たのしい教育研究所の五年前と今

 ある方が「たのしい教育研究所もそろそろ10年くらいですか?」と語りかけてきたので「感覚的には私の教師経験の2/3くらい、20年以上は経った気がします」といいつつ指折り数えてみました。

 2012年春、教師の満期10年を残して早期退職した私は、すぐニューヨークに飛び、これからの〈たのしい教育活動〉のことを構想していました。この頃から始動していたと計算することもできますけど、戻ってからたのしい教育研究所の設立準備会を仲間たちと開始し、法人として活動が開始したのは10月1日ですから、今年やっと6年目に入ることになる、という状況です。

たのしい教育研究所

たのしい教育研究所

 

 現在のたのしい活動の様子はこのサイトを読んで下さっているみなさんにはイメージできると思いますから、たのしい教育研究所の活動を始めようとしていた頃を紹介しましょう。
 まだこのサイトが存在していない頃です。

 今では活動拠点が第一研究所から第三研究所まで広がった〈たのしい教育研究所〉も、はじめはニューヨークでのわたしの〈ノマド活動〉いわゆる〈遊牧民的活動〉からスタートしました。ニューヨークは、いろいろな場所でネットワークに繋がるので、セキュリティに気をつけていれば、メールもサイト検索も簡単です。

 沖縄に戻ってからも、しばらくはそのスタイルで、スタバや喫茶店などで活動する日々が続きます。
 スーパーなどでも簡単にネットワークに繋がるニューヨークの状況と違って、「ここはwi-fiが飛んでいるのかな?〉と確認しながらなので、活動する場所は、それほど自由に選べるわけではありませんでしたが、とても懐かしいワクワクするたのしき想い出の日々です。

 その時の一枚がこれです。
 珈琲の下に見えているのは、わたしが開発した〈ブレイン・ノート〉です。ニューヨークから使って来たものです。火事になったら、通帳よりこれを持ちだすのが優先だといえるくらいの私の宝物です。
 お金はまた稼げますけど、この五年前の瑞々しい構想は無理です。

 

 2012年の春から発行したメルマガの送信文面を見ると
「明日はネットワークの繋がるところを探すのが困難な場所での仕事ですから、1日早くして今日送らせていただきます」
という言葉がありました。
 7月のことです。

 あれから五年、まさかこんなに忙しくなるとは予想できなかった程の日々です。いろいろな市町村からの講演・講座の要請にも、なかなか全面的にOKを出すことが難しくなって来ましたから、ある意味でヒヤヒヤの状況になりつつあります。

 またあの頃の様に、少し時間を置いて、これからの活動についてしっかり構想をまとめていきたい気持ちが湧き上がっています。
 このサイトを読んでくださる方達もたくさん増えてきました。ありがとうございます。今後とも、みなさんが〈次回も読みたい〉と思える様な内容を綴って行きたいと思います。それぞれの〈やり方〉〈力の入れ様〉でよいので、一緒に〈たのしい教育〉を広める活動をしていただければ幸いです。一緒に〈たのしい教育〉を広げませんか→このクリックで〈ブログ評価〉が高まります

お墓に文字を刻むことのすすめ〈たのしさこそ 未来を拓く!〉

 メルマガに「わたしの親族のお墓には〈たのしさこそ未来を拓く!〉という言葉を刻んであります」と書いたのですけど「信じられない」という人もいるだろうと思い、写真を載せたところ、たくさんの読者の方たちからたよりが届きました。
 「お墓にたのしいという文字が似合うのがとてもびっくり」という言葉や「自分たちのお墓も建て替えの時には・・・」という言葉、「話には聞いていたのですけど、本当だったのですね」という言葉など、いろいろ綴られていました。

 「祈」とか「静」など一文字だけ刻みつけたりするお墓はいくつかみたことがあります。キリスト教の信者の方のお墓に聖書の言葉が刻まれていたりすることもありますから、その流れだと思ってもらえればよいでしょう。

 ところで、以前書いたことがありますが新潟県魚沼市にある東養寺に〈科学の碑〉があります。

 〈文学碑〉はいろいろなところにありますが、科学の素晴らしさを讃える〈科学の碑〉は世界でここだけです。高さは6mくらいあるのですけど、雪深い場所なので、冬には、頭のほうがちょこっと出ているだけという景色になります。

 科学の碑には

科学それは大いなる空想をともなう仮説とともに生まれ討論・実験を経て大衆のものとなってはじめて真理となる

という言葉と

科学は民主的な社会にのみ生まれ民主的な社会を守り育てる

という言葉が刻まれています。

 

 沖縄では年に一度〈清明祭 せいめいさい:方言でシーミー〉で親族がお墓に集まって、お墓の掃除をして後、美味しいものを食べて飲んで語り合います。

 そのお墓に、何か文章が刻まれていると、雰囲気もかわるのではないかと思うのですが、どうでしょうか。集まった人たちが元気になるような文章とか、やる気が出て来たり、絆を大切にしたくなるような文章を刻みつけるようになると、よそのお墓でも、見るのがたのしくなるのではないかというのが、わたしの想いです。

 賛成してくれる方達は、ぜひ親族に提案して、刻んでみませんか。

 50cm×30cmほどの石版に文字を刻むとして5万円くらいで可能でした。webで石材屋さんを探して相談してみるとよいと思います。

 今度、うちの親族のお墓に追加しようと考えている言葉は

和(やわらぎ)をもって貴しと為す

です。

 自分が逝く時のことを考えると

たのしい充実した日々でした。感謝の言葉でいっぱいです

という言葉があってもよいなと思っています。
 お墓に集まった親類たちも「私たちに感謝してたんだなぁ」ということを思い直す1日になるのではないかな。
 のちのち誰かが、また別な言葉を掲げ足していくということでもよいでしょうし

 ということで、清明祭の季節に一つの提案として!

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ヨシタケシンスケさんの原画を見てきました 個人的な発見

東京から戻る日、偶然友人から〈銀座でヨシタケシンスケさんの原画展をやっている〉という嬉しい情報が入り、飛行機の時間に間に合う様に調整して駆け込みました。

よしたけ・しんすけ

1973年神奈川県に生まれる

2013年に刊行した絵本デビュー作『りんごかもしれない』で第6回MOE絵本屋さん大賞第1位

『りゆうがあります』で第8回同賞第1位

『もう ぬげない』で第9回同賞第1位の三冠

『このあとどうしちゃおう』で第51回新風賞など受賞作多数。

著書に『なつみはなんにでもなれる』、子育てエッセイ『ヨチヨチ父―とまどう日々―』など多数。

 

 行ってみると〈ヨシタケシンスケ原画展〉ではなく〈5人展〉で、大好きな〈島田ゆか〉さんの原画もあったので、貴重な時間になりましたが、今回は〈ヨシタケシンスケ〉の話。

 

中では写真撮影が禁止だったので、わたしは撮っていませんが、web上の紹介には写真がありました。こういう原画展です。

 

 島田ゆかさんの原画は絵本でみるよりも迫力があったのが、不思議でした。

ヨシタケシンスケさんの原画は、絵本やスケッチノートで目にしていたものがそのまま置いてあるのではないかと思うくらいで、逆に驚きました。

これはヨシタケシンスケの別な原画展の写真から

 

 

 

 

 中には上から一部貼り付けたものもあり「これも原画?」という感じで、他の絵本作家とはかなり違うものがありました。

 雑誌ダ・ヴィンチのサイトにヨシタケシンスケさんのアトリエに訪問した記事があります。そこにある原画をご覧ください。

ヨシタケシンスケさんのアトリエ

 

 実はこの原画展で、個人的なことですけど、とても大きな発見をしました。
 ヨシタケシンスケさんの愛読書がケースの中に平積みされていて、そのほぼ全部が私の愛読書だったのです。ケースの中にあったのはこの5作品です。

いしいひさいち選集『ドーナツブックス』

高野文子『るきさん』

宮崎駿『雑草ノート』

松本大洋『ピンポン』

榎本俊二『ゴールデン・ラッキー』

 

 最後の「ゴールデン・ラッキー」は読んだことがありませんが、残りは何度も読み返している作品です。

 高野文子の「るきさん」は、今のわたしの忙しい日常に、いつも涼やかな風を送ってくれる作品です。生き方の理想形の一つでもあります。

 宮崎駿の「雑草ノート」は、わたしのグループのSNSのタイトルにもしてあります。いしいひさいち選集は、たくさんの友達にも貸したりあげたりしているのですけど、仕事の合間にソファーに横たわって手に取る作品のNo1です。

 そうか、それだからヨシタケさんが売れるずっと前から好きだったんだな、と深く納得してしまいました。

 ヨシタケシンスケさんの絵本をまだ読んだことがない方は、近著「あるかしら書店」をまず手にしてみるとよいと思います⇨こちら
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偉大なる沖縄の植物の研究者 伊波善勇先生②〈沖縄の牧野富太郎としての〈伊波善勇〉

 伊波善勇先生との想い出はとても濃いものがあります。

 伊波先生は沖縄の植物についての碩学(せきがく)で、県内の離島まで各地を歩き、植物を収集してきました。沖縄の植物学者はたくさんいると思いますが、伊波善勇先生が生涯のテーマとして追いかけていたのが〈植物を線で表す〉ことです。
 これだけカメラが普及した今日であるのにも関わらず、たくさんの時間を必要とする〈植物線画〉を第一としていました。⇨こちら

 植物を同定(この植物の名前が◯◯である、と特定すること)しようと調べはじめると写真では視点がさだまらないことがあります。

 たとえばこの二つの花は名前が違います。

ハルジョオン

ヒメジョオン

 判断がつきにくいときに〈この植物の特徴はここである〉という様にわかりよい形で表現してくれているのが〈植物線画〉です。写真ほど大量の情報は入っていませんが、それだから特徴が分かりやすいということがあるのです。

 少し見てみましょう。

 これは牧野富太郎が描いた植物線画です。
〈牧野 日本植物図鑑 1940年出版〉からです。

これは私が〈沖縄の牧野富太郎〉と呼ぶ伊波善勇先生の植物線画です。〈石川市の植物〉から。

 

 何しろ描いている本人が、その特徴を表現しようと考えて描いているわけですから、植物を道程しようとする時に、とても役立ちます。
 二人が描いた同じ植物を大きくしてみましょう。

 牧野富太郎が描いた〈ヒメジョオン〉です。

ひめじょおん

 漢字中心で古い言い方をしていますから少し訳してみましょう。

ひめじょおん やなぎばひめぎく Erigero  annuus L.

越年性の草本。
北米の原産にして、明治維新前後に渡来し、今は普通、各地に野生状態として成っている。
茎の高さは30-60cm、
直立して〈開出毛〉を有する。

 

 これは沖縄の植物の泰斗 伊波善勇先生が描いたヒメジョオンです。

ヒメジョオン(キク科) Stenactis  annuus(L.)Cass

 北アメリカ原産の帰化植物。
 他県ではごく普通にみられる雑草で、帰化植物の体表的なものである。
 淡緑で柔軟な感じがする。
 5月ごろ茎の上方で分枝し多数の〈頭状花〉をつける。
 つぼみの時から上に向き、白色で径2cmぐらい。
 筒状花は黄色。
 酷似種にハルジョオンがあるが、これは頭状花がつぼみの時下にうなだれている。

 

 伊波先生の本には、ハルジョオンとの違いも記載されています。さすがです。原名が少し違うのは、その後の研究で、細かい違いがわかってきてからだと思います。

 伊波善勇先生は、いろいろな植物を調べて過ごしましたが、聞いてみると「名護の桜まつりの桜は見たことがない」というので、2014年の1月に名護の植物のフィールドワークとして一緒に名護岳に行ってきました。

 その時の一枚です。

 善勇先生は元気に歩きながらも、目についた〈ヒカゲヘゴ〉についての話を聞かせてくれました。

 ヘゴについても、牧野富太郎の線画と比べてみてください。

 これは牧野富太郎の〈牧野 日本植物図鑑〉からのヘゴの線画です。

 

 これは伊波善勇先生の〈へご〉の線画です。

 贔屓目(ひいきめ)かもしれませんが、伊波善勇先生のヘゴの線画がずっとわかりよいと思います。

 伊波センセは「ヒカゲヘゴとヘゴは全然違う。
 ヘゴは珍しい植物で、みんなが「へご」と呼んでいるのは〈ヒカゲヘゴ〉なのだ。ヘゴには触ると痛いトゲがあるんだ」という話など、歩きながらたくさんのことを伝えてくれました。
 

 伊波善勇先生は、牧野富太郎を出発点にして、それを超えていこうと思っていたのでしょう。

 日本中を歩いて調べていった牧野富太郎と違っていたのは、伊波善勇先生があくまでも〈沖縄〉にこだわったということだと思います。教師を勤めてすぐに辞めた牧野富太郎と違って、定年まで高校の教師を勤め上げた伊波善勇先生には、物理的にも時間的にも、全国を飛び回ることはできませんでしたし、沖縄は善勇先生にとってやりがいがあるステージでもあったからでしょう。

 81年の人生を閉じた伊波善勇先生の残してくれたものを大事にし、いろいろ問いかけて、自らその答えを導いていきたいと思っています。

 伊波善勇先生の功績がますます大きく評価されることを心からたのしみにしつつ、またこのサイトでも紹介したいと思います。この〈いいねライン〉をクリックすることで〈たのしい教育研究所〉を応援することができます !