売れない頃のヨシタケシンスケも面白い/ヨシタケシンスケ研究

 私が教師を早期退職する前からヨシタケシンスケが好きだったので、かれこれどれくらい前になるのかと、古い本をひっぱり出してみると、奥付に2003年出版とあります、10年くらいだと思ったら17年も前なんですね。

ヨシタケシンスケ研究2

 

〈タイトル〉が秀逸で、開いてみると、特に味も素っ気もない鉛筆画が並んでいます。その味も素っ気もないエンピツ画のそばにある言葉を読んで大笑い。このセンスは大好きです。

 今は超がつくほど売れっ子作家になったヨシタケさんですけど、個人的には古い頃のヨシタケさんが大好きです。
 少しだけ毒がある作品もあって、それもまた笑えます。

 次の週のメールマガジンが〈春休み号〉で、直接の授業と少し離れた内容を書き始めていて〈ヨシタケシンスケをもっと楽しむ〉というテーマでも書き始めています。
 それを少し紹介しましょう。

 

ヨシケタシンスケ研究1

 

 まずこの絵をみる。

 

そして言葉をみる。

 

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 私はまた笑ってしまいました、もう何十回目でしょう。

 

「好みのタイプは?」と聞かれたのでしょう。
 頭をかきながら答えた言葉は・・・?

 

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もう1ついきましょう。

 ヨシタケさんにとって、この男の人はどんな人にみえているか?

 

 

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たしかに・・・

 

 これはヨシタケさんが描いたセミです。

 

 タイトルは・・・

 これは自分で考えてみてくださいね。
 ここまでにしておきましょう。

 

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子どもの頃のピュアで高度な感性に戻ることができるか?/それが教育者の真の意味での勝負を決める

 教師にとって一番大切なことは何でしょうか、と問われたことがあります。いろいろな答えがあるでしょう。ただし、私が初任の頃訓示をうけた〈それは健康です〉という答えを挙げるとしたら、NOといわなくてはいけません。とても健康的だけれど子ども達に苦痛を与え続ける教師はいるでしょう。先ごろ問題になった教師間のいじめ問題で処分された教師たちがいじめをしているシーンを見ていると、とても健康に見えました。身体は弱くても、子ども達の可能性をたのしく伸ばしてあげられる先生はいます。
お世話になった教授から「教師になったからには校長になりなさい」とも言われましたが、出世が一番だということも全くピンときません。管理職になって、悲しいほど評価を落とした人の話をたくさん耳にしています。
 これが一番だといって良いのか確定はできないけれど、もしかすると一番かもしれないという候補についてはいくつか挙げられます。
 その一つが「子どもの頃のピュアで高度な感性に戻ることができるかどうか」です。

 子どもの感性の中にある〈ピュア:純〉で〈高度〉な感性ということではありません。子どもの感性がピュアで高度だという意味です。

 大人へ年を重ねていくうちに、世間体(せけんてい)や〈出世欲〉、〈空気を読んで動くこと〉であったり〈こうした方が無難だ/長いものに巻かれろ的発想〉を身につけて、ピュアな感性が濁っていく人たちがたくさん出てきます。それがそのまま出世への道だったり、妥協して暮らしていくための方法であったりするので、意味がないことではありません。
 しかし教育者は、子ども様なピュアで高度な感性を大切にしたい。
 沖縄にたのしい教育研究所(RIDE)が設立されて何年も経ちました。
 そこでたのしい教育の力を高めつつ、子どもの様なピュアで高度な感性をもった先生たちが育っています。これは間違いなくRIDEの宝ものです。

 ぜひ講座などで、その先生たちから学んでください。
 RIDEをリードする私と同じ様で少し反省もあるのですけど〈公のところで目立つことより、目の前の子どもの方に向かっている人たち〉が多いので、教育講演会の壇上で出会うことはあまりないと思います、しかし間違いなく、一人の教師として〈この人から学びたい〉という魅力を発見するでしょう。

 この写真をご覧ください。ある図鑑にまとめられた〈日本のスズメバチの種類〉です。どういうことを感じるでしょうか。

 こういう図鑑を見て「日本にはこんなにたくさんのスズメバチがいます」と説明する先生は要注意です。

 大きさの違いは種類の違いではなく、成長の過程の違いではないかと感じる子どもはたくさんいます。私もその一人でした。
 子どもの頃、それを質問した私の先生は、その質問に答えてくれませんでした。
 成長の過程の違いではなく、食べ物がたくさんあって成長したスズメバチと、あまりない中で育ったスズメバチの違いかもしれません。
 人間だって、よく陽に照らされている人は肌が濃くなっていきますから、ハチの色の違いもそれにるかもしれません。

 子ども達が感じるそれらは、次元が低い事でしょうか?

 いいえ違います。

 それは一流の科学者たちも同じ様に考えて迷ってきた問いなのです。

 それらをショートカットして「はい、これだからね、わかった?」という進め方に疑問を持たない教師より、そういう子ども達の感覚を予想できる教師の方がずっと素晴らしいのです。

〈子ども達のピュアで高度な感性〉というのは、たとえばこういうことです。

 たのしい教育を学んで、たくさんの先生たちが、子どもたちの笑顔と本質的な賢さを育てて欲しいと思っています。
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RIDEキャラマスクますます快調/端切れで猫さんワンちゃんの帽子もできました

文科省が学校再開に向けて手作りのマスクを推奨しているということで、RIDEの手作りキャラクターマスクも注目を受けている様です。
 RIDEのキャラクターマスクはどんどん工夫改良されて、靴下で作ったマスクの下の部分で、猫さんの帽子もできています。

RIDEキャラクターマスク

 

 こんなかんじです、ラッパーみたいでしょう。

ラッパーのア~ル

 これまではじっくりゆっくり手縫いで作っていたのですけど、ミシンでの作業もはじまりました。


 今回は1年生の先生から注文が来て、低学年の子ども達が「先生のマスクいいねぇ~」といってくれそうな可愛いものを作成しています。この一枚をもっていると、自分でも子ども達用のマスクを作ることができると思います。

 

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たのしいドリルの基本構造/板倉聖宣が語ったこと

 最新のメルマガに載せた板倉聖宣の発想法についての反響が届いています、板倉聖宣が語ったことを少し紹介しましょう。
 家庭学習は基本的にドリル学習だという教師がたくさんいると思います。それを苦痛に感じる子ども達はたくさんいます。苦痛は感じなくても、それを喜んでやる子はとても少ないといのうが長い教師経験からの実感です。
 スポーツや武道にもドリルがあります。思った通りに自分の身体をバランスよく動かすドリルです。それはたのしくできても、国語や算数のドリルはたのしくできない、それはなぜでしょう。一方は身体の動きだからでしょうか? 違います。
 教師をはじめた頃、その答えを、この板倉聖宣の言葉の中に見ていました。

以下、最新メルマガ〈哲学発想法の章〉から

いっきゅう
〈たのしいドリル〉は知識の定着をはかるための重要なテーマです、私が教師をはじめた頃の〈月刊たのしい授業1985年5月号〉にすでに取り上げられています。今回はその中で板倉聖宣が「たのしい授業とドリルの構造」と題して語った中から抜粋して紹介しましょう。授業だけでなく家庭学習とも関わる大切なことを語ってくれています。

たのしい教育の見方・考え方
やった成果があがるドリルを!
板倉聖宣1985年5月

 一般に、訓練とかドリルというものは、自分の努力の成果が目に見えるようになれば楽しくなります。
 だから成果が見えるような形でドリルをする。
 成果があがらないような形でドリルをすることは、とてもくだらないことです。成果が見えるようにドリルするんです。
 テストというものは、自分がドリルしたところの結果が見えるから楽しいんです。ところがドリルしないでテストばかりすると、これはキツイ。
 全然進歩しないということがわかるのですから、全然楽しくない。
 だから結果が上がるようにドリルしなければいけないのです。

 私が基本的に宿題に反対なのはそのためです。
 宿題というのはドリルとか訓練とかが中心になりますが、宿題する条件のある家の子どもと、そういうものがない子どもがいます。
 先生が宿題を出しても、ある子どもたちはその宿題をやらない。そこでテストでもできなくてイヤになるわけです。

 子どものなかにはドリルのやり方や勉強の仕方がわからなくて成果の上がらない子どももいます。だから、少なくとも時々は学校で教師の指導のもとでドリルや覚える練習をするとよいと思うのです。

 ドリルの仕方がおそろしくへタだと、テストするたびにできないわけですから全然楽しくありません。しかも学校ではそれが競争的に行われるのでますますいやになるわけです。
 小学校へあがるかあがらないぐらいの子どもは、他人と競争するのでなしに「1週間前の自分、半年前の自分よりもずっと字が読めるようになった、字が書けるようになった」といったことを楽しんでいます、だから楽しいのです。
 だから、テストの前には、その前にドリルのやり方を教師が教えてやるといいと思います。

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