たのしい教育研究所は毎朝9時にスタッフ四人のミーティングが始まります。 その一コマとして私が「たのしい教育の発想法」として、主に「板倉聖宣」の発想をしています。 今回もそこで話した内容を整理してみます。
板倉哲学入門「科学者でありたい」
科学者というのは、本当にものわかりが悪いのです。 簡単に納得しないのです。 例えば誰か権威ある人が
「これはこうなるよ」 といっても、自分で納得いかないものは実験が済むまで納得しないのです。
ガリレオなんて、学問の神様みたいに思われていたアリストテレスの言っている事ですら 納得しなかったのです。 地動説を唱えた科学者たちは、何をどう見ても太陽が地球の周りを回っているようにしか 見えない自然現況にすら納得しなかったのです。 「こんな小さな地球の周りを、あんな巨大な太陽がまわっているなんてヘンだ!」
そういって、予想を立てていろいろな事を調べ(実験)、 ついには天動説をひっくり返してしまいました。
全ての人たちが納得する形でゆっくりと真理にたどり着くのが「科学」です。 大切な真理であればあるほど長い時間がかかりますが、 そこに「押しつけ」は入り込みません。
大陸移動説なんて、ウェゲナーが提唱してから世界の人たちに認められるまで 100年以上かかりました。
逆に押し付けられたものごとをカンタンに受け入れる人たちが「優等生」です。 うちの「たのしい教育研究所」は優等生集団であってはいけないと思います。 だって「仮説実験授業」という「科学」がベースになっているからです。
「科学」を取り扱っているというのではないのですよ。 「仮説実験授業」そのものが「科学」なのです。 板倉聖宣は科学史研究の世界的逸材です。
その板倉聖宣が、<科学者が科学的真理にたどりついた流れ>を 授業の中に折り込むことに成功したのです。 仮説実験授業の流れそのものが<予想を立てて丁寧に確かめる> という科学の流れそのものです。
そして、熱心な教師ならだれでもたのしい授業が可能な教材を開発してきたという 意味で「授業科学」なのです。
「100%たのしく授業できる」という事ではないけれど 「限られた条件下ではほぼこういう事が保証できる」という意味で 「授業科学」と呼んでいいのです。
そういう「科学」を提唱している「たのしい教育研究所」は科学者の集団でありたい。 自分自身が納得いくところはよいのです。 いちいち何でも実験してみなければわからない、 なんて言っていたら途方もない時間がかかります。
でも納得いかない部分がでたら「所長の喜友名さんがいうのだから正しい」 ということではなく、 科学者の感覚で「ほんとにそうかな」と実験してもらいたい。そうやって科学は真理に行き着くのですから。
私が開発した「ほぼ100%戻ってくる手乗りブーメラン」も「理科の先生を長年やってきた◯◯さんがこの作り方でちゃんと戻ってくる」と言った通り作ったのだから、戻ってくるはずだ、という人たちに、「そんな事言ったって殆ど戻って来ないじゃない…納得行かない。少し待ってね。私が実験するから」と 言えたから開発できたのです。
たのしい教育研究所の活動が科学の発展そのものをたどっています。
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