たのしい星空の授業づくり-DNAに刻まれた感覚を

 たのしい教育研究所で星空の教材づくりをはじめています。
 星に詳しい方たちと、時間の合間をぬって、お話を聞き訪ねているのですけど、「天体望遠鏡を貸してあげましょう」と、提供してくれる方がいました。
 うれしいことです。
 というわけで研究所には今、天体望遠鏡があります。


 壁の地球に向けているのがわかるでしょうか。
 もちろん近すぎて見えません。

 みなさんは、最近、星空を眺めたことがあるでしょうか。

 どの程度の規模のアンケートだったのか覚えていませんが「〈一年以上前〉という答えがもっとも多かった」という結果だったということを覚えています。

 夜空を眺める、それはとても豊かな時間です。

「この広い野原いっぱい咲く星」と表現した歌や「星が森に帰る様に」と詠った歌があります。素晴らしい表現形だと思います。

 万葉、飛鳥の歌人、柿本人麻呂は
   天の海に 雲の波たち 月の船 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ
という歌を残しました。

 〈天の海〉とはわたしたちの銀河、天の川のことです。
 月の船というのですから、三日月が浮かんでいたのでしょうか。

 夜空をたのしむ時に「宇宙は膨張している」とか「ダークマターに満ちている」とか、科学上の新しい知識は必要ありません。
 今の様に光の無い時代の私たちの祖先が、危険な夜の状況の中にあっても、星に見とれていた、その感覚はわたしたちのDNAの中にしっかりと刻まれているに違いありません。

 こんな感じで、夜空を眺める人たち、家族が少しずつ増えてくるとよいなと思っています。一緒に〈たのしい教育〉を広げませんか→このクリックで〈応援票〉が入ります!

 

 

〈子どもの学力は低下している〉という批判は正しいのか? ②

 「近頃の子ども達は、こんなことも知らない、あんなことも知らない」「学力が低下している」という意見について考えてみる続きの話です。嬉しいことに、さっそくいろいろな方たちから「早く読みたい」というメールが届いています。嬉しいことです。最近は「記事のラストにある〈応援票クリック〉を押しましたよ」というメールも届き始めました。こういう頼りはこれまでにあまりなかったことで、それもとても嬉しい便りです。
 そういえば〈学校で紹介しています〉という方からのメールもありました。ますますこの記事に力を注ごうと思っています。

 さて、日本の物理学者を育てた長岡半太郎でさえ、その諸先輩達から「学力がない」と批判されていた、という話の続きになります。まだの方は一つ前に戻って読んでから、ここに戻ってください。

 東京の読者の方から「長岡半太郎がすごい科学者であることは切手になっていることからもわかりますよ」という便りがありました。調べてみると確かに切手にもなっています。

 その長岡半太郎でさえ諸先輩達から「学力がない」と批判された、というのです。
 誰でも初めは学力がないのがあたりまえだから、それで批判されたというのでしょうか?
 違います。

長岡半太郎さんの時代、東大の授業は英語です。

 教科書も英語だし、教師の大部分は外国人です。だから英語はペラペラしゃべれたりもしました。

 明治の初めにあって抜群の学力があったことになります。

しかし、その長岡さんでさえ「学力が低下した」と、みんなから言われたのです。 

 

 なぜか?

 

 江戸時代の人からすると、手紙は筆で候文で書きます。

それが書けないというのです。

 

 そりゃそうですね。

 

 英語での対話が十分出来るように勉強したのですから、普通の手紙でも危ないかもしれないのに、候文で、しかも筆で書くなんてことは出来なくて当然です。

 

 もし、そんなことが出来たとしたら、英語の勉強はおろそかになっていたかもしれないし、物理学の勉強も怪しいかもしれないのです。

 だから〈新しい時代には、新しい学力がある〉ということになります。

 ところが年寄りは〈新しい学力〉なんて一切考えないで、自分たちの知っている知識を、今の若者たちの知識の量と比べて「今の若者たちはこんなことも知らない」とか、「あんなことも知らない」とか言っているのです。

 

 とくに最近なんかは、漢字で「こんな漢字の諺も知らない。あんな諺も知らない」と言っていますが、あれは大変極端な例を出して、広告も出ているので皆さんも「子どもたちの身になって考えることが出来る」と思いますが、おそらくは皆さんも知らないような言葉を「知らない」と言って、若者たちは攻撃されているのです。

 

 すごく古いセンスで古い時代を守ろうとしているのです。

 

 「新しい時代を切り開く」としたら、それにとって重要とはいえない古い時代の知識は「知らない」と言うことが勲章であります。

 

 若者たちは、そういう年配者たちに特別に反撃はしませんね。

 けれども「今の若者たちはこんなことも知らない。あんなことも知らない」という人たちは、おそらくパソコンは使えないのです。そして携帯電話も持っていないのです。

 若者たちを批判する年配の人たちは、そういう文化が自分たちのものになっていないのです。

 新しい時代にはついていけないのです。

 まだ続きますが、刺激の強い話もたくさん出てくるので、サイトではここまでにしておきましょう。

 わたしたち大人は、特に自分の子どもの教育や、広くいろいろな人たちの教育に携わる人たちにとって〈とても重要な視点〉だと思うのですが、どうでしょうか。

 たのしい教育メールマガジン(週刊・有料)には〈たのしい教育の発想法〉といって、なかなか自分では思い至らなかった見方や考え方を学ぶページもあります。興味のある方はお申し込みください。
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〈近頃の子どもはこんなことも知らない〉〈子どもの学力は低下している〉という批判について考える①

 教育の場で走り回っていると、いろいろな方たちから〈子どもたち批判〉〈若者批判〉を受けることも多々あります。

「いっきゅう先生、最近の子ども達はひ弱で困るんですよ」という意見から始まって

「何でも長続きしない」

「いじめ方が陰湿だ」

「ゲームばかりやっている」

「何をやりたいのだかわからない」

「昔は先生のいうことをしっかり聞いたのに、聞かない子がたくさんいる」etc.

 わたしのスタンスは決まっていて「今の子どもたちは素晴らしい」「今の若者はすばらしい」という考えです。大抵はこういう受け答えになります。

「長く教育現場にいましたけど、全体としてみると明らかに、わたし、いっきゅうの子どもの頃や◯◯さんの子どもの頃よりも、とても良くなってきていると思うんですよ」

 そう話しはじめて「たとえば・・・」と例示する内容は事欠きません。

 決定的なものは〈近頃の若者は〉という授業プランにまとめてありますから、興味のある方はプランを入手してください。送料込650円でお頒けしています。

 ところで、日本の科学をリードしてきた「長岡半太郎」という人物がいます。
 1865年8月19日生まれですから、明治(1868年〜)に変わる少し前に生まれました。
 彼は、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹や朝永振一郎、鉱石などから有用な金属を採取・精製・加工する冶金学の父と言われる本多光太郎など、たくさんの科学者を育て、自らも〈土星型原子モデル〉を提唱して世界の物理学者から注目された人物です。

 

 板倉聖宣は科学史家でもあって、長岡半太郎についてかなり深く研究しています。
「長岡半太郎でさえ〈学力がない〉と批判されていたのだ」ということを板倉聖宣の講演記録で読んだことがあります。

 古い時代の教育文化を背負っている人たちから見たら、新しいことを学んでいる人たちは〈自分たちが学んだものを基準〉にして「学力がない」といってしまうのだと、という話です。

「たのしい教育メールマガジン」で以前紹介したのですけど、多くの反応が帰って来た一つです。

 少し紹介しましょう。

 2003年8月6日 塩尻市総合文化センターでの講演会からです。論点がずれない様に途中を抜粋しています。

板倉聖宣

 私は、みなさんが非常識に思える事をたくさん言う可能性があります。

 私は基本的には「考えてからしゃべる」ということはなくて、「しゃべってから考える」という(笑)大変ズルイ思考法を取っております。

 せっかくこれだけの人が聞いてくれるところで話すのですから、「これはよさそうだ」と思ったことは口に出してしまう。そうするとみなさんが反応して、嫌な顔をされたり、いい顔をされたりされる。
 それで「ああ、これはいいらしいな」とか「これは少なくとも仲間にはいいかもしれないけど、みなさんには分らないことらしいな」(笑)と言うようなことで、その後の私の原稿にそれを反映することになります。

 ですから、私はしゃべったその当座はその話には無責任であります。私の話が分らなかったら「分んない!」と言ってくださって結構です。そしたら私も気がついて、もっと丁寧に説明をしたり、「あ!それは間違いでした」と言うかもしれません。

 

 私の考えを結論的に強く言ってしまうと、「学力というのは年がら年中低下するに決まっているのだ」、「学力は低下するのに決まっているのに、ことさら〈学力低下〉などと言うのは何か魂胆があるに違いない」と言うことでございます。

 例えば、私の詳しく研究した人に長岡半太郎という人がいます。日本の物理学の伝統を確立した人です。

 明治20年に東京帝国大学を卒業した人でありますから、幕末に生まれて、そして親父さんは大村藩士という肩書きで、明治の初めに元藩主にくっついて海外旅行をして、その親父さんが帰って来てすぐに息子の半太郎の前に座って、「これまでの教育は間違っていた。これからはこれでなければいかん」と、海外から持ち帰った外国の教科書を示して、「これからは、これで勉強しろ」と言われたというほど、明治の初めに恵まれた状況で新しい科学を勉強した人であります。

 その長岡半太郎さんの時代、東大の授業は英語です。

 教科書も英語だし、教師の大部分は外国人です。だから英語はペラペラしゃべれたりもしました。

 明治の初めにあって抜群の学力があったことになります。

しかし、その長岡さんでさえ「学力が低下した」と、みんなから言われたのです。 

 

 なぜか?

 

関心のある方は、自分で「なぜか?」の続きを考えてみませんか。

続きは次回に掲載しましょう。一緒に〈たのしい教育〉を広げませんか→このクリックで〈応援票〉が入ります!

新しい公民館でも笑顔と賢さを育てる活動に全力投球-知花公民館-たのしいものづくり&ゲームで仲良くなる

〈たのしい教育で子どもたちをたのしく賢く笑顔に〉をテーマに大忙しの日々、さっそく新しい公民館での授業がはじまりました。まず〈沖縄市 知花公民館〉からのスタートです。館長さんの話によると、知花公民館が月曜日の子ども達へのイベントを実施していなかった、ということなので広報に力をいれたところ、何人もの子どもたちがワクワクと、そして〈何が始まるんだろう?〉という不思議な顔を併せた様な表情で、集まって来てくれました。

 たいていの子どもたちは〈ビュンビュンごま〉の経験がありません。
 この〈CDゴマ〉は、ビュンビュンごまの応用でもあるので、はじめはなかなか回すことができません。

 研究所のエデュケータースタッフは全員が学校現場での教師経験のあるメンバーです。
 すぐに手をかすのではなく、必要を感じている子に回し方を見せてあげたり、アドバイスしたり、子ども達の自然な高まりを基本におきながら笑顔で関わっていきます。

 そのうちに、ビュ〜ンビュ〜ンと回すことができる子が出て来ると、面白い様に、いろいろな子ども達が、回せる様になります。
 こんなふうに、〈教えて、教えて〉と近づいていって仲良くなっていく子ども達の様子は、たのしい教育研究所の授業の中で、目立つことの一つです。

 一人で練習して、うまくなっていく子どももいます。

 

 館長さんは、子どもたちととても仲良くて、ものづくりも大好きな方で、子どもの様に笑顔で一緒にCDごまをたのしんでいました。こういう方が地域をリードして下さっているのは、とても貴重です。

 「一緒に回してみようか」と語りかけて、「うん」という反応の子ども達には、この写真(右)の様な感じで、回し方の体の動きを体感してもらいます。

 
 すると、その後、何度か練習していうるうちに、上手に回せる様になりました。

 

 こうやって回せる様になると、こんどはそれを地面に置いてビューンと床を走らせるゲームに入ります。

 

 これがけっこう笑えるのです。
 手を離す時のタイミングで、自分に向かって走ってくることがあるからです。

 小さな子も、CDごまをスピードよく走らせることにすっかり没頭しています。

 〈スピードCDごま〉をたのしみながら

⭐ 回転には重心のバランスがカギをにぎること

⭐ はじめからスピードある回転は無理で、小さな回転から、しだいにスピードをもった回転にしていくのだということ

⭐ 回転は〈走る〉ことにつながること

⭐ 身近なもの、捨ててしまうものでも、工夫すると、たのしいものを作り出すことができるのだということ   etc.

 子どもたちは、いろいろなことを感じ取っていってくれたようでした。

 子どもたちの満足度はかなり高く、また来月も来てね、来月も参加するからね、という声がたくさん聞こえた、たのしい1日になりました。

 たのしい教育研究所ではボランティアスタッフを募集しています。

 一緒に、子どもたちの賢い笑顔を育てる活動をやりたい方は、このサイトの右側(パソコン画面)にある問い合わせの場所から、メールをください。

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