私のゆめ、大きなゆめ 2015.1031加筆

今週号のメールマガジン第176号のまえがきに書いた「私のゆめ、大きなゆめ」という文章が好評で、いろいろなメールが届いています。

その夢の話を語ったのは、仮説実験授業研究会の代表であり、日本科学史学会の会長でもある板倉聖宣です。この研究所を立ち上げた当初から強く応援してくださっている人物です。

板倉聖宣がかつて語った夢の話が、今のたのしい教育研究所の活動ととても重なることが多いのです。会員限定の内部情報も入っているので、そこは除いて、少し書き抜いてみます。

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板倉聖宣が1964年に書いた「私のゆめ、大きなゆめ」というメモのコピーがあります。それは今の私たちの研究所の夢と重なります。

書き写してみます。

 私は大きなゆめを描くのが好きだ。
 けれども、実現できもしないようなゆめはつまらない。
 実現できそうもなくて、しかもできそうなゆめ、そういうぎりぎりの大きなゆめを描く。そして、そのために全力を挙げて奮闘する。こういうことは、たいへんたのしいことだと思う。
 仮説実験授業という一つの新しい教育の実践的試論もそのような大きなゆめから生まれた。
 はじめ、そのゆめは、できそうもなくて、しかもできるかもしれな、ぎりぎりの大きなゆめだった。
 それが実現できた。
 その喜びは一生忘れないだろう。
 それでは、今までに一応実現できたということはどんなことであろうか。
 新しいゆめに向かってつき進むためには、今立っている地盤についての共通の理解が必要とされるだろう。
 第一のゆめは、〈すべての子どもたちが積極的に参加しうる授業の内容と形態をつくりだす〉こと。これからは、一つ一つの教材のすべてについて、それを確保するようなテキストを作成していくことが重要である。
 第二のゆめは、〈一切のおしつけを排除した授業を展開する〉ことであった。

板倉聖宣1964年のメモ『仮説実験授業いま・むかし』より

「たのしい教育研究所」は、応援してくださる皆さんのおかげで沖縄の教育界に着実な一歩を刻むことができたと思っています。

教師をやめようと決心するとき、身近な友人たちにそれを語ると、今でも不思議なのですけど、周りの人たちは
「やっと夢に向けて一歩踏み出すのですね、応援します」
という声がほとんどでした。

長年一緒にたのしい教育のサークルをしていたHIさんは、病床で、私のことを友人達に
「彼は当然のことだよ、一緒に応援しよう」
と語ってくれたといいます。
後で聞いて涙しました。

だからこそ私は一人で
一人の教師が下野して何ができるのか?
公務員生活がしみついた人間が社会の荒波の中で大したことができるわけがない!
夢だけでは仕事はできない!
どうしてそんなに安定した生活を捨てる必要があるのか?
強く問いかけてきました。

が、その結論が今の「たのしい教育研究所」です。

その「たのしい教育研究所」も、いよいよ第二の夢に向かって歩いて行く時期に入ったようです。

個人的には「ものかき」を目指しつつも、この研究所をさらに発展させる次の具体的な目標を定めることにしたいと思っています。大きな一歩のはじまりとしての秋になりそうです。
今週もみなさんの応援を全身に受けてメールマガジンを綴っています。
感謝を込めて、お届けいたします。

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沖縄にとどまらず広く教育の根本から
たのしさを追求する「たのしい教育研究所」です

真理に至る道|飛び安里 研究前段 

前回の「リリエンタールより先に翼を身につけて飛翔した男が沖縄に居たかもしれない」という話の反響が届いています。

リリエンタールの飛翔

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飛び安里の挑戦の一コマ(想像図)

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どうして「リリエンタールより先に飛んだ」と書かないのか、については、同じ沖縄の方たちからお叱りを受けるのかもしれないという気持ちもしています。

しかし、それは真理を求める人間としての根幹に関わる大切なことでもあるのです。

 

意外に思う人達が多いと思いますが、

「研究は〈事実から出発してはいけない〉」のです。

事実はとてもたくさん転がっています。

太陽が東から登って、西の空に沈むことも私達の目の前に起こる事実です。
しかし実は、太陽が動いているのではありませんでした。

「飛び安里」でいえば、こういうものを創ったというレプリカまであり、石碑にも刻まれ、そういう言い伝えもあるのです。つまり我々の周りに事実がたくさん転がっているのです。
しかし「だから正しい」といってはいけないのです。

何から出発したらよいのか?

「仮説から出発する」のです。

「もしも飛び安里のいい伝えが事実だとしたら?」⇒「こういうことが予想されるはずだ」⇒「その証拠がみつかるだろうか?」というワークで確かめるのです。

あるいは
「それが間違いだというなら、こういうことが予想されるはずだ」ということで反証的な研究もあります。

その手法は自然科学の手法と同じです。

「◯◯と言われている」から正しい、ということで始まる研究は研究とは言えません。

真理はこちらの思いを超えていることが多々あるのです。
また、自分が正しいと考えたから正しいというような証拠をたくさん探してしまうこともあります。

そうやって数々の誤謬、一見正しそうに見えて実は間違っているということが起こるのです。

ですから、真理に至る道は「予想をもって問いかける」ことなのです。

沖縄の教育に全力投球
たのしい教育研究所です

そらの向こうへ 「飛び安里」という先人

今週、某小学校からの依頼で
「親子でわくわくサイエンス」というタイトルで授業してきます。

たくさんの笑顔に会える大切な時間です。

空を自由に飛び、そして宇宙へ向かう人類のチャレンジを取り上げる予定です。

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全体の構成をブラッシュアップしているのですけど、以前から頭にあった先人のことが気になってしかたありません。

リリエンタールが翼を背負って世界ではじめて滑空した時より先に、飛んだ人物が沖縄にいると言われているからです。

これがその1/2スケールの模型です。

スクリーンショット 2015-10-29 22.53.41

創ったと言われているのは「飛び安里」と呼ばれている人物です

スクリーンショット 2015-10-29 22.53.26

残念ながら私はそれを正しいと言ってよいのか、研究・考証していません。

もしも事実なら、すでに誰かが揺るぎない証拠を提出しているはずなのだという気もしますし、それが正しいとすると、沖縄のほこりだと思います。

面白いことに、いつか書きたいと思っている人物、ウルトラマンの生みの親「金城哲夫」も同じ地の出身です。

現南風原町津嘉山。
興味深い土地です。

来年こそは時間を創って実地探査したいと思います。

たのしい教育の可能性はいろいろなところに!
沖縄の教育の可能性を探る
「たのしい教育研究所」です

「信長と秀吉と家康、誰がエライのか? そのどこがエライのか?」 板倉聖宣語る

たのしい教育研究所を応援してくれている方たちに向けてメールマガジンを書いています。

その「たのしい教育の発想法」に、仮説実験授業研究会代表、そして日本科学史学会会長 板倉聖宣が語った「信長と秀吉と家康の誰がエライのか? そのどういうところがエライのか?」という話をまとめています。

ここに少し掲載します。

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 たとえば戦国時代の末期に、信長がいて秀吉がいて、さらに家康がいて、そういう人の伝記はたくさん書かれているんだけど、何が一番素晴らしいのか?
 そういう英雄伝は書かれたけれど、「本当の歴史は書かれてないんじゃないか」という感じがしてしょうがない。

 最後の家康は、戦国時代を終わらせて、平和の時代をつくった。そういうことができたのは、家康がエライのか? 誰がエライのか?

 一番エライのは、家康が周りの意見を聞いたことです。
「お金を統一した方がいい」と平野郷の人たちが言って「銀座」をつくった。

 日本の「銀座」は東京にあると思っているかもしれないけれど、銀座の最初は平野郷なんです。

 その人達が進言したから、家康は「それもそうだな」と受け入れた。

 進言する人が居ないと、なかなか受け入れられない。そういうことを進言するチャンスを権力者はつくって、そう言うときに言うことを聞く。

 すぐれた政治家というのは周りの人たちの意見を聞く。

 それが民主主義なのね。

 多数決で決めるとかいうことでなくて、周りの人達の意見をたえず聞いて、そして自分たちの知恵を新たにすればいい。家康の周りの人達の知恵の出し方、そういう物語をつくりたいと思っています。

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たのしい教育は単なる技法ではなく
哲学・思想を伴ったものです
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