるが難しいから、今度先生と練習してみよう」

と言ってあげると思います。
こんなに天体に興味をもっている子の好奇心をそのままにしておくのはもったいなさすぎるから。

 ということで前置きが長くなってしまいました。

 私が先生に質問して答えてもらえなかった一つが

「先生、どうして国によって言葉が違うんですか?」

という質問です。

 小学校でも中学校でも似た質問をして、どっちも軽くいなされてしまいました。

 私にとって、とても不思議で知りたいことでした。

 本論はここからです。

 皆さんは、子どもからそう質問されたら何と答えますか?

つづきは数回後に書かせていただきます。

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「楽しさだけを強調してはいけない」という意見にどう答えますか?/メルマガで反響の大きかった記事から

みなさんはこの疑問に何と答えるでしょう?
「〈たのしい、たのしい〉というけれど、エジソンだって1%の霊感と99%の汗を流して研究したといいます。いろいろ話を聞くと〈創造性〉というものがあった人でも非常に汗をかき苦しんでいるのですから〈たのしさだけ〉を主張してはいけないのではないか」
 たのしさだけでなく、耐え忍んで、がんばって勉強することも大切である、というわけです。

 「楽しさだけを強調してはいけない」という意見にどう答えますか?

 このことを正面から否定できる人はほとんどいない気がいます。
 どうでしょう、みなさんならどう答えるでしょう、少し考えてみませんか。

あなたの考え⬇︎

 板倉聖宣(仮説実験授業研究会初代代表・日本科学史学会 元会長)が「板倉式発想法講座1994.05.06」でこういう話をしてくれています。
 要旨の部分を書き抜きましょう。

板倉

 4月22日(1994)に国立教育研究所で「授業はたのしいだけでいいか」というテーマで所内講演会がありました。

 私が想像した以上に、たのしい授業に対する批判は出ませんでしたが、普通ではあまり聞かない質問や意見が2~3ありました。
 その一つが「〈たのしい、たのしい〉というけれど、エジソンだって1%の霊感と99%の汗を流して研究したではないか。いろいろ話を聞くと〈創造牲〉というものがあった人でも非常に汗をかき苦しんでいるのだから、たのしさだけを主張してはいけないのではないか」という意見でした。
 これまで学校の先生に「たのしい授業」の話をすると、不思議なことにこういった議論は全然出なかったんですね。
 こういった意見は「やっぱり耐え忍ぶ能力が必要なんだ」ということなんでしょう。

 でもこの意見には簡単に答えられるんです。
 エジソンは〈楽しいから汗をかいた〉んです。
 イヤだからやったんじゃないです、自分の霊感が閃いて成功するに決まってると思ったから汗をかいたんです。
 成功しないだろうと思いながら耐え忍んでがんばったんじゃないんです。

 私が仮説実験授業を始めるときに掲げた大きなスローガンは〈先生方ををできるだけ楽にさせて成果をあげる〉ということでした。
〈先生方の労働時間を滅らして、できるだ楽に授業ができるようにしてあげよう〉と考えたのです。

 ところが仮説実験授業を始めたとたんに勤勉になってしまいました。
 それでわたしは「勤勉になったら勤勉であってもいいんですよ。何も勤勉にならないのが大事なのではなく、勤勉になりたくなってしまったら勤勉になればいいんです。勤勉さを恥じらう必要はありません」という文章を書いたことがありました。

 普通は勤勉にやったって成果があがらないということがわかってるから、いや成果があがったという感じがしないからやらないんです。
 ところが勤勉な人はみんな成果が見えてしまう、成果が見えちゃうと勤勉にならざるを得ない。

 勤勉になるためには〈たのしさ〉がなかったらむりなんです。
 たのしくなって勤勉になる、そして成果が見える。
 イヤな気持ちでがんばったってできません。
 いや、そもそもがんばれないんです。
 勤勉というものは努力するものではなくて、結果が見えるから努力をしたくなってしまうものなのです。

 その点、日本の教育は明治以来ずっとまちがっていました。

「たのしいからやるのだ。結果が見えるからするのだ」ということがわからないで「努力しなさい、努力することが最も大切なんだ」と言い続けてきたんです。

今日の記事はどうだったでしょう、ご意見ご感想をお待ちしています。

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授業の腕を高めるには=評価感想は授業の実験結果-楽しい評価論②/上達論

 さてここから教育をめぐる動きから、個人としての上達論の話に移ります、前項未読の方は一つもどってお読みください。

「授業をうけるのが当たり前だ」という発想は「このパンは買うのがあたりまえ」で「このコーヒーも注文するのが当たり前」だというものに近いものがあります。パンは買わなくても他に食べるものがあります、コーヒーは飲まなくても他に飲むものがあります。

 そういうことを考えているパン屋さんは潰れ、珈琲屋さんも廃業の憂き目にあうでしょう。

 けれどそういうように考えている教師から子どもたちや保護者が離れていっても、国という体制に守られ、その教師は職を失うことはありません。

 わたしは武道家だったこともあったからでしょう、守るもののない中で自分の腕を試したくて、教師満期の10年以上を残して早期退職し、授業の腕で生きてきました。絵に描いたように、たくさんの処から声がかかり、教師をしていたとしたら出会えないくらいの数の人たちに授業をすることができました。このサイトの人気度もその証の一つと言えます。

 とはいってもわたしの様に生きていくのは難しいでしょう、それでも腕を高めていくことはできます。

 大切なことは、権威的なものに寄りかからないことです。「どこどこ大学の有名ななになに先生がこういっている」「今後の教育はこれこれがリードする」そういうもので自分の方向を決めない。そういうものは長くても何年かするうちに過去のものになっていきます。10年ほど前、わたしがまだ教師をしていた頃、◯◯市が全力をあげていた教育がいろいろ変わっていきました。初めて転勤してきた時には「本市は〈ほめて育てる教育〉に全力をあげています」、それから三、四年するうちに「◯◯大学の◯◯先生の指導のもと◯◯という教育に全力をあげて取り組んでいます」、お金もたくさんかけたようですけど出ていく時にはもうそれも言われなくなりました。

 では何に寄りかかるのか?

 子どもたちの〈笑顔とやる気〉の方向です。

 子どもたちが学ぶことで自分の可能性を生き生きと伸ばしていく、その過程で「よくわからなくても我慢して続ければそのうちに花開くことがあるんだ」という様なことを中心にせず、学ぶ課程でたのしさを重視していくことで、笑顔とやる気が高まってきます。

 なんでもいいわけではありません、もちろん教育課程を無視するのではなく、それに基づいてたのしく授業することは可能です。

 教師が「これは子どもたちが笑顔で生き生きと可能性を伸ばしていく」と考えて、たとえば国語の詩の授業をすすめる、それでいいわけではありません。

 子どもたちにその授業を評価してもらってください。

〈たのしさ度〉と〈わかった度〉、どちらもとても大切です。それに自由感想を加えてもらってください。

 子どもたちの〈笑顔とやる気〉の高まりに目標を定めて、評価感想をとる、それを続けていけば、よほどのことがないかぎり授業の腕は高まるでしょう。

 具体的な授業の方法を知りたい方は、スーパーバイズもあるのですけど、まず〈たのしい教育メールマガジン〉を購読することです。週に一つ、たのしい教育をする、子どもたちと仲良くたのしく関わっていく発想法を学ぶ、そうやってたのしく教師をしている先生たちがたくさんいます。

 教師が授業力を高めていくことで、その人の周りの子どもたち、保護者の方たちの笑顔とやる気が高まっていきます。そのうち社会が変革していった時、その先生たちが教育界をリードするようになっていることでしょう。

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