今週号のメールマガジン第176号のまえがきに書いた「私のゆめ、大きなゆめ」という文章が好評で、いろいろなメールが届いています。
その夢の話を語ったのは、仮説実験授業研究会の代表であり、日本科学史学会の会長でもある板倉聖宣です。この研究所を立ち上げた当初から強く応援してくださっている人物です。
板倉聖宣がかつて語った夢の話が、今のたのしい教育研究所の活動ととても重なることが多いのです。会員限定の内部情報も入っているので、そこは除いて、少し書き抜いてみます。
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板倉聖宣が1964年に書いた「私のゆめ、大きなゆめ」というメモのコピーがあります。それは今の私たちの研究所の夢と重なります。
書き写してみます。
私は大きなゆめを描くのが好きだ。
けれども、実現できもしないようなゆめはつまらない。
実現できそうもなくて、しかもできそうなゆめ、そういうぎりぎりの大きなゆめを描く。そして、そのために全力を挙げて奮闘する。こういうことは、たいへんたのしいことだと思う。
仮説実験授業という一つの新しい教育の実践的試論もそのような大きなゆめから生まれた。
はじめ、そのゆめは、できそうもなくて、しかもできるかもしれな、ぎりぎりの大きなゆめだった。
それが実現できた。
その喜びは一生忘れないだろう。
それでは、今までに一応実現できたということはどんなことであろうか。
新しいゆめに向かってつき進むためには、今立っている地盤についての共通の理解が必要とされるだろう。
第一のゆめは、〈すべての子どもたちが積極的に参加しうる授業の内容と形態をつくりだす〉こと。これからは、一つ一つの教材のすべてについて、それを確保するようなテキストを作成していくことが重要である。
第二のゆめは、〈一切のおしつけを排除した授業を展開する〉ことであった。
板倉聖宣1964年のメモ『仮説実験授業いま・むかし』より
「たのしい教育研究所」は、応援してくださる皆さんのおかげで沖縄の教育界に着実な一歩を刻むことができたと思っています。
教師をやめようと決心するとき、身近な友人たちにそれを語ると、今でも不思議なのですけど、周りの人たちは
「やっと夢に向けて一歩踏み出すのですね、応援します」
という声がほとんどでした。
長年一緒にたのしい教育のサークルをしていたHIさんは、病床で、私のことを友人達に
「彼は当然のことだよ、一緒に応援しよう」
と語ってくれたといいます。
後で聞いて涙しました。
だからこそ私は一人で
一人の教師が下野して何ができるのか?
公務員生活がしみついた人間が社会の荒波の中で大したことができるわけがない!
夢だけでは仕事はできない!
どうしてそんなに安定した生活を捨てる必要があるのか?
強く問いかけてきました。
が、その結論が今の「たのしい教育研究所」です。
その「たのしい教育研究所」も、いよいよ第二の夢に向かって歩いて行く時期に入ったようです。
個人的には「ものかき」を目指しつつも、この研究所をさらに発展させる次の具体的な目標を定めることにしたいと思っています。大きな一歩のはじまりとしての秋になりそうです。
今週もみなさんの応援を全身に受けてメールマガジンを綴っています。
感謝を込めて、お届けいたします。
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沖縄にとどまらず広く教育の根本から
たのしさを追求する「たのしい教育研究所」です