シロツメクサの魅力②

 前回〈合弁花・離弁花とは何か〉という話しをしました。今回は、シロツメクサは合弁花なのか離弁花なのか、です。

 たのしい教育研究所の第一研究所の近くの公園は、シロツメクサが一面に広がって、このまま地球の地表を覆い尽くすのではないかと思うほど咲き乱れています。

 ミツバチたちも、シロツメクサの蜜を求めてたくさん飛んでいます。近くで写真を撮っていると「じゃまだからどいてちょうだい」というかの様に耳元でブンブン音を立てています。

 さて、みなさんは、このシロツメクサは合弁花だと思いますか、離弁花だと思いますか?


 花びらが離れ離れだから〈離弁花〉でしょう、と思うかもしれませんが、〈その①〉のメールの方は、教員試験の中に出てきた「キク科の植物は合弁花に分類されている」ということを学んでいたので悩んだのです。

 キク科の植物は、花びらが一枚ずつ分かれている様にしか見えませんが、実はその花びら〈一枚ずつ〉が〈一つの花〉になっています。

 このキクの黄色い花びらを一枚とると、下の様に、花を構成する〈子房・雄しべ・雌しべ・花びら(花弁)〉といった、花のワンセットがしっかりそろっているのです。自分の目でも、一度確かめてみるとよいですよ。ですから、一枚の花びらの様にしか見えなくても、植物学的には〈一つの花〉だという様にみているのです。

 このことは、高校入試や公務員試験や教員採用試験の中でもよく出題されていて、間違う人たちも一定数いるので、要チェックの分類問題の一つです。

 メールを送ってくれた方は、このことを知っていたので

シロツメクサもキク科の花の様に一枚が一つの花になっているのではないか〉
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〈合弁花の可能性がある〉という様に考えを進めたのでしょう。

 

 ということで、もう一度シロツメクサをよく見てみましょう。

 実はシロツメクサは、花びらにみえている一枚が〈花〉の構造を持っています。以前、資料としてノートに張っておいた写真があります。ちょど良いアングルで、シロツメクサの雄しべ(左からの矢印)と雌しべ(上からの矢印)を撮った写真です。

 シロツメクサはキク科の植物の様に、、花を構成する〈子房・雄しべ・雌しべ・花びら(花弁)〉といった、花のワンセットがしっかりそろっているのです。ですから、一つの花は花束の様なものです。

 するとシロツメクサもキク科の様な〈合弁花〉なのでしょうか。それとも花びらは一枚ずつ別れているのでしょう。

 この写真をごらんください。わたしが撮った写真を拡大したものです。
 シロツメクサの花びらの中にも花びらが見えています。わたしの目には、大きな葉を身体と見ると、その内側で拍手している様な愛らしい様な花に見えてしまいます。そしてその一枚一枚はそれぞれ離れ離れになる花びらです。

 数えてみましょう。矢印と花びらの数が一致します。

 シロツメクサの花びらは5枚の離弁花です。

 今度はチャンスをみて、たのしい教育Cafeで先生たちが歓喜の声をあげた、シロツメクサのタネのお話をさせていただきます。ご期待ください!
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仮説実験授業50年のあゆみ① 仮説実験授業の提唱 重弘忠晴 著2016/その重厚な内容にただただ脱帽

 これまで、入手できる仮説実験授業関係の書籍は全て読み、板倉聖宣が書いたものから多大な影響を受けてきました。他にもいろいろな方達がまとめた〈ガリ本〉と呼ばれる仮説実験授業研究会独特の冊子も、膨大な量を手にし、読んできました。その中で、ただただ脱帽、という本があります。仮説実験授業研究会の重弘忠晴「仮説実験授業50年のあゆみ第1巻 仮説実験授業の提唱」です。

 奥付を見ると300部限定発行とあります。研究会向けの冊数としてはこれでも多い方なのですけど、内容からみるとその10倍くらいは売れてほしい本です。内容とは関係ありませんが、本の後ろの「仮説実験授業50周年イベント」の写真の中には私も写っています。

 実は、ありがたいことにこの本は昨年、この本が出版された時に著者の重弘さんから頂いたものです。〈頂いたから〉ということでお礼代わりに書いているのではなく、この本は間違いなく仮説実験授業研究会が発行した本の中でかなり重要な一冊です。

 私がこのサイトで書いた「ブルーナーの発見学習と板倉聖宣の仮説実験授業」についても、示唆に富む内容「第1章 板倉聖宣とPSSC物理」から始まって、「仮説実験授業の確立」「仮説実験授業と仮説実験授業入門」など、どの章も、重要で重厚な内容の連続になっています。

 例えば〈板倉聖宣はいつから近代科学にとって原子論が決定的であると考える様になったか〉という、私がこだわっていたものに関しても、はっきりと書き記してくれています。

 ところで,板倉はこのようなく近代科学が成立するためには原子論的な考え方が決定的に重要だ〉ということをいつごろから意識するようになったのだろうか。 前掲論文「理科教育におけるアリストテレス・スコラ的力学観と原子論的・ガリレイ的力学観」の「注(6) 」 に「板倉の前掲論文『科学史研究」No.44 ~ 46 [注「古典力学の成立過程・その骨組」のこと〕 ,では原子論に関する議論,評価が不充分で、あった。この点修正したい(板倉) 」とあるから, 「古典力学の成立過程・その骨粗J という論文以降ということになろう。この論文は, 1957年12 月提出の板倉の博士論文の一部で,それが『科学史研究』44号~46号(1957年12 月~ 1958年6月)に掲載されたわけである。「理科教育における…」のおよそ1年半前ということになる。
 だから,この1年半の聞に,板倉は「原子論的な考え方」 の重要性に気づいた,ということになる。 そこで,板倉の論文をくわしく追ってみると,このころ板倉が編集・発行していた『物理学史研究』NO.3 (1959年2 月刊) に[原典紹介〕 4 の1,ガリレイの力学のなりたち  そのー,静力学から動力学」という板倉の論文が掲載され,そこに「原子論的な考え方」を示すガリレオの論文が訳出紹介されているのを見出すことができる。
 それはガリレオ「運動について」という遺稿からの抜粋紹介で,その中で「原子論的な考え方」を述べている部分は下記の通りで,そんなに長いものではないので全文紹介しよう。 つづく               65pより

 

 著者の重弘さんは仮説実験授業の初期からのメンバーで、数年前に小学校の校長先生を退職した方です。これだけの内容をまとめる力は研究会随一と言って間違いないと思います。 わたしの様に板倉聖宣の哲学や発想法を追いかけている人間には〈ただただ脱帽〉の一冊です。同じ関心を持っている方がいたら、ぜひ入手しておくことをおすすめします。頂いたものなので金額がはっきりしなかったのですが、調べてみると5724円(本体5300円)です。もちろん一般の書店では扱っていませんので、希望の方がいましたら直接研究所にお問い合わせください。研究会員の方はそのまま入手できますが、そうでない方は、わたしの方で重弘さんに確認してみます。1日1度のここの「いいね」クリックで〈たのしい教育〉を広げませんか➡︎ いいねクリック=人気ブログ!=ジャンプ先でもワンクリックお願いします!

たのしい教育と発見学習 ブルーナー「教育の過程」、板倉聖宣の仮説実験授業

 仮説実験授業と発見学習、板倉聖宣のブルーナーに関連して記事を書いたところ、続きが読みたいというお話をいくつもいただいています。「板倉聖宣は、発見学習のブルーナーと彼を出発点に開発が進んだ〈PSSC物理〉に触発されて仮説実験授業の授業書づくりの開発を進める様になった」という私の予想は、それが正しいにしろ外れているにしろ、検証には長い時間がかかりそうです。読者のみなさんも、結論に至るまでの道程を気長にお付き合いください。

 今回は、ブルーナーが語っていることを、彼の代表的な著書である「教育の過程」からみていくことにしましょう。
 「教育の過程」は1959年に全米科学アカデミーによって召集されたウッズホール会議の内容を、議長を務めたブルーナーが認知的な視点からまとめたものです。なお「教育の過程」は岩波書店から1963年に出版されたものを利用しています。

 ブルーナーの発見学習を説明する時によく目にする

「どの教科でも、知的性格をそのままに保って、発達のどの段階のどの子どもにも効果的に教えることができる」という仮説を提示した。ウィキペディア「ジェローム・ブルーナー」から⇨こちら

 という言葉も、「教育の過程」に出てきます。

 有名な言葉なので、教育関係の試験でもそのまま問われることがあります。たとえば

  次の【I群】の人物と【II群】の記述を結びうけた場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。

【I群】
A ベル(Bell, A.)
B キルパトリック(Kilpatrick, W.H.)
C ブルーナー(Bruner, J.S.)

【II群】
ア 「どの教科でも、知的性格をそのまま保って、発達のどの段階の子どもにも効果的に教えることができる」という仮説を提示した。

 

イ 生徒集団の中から優秀な生徒を助教として任用し、助教が教授の指示を他の生徒に伝えるという方法をとり、多数の生徒を一律・効率的に教育することを可能にした。

 

ウ 子どもたちが自ら価値あると感じる課題を設定し、それをプロジェクトとして、目的→計画→遂行→判断・評価という4段階を経て自主的に問題解決に取り組む学習の方法を提唱した。

 

 ブルーナーはアが正解となります。※ちなみにキルパトリックはウのプロジェクトメソッド、ベル(アンドリュー・ベル)は助教法で「イ」

 たのしい教育研究所で開発した教材には〈原子論〉や〈重力〉〈落下〉を本格的に取り上げたものがいくつもあります。まさに「知的性格をそのままに保って」、原子論や重力、落下を扱ったものです。難しいと思うかもしれませんが、幼稚園の子ども達や保育園の子ども達からも、とても好評な教材の一つです。
 ですから、たのしい教育研究所としては、ブルーナーの提案に異論はありません。

 しかしブルーナーの提案を批判的に受け取った人たちもたくさんいました。実は、「教育の過程」を丁寧に読むと、こういう言葉が出てきます。

 第二のテーマは学習のレディネス(readiness) に関連している。

 この国の学校は、多くの重要な教科があまりにむずかしすぎるという口実で、その教育をあとの方へおくらすことによって、貴重な年月を浪費しているということである。

 このテーマを取扱っている章が、どの教科でもその基礎を、なんらかの形で、どの年齢の、だれにでも教えることができるであろうという命題ではじめられているのに読者は気づくであろう。15-16p

 ブルーナーは「どの教科でも〈その基礎〉を〈なんらかの形で〉、どの年齢のだれにでも教えることができる」と言っているのです。

 ウィキペディアや試験問題に出ていた「どの教科でも、知的性格をそのままに保って、発達のどの段階のどの子どもにも効果的に教えることができる」の「知的性格をそのままに保って」という言葉は、〈その基礎をなんらかの形で〉という様に言い換えると、批判のいくらかは解消できるかもしれません。

 もう一つ、ブルーナーの発言について取り上げたいと思います。仮説実験授業の授業運営法の重要なキーに「〈なんとなく〉も大切に扱う」という発想があります。たとえば板倉聖宣は「仮説実験授業のABC」仮説社に
「〈なんとなく〉もちゃとした理由である」と記しています(改定3版11p)

 実はそのことについて、同じ考えをブルーナーも書き記しています。「教育の過程」は難し目の書き方をしているので、一見わかりにくいかもしれませんが、この中に出てくる〈hunch:ハンチ〉という言葉はまさに〈なんとなく〉とか〈第六感〉というイメージの言葉です。

 直観的思考や、予感 (hunch) の訓練は、形式を整えたアカデミックな学問においてだけでなく、日常の生活における生産的思考において、非常に無視されているが、重要な一面である。 鋭い推察、創意豊かな仮説、暫定的な結論にむかつての勇気のある飛躍ーこういったものは、思索するひとが、たとえどのような仕事であっても、その仕事をすすめるうえでもっとも価値のある財貨ともいうべきものである。

ブルーナー「教育の過程」17p

 

 たのしい教育研究所でも「なんとなく」をとても大切に扱って授業を構成しています。人間には、きちんと言葉で説明する前の〈なんとなく〉という段階があるのです。そういう過程を経て、次第に、自分の考えというものを周りの人達に伝えることができるようにもなってきます。

 ブルーナーも板倉聖宣も、似た時期に同じような主張をしていたということがわかります。どちらの主張が早かったのか、それも後日調べてみたいテーマの一つです。今日はここまでにしましょう。1日1度のここの「いいね」クリックで〈たのしい教育〉を広げませんか➡︎ いいねクリック=人気ブログ!=ジャンプ先でもワンクリックお願いします!

 

シロツメクサの魅力① 合弁花・離弁花の分類

 たのしい教育研究所によく顔を出してくれるT先生から「公園を散歩している時、シロツメクサがたくさん咲いていたのですけど、それが合弁花か離弁花か気になって調べてみました」という興味深いメールが届きました。みなさんはどう思いますか?


 わたしはシロツメクサが〈○○科の植物〉であるということを知っていたので、間違いなく答えることができますが、けっこうおもしろい問題だなと思うので、今回はそれについて書きましょう。

 少し長くなりそうですから、わけて書くことになると思います。「長くても一気に」と感じる皆さんもいると思いますが、小・中学生の皆さんの中にも、このサイトを見てくれている方がいますし、長いと、全体の要点も分散してしまうことになる、ということがあります。お付き合いください。

 合弁花なのか離弁花なのか、という問題は、ふつうに暮らしている中では問題になるものでないと思います。植物をもっと深く分類していこう、〈形的〉な違いを発見していこうという時に、合弁なのか離弁なのかが問題になります。もちろん高校入試でも問われることが多いですし、小学校の教員採用試験や公務員の一般教養としても問われることがあります。

 合弁花・離弁花の意味。
 合弁花・離弁花の分類は、まず植物を〈単子葉植物〉と〈双子葉植物〉に分類して、その中の〈双子葉植物〉をさらに〈合弁花〉〈離弁花〉に分けて見ていく考え方です。

〈花びら〉のことを生物学的には〈花弁〉と呼びます。
 ですから、合弁というのは花びらが一枚ずつに別れず、合わさっているという意味です。たとえばこのキキョウの花がそうです。花占いをする様に一枚ずつとることができず、ぼとりと全部を取ってしまうことになります。くっついている状態だからです。

 離弁花。
 それに対して離弁花は、一枚ずつ取ることができます。

 そうやって双子葉植物の花が合弁なのか離弁なのか分けていく中で、「バラ科の花は全て離弁花」「キク科の花は全て合弁花」という様にわかる様になってきました。
 ですから「これはいかにもキク科の植物の様に見えるけれど、花びらが離弁なので違う種類に違いない」という様に見て行くことができる様になるのです。

 次の質は、先生方にも間違う人が多い問題です。

質問:先ほど〈双子葉植物〉を〈合弁花・離弁花〉という様に分ける考え方だと書きましたが、〈単子葉植物〉には〈合弁花・離弁花〉に別れないのでしょうか?
考えてみてください。

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 単子葉植物の花も〈合弁〉なのか〈離弁〉なのか区別することは可能です。しかし、そうやって分類しないのは、単子葉植物の場合には、同じ科の植物であっても、合弁花であったり離弁花であったりするので、分類しても、その植物を特定(同定)するために役立たないからです。
 たのしい教育研究所のウェルカム・スペースの花を見ながら具体的に説明します。

 たとえば単子葉植物〈ユリ科〉の代表的な植物である〈ユリ〉は、花びらを強引に引き剥がすことはできるとはいうものの、普通の状態だと一つにぴったりとくっついています。研究所のウェルカムスペースのゆりです、ごらんください。 ところがそのユリの左にある、同じ〈ユリ科〉のカサブランカ(サクラ色の花)は、花びらが一枚ずつにわかれる花です。ごらんください。

 単子葉植物の花も〈合弁〉なのか〈離弁〉なのか分類することはできますが、そうやって分けても、何科の植物なのかを同定することに役立たないので、あえて分類することはない、ということです。

 前半の〈合弁花・離弁花〉の区別について、イメージしていただけたでしょうか。次回をおたのしみに。1日一回の「いいね」クリックで〈たのしい教育〉を広げませんか-〈人気ブログ〉いいねクリック⬅︎ジャンプ先のページでもワンクリックお願いします