たのしい植物の話 トックリキワタ

  授業の準備でドライアイスを買いにいく道すがら、美しく咲くトックリキワタの花が目に止まりました。背丈の高くない樹木にたわわに花を身につけています。

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%e3%83%88%e3%83%83%e3%82%af%e3%83%aa%e3%82%ad%e3%83%af%e3%82%bf%e5%98%89%e6%89%8b%e7%b4%8d2016-11img_3898 硬く尖った針の山が表面を覆っていて、アメフトのプロテクターみたいなものでガードしないと上れないのでしょう。

 そのトックリキワタをめぐって、たのしい教育研究所によく顔を出してくれるA先生とのたのしい会話がありました。

 きゆな先生、理科の時間に子ども達が〈先生、最近桜がたくさん咲いてるよねぇ〉と声をかけてくれて、それはトックリキワタだというお話をしようと、いろいろ調べたら、その名前の由来が面白くてですね・・・

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 A先生の話は続いて

「トックリキワタ」の〈トックリ〉は、お酒を入れる〈トックリ〉から来ているんですね。
 キワタの〈ワタ〉というのが、沖縄ではお腹のことを〈ワタ〉というんですけど、お酒をたくさん飲むと、こんなお腹になるよ、ということで「トックリ キワタ」となったらしんですよ。

とのこと。

 笑うと傷つく人もいるのですけど、おおらかなA先生のキャラを知っているので、遠慮せず笑ってしまいました。「誰から聞いた話なの?」と返してから

「トックリに似ているから、っていうのはそうなのだけど、〈ワタ〉はお腹のことではなくて、綿(わた)なの。
 だから漢字で書くと〈木綿〉。
 実が熟していくと、なかから弾けてたくさんの綿が表面に現れて、風にのってふわりと舞い上がり、種を遠くまで運んでくれるんだよ。
 一度、それが舞い上がるシーンを見たことがあるんだけど、あたり一面白い雪が舞っているかのようで、それはそれは見事なのさ」

%e3%82%ad%e3%83%af%e3%82%bf たのしい会話のひと時でした。

 A先生は、子ども達に話す前にわたしに話してくれたとのことですから、ちょうどよかった。

 ちなみに「桜に似ている」っていう感覚は子ども達だけでなく、トックリキワタは「南米桜」とも呼ばれて、いろいろな人たちに親しまれています。

 まだしばらくは沖縄でも見事な色合いを見せてくれると思います。ぜひ近くにいって愛でてみませんか。ちなみに、幹に棘のない品種も出ているようです。
 近くにないよ、というみなさんは、沖縄の高速道路で北向けに走らせていると、宜野座近くにたくさん並んでいたと思います。

 南米桜が咲き終わると沖縄も本格的な冬に入ります。冬は冬でたのしいことを見つけましょう。

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沖縄県 教育:沖縄県教育委員会作成の「沖縄県の学校の先生になろう」より-問題-

 沖縄県 教育委員会 が作成した「沖縄県の学校の先生になろう」という文章があります。うちの研究所にも時々、よその県の受験生から「沖縄県で教師をしたいのですけど」という様な問い合わせが来るので、たいてい「沖縄は気候的にも人情の面でも住みやすいところだと思いますよ」と伝えつつ、併せて送っている資料の一つです。

 その中にこうあります。

 変化の激しい現代社会をたくましく生き抜いていくためには、子どもたち一人一人に社会の変化に主体的に対応できる能力や創造性の基礎を培い、自ら学ぶ意欲と学習の仕方を身に付けさせることが大切です。そのためには、教育者としての専門的な知識や技能はもちろん、常に子どもに寄り添って支援しようとする姿勢や新たな課題に対して前向きに取り組もうとする意欲も大事です。

 沖縄県教育委員会では、目指す教員像として次の4点を掲げて選考を行っています。教師としての理想を高く持つと同時に、子どもたちの可能性を引き出し伸ばすことのできる情熱と行動力のある人材を求めます。

という言葉に続いて、4つの項目が列記されています。
 人間はたいてい重要なことから述べますから、「並べられた順番は重要度を示している」という見方もありますし、「番号がないということは同等に重要だ」ということも考えられます。どちらなのか分からないのですけど、どういうことを言っているのか理解する意味でも並べられた順番を考えてみませんか。下の四つの項目が掲げられている順番を書いてみましょう。

(  ) ◎ 幅広い教養と教育に関する専門的知識・技能を有し、常に学び続ける実践的指導力のある教員
(  )◎ 人間性豊かで、教育者としての使命感と幼児児童生徒への教育的愛情のある教員
(  )◎ 沖縄県の自然、歴史及び文化に誇りを持ち、多様性を受容し、グローバルな視点を兼ね備えた教員
(  ) ◎ 豊かなコミュニケーション能力を有し、組織力を活用できる総合的な人間力を持った教員

 さて、沖縄県 教育委員会作成の「沖縄県の学校の先生になろう」には、どう並んでいるでしょう?

予想してからね

予想してからね

予想してからね

沖縄県 教育 委員会の公式サイト にこうあります。

◎ 人間性豊かで、教育者としての使命感と幼児児童生徒への教育的愛情のある教員
◎ 幅広い教養と教育に関する専門的知識・技能を有し、常に学び続ける実践的指導力のある教員
◎ 沖縄県の自然、歴史及び文化に誇りを持ち、多様性を受容し、グローバルな視点を兼ね備えた教員
◎ 豊かなコミュニケーション能力を有し、組織力を活用できる総合的な人間力を持った教員

 上の配列で言えば 2 1 3 4 という番号になります。

 こういうお話をすると、おもしろいことに、3番目の「沖縄県の自然、歴史及び文化・・・」という文言がラスト4番目にくるとか、「人間性と教養とはどっちを先に書くかなぁ・・・」と考え込む人などいろいろです。

 特に覚える必要はないのですが〈2次試験の面接〉など、自分の良い面をアピールしようという場面には活きてくる内容だと思いますから、順番性をヒントにして覚えるのも役立つと思います。

 

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沖縄県 教育 笑顔と賢さが世界に広がることを夢見てたのしく活動する たのしい教育研究所です みなさんの応援を待っています

ヒゲ根とは =「もやしのヒゲ根」秋の講座で もやし を描いた方からの質問に答えて=たくさんの人たちが間違っていること=自由研究

 最近のモヤシはつるりとしています。
 たとえばこれがスーパーなどで普通に目にするモヤシです。

%e3%82%82%e3%82%84%e3%81%97%e3%81%ae%e3%81%b2%e3%81%91%e3%82%990 以前のモヤシ(今でも八百屋さんにいくと手にはいります)、太めの根っこのそばに細い根がたくさんついていました。
 秋の講座の〈たのしく絵を描こう〉のコーナーで、講師のA先生が朝早く八百屋さんで細い根がたくさんついたモヤシを手にいれて絵の指導をしてくれました。すでにこの公式サイトでも紹介しましたが、みんなたのしく描いて、どれが本物のモヤシなのかわからないという様な作品にあふれていました。

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 絵のコーナーが終わって休憩に入ると、受講者の方が「喜友名先生、質問があるんですけど」と、こう問いかけてきました。

「前から疑問だったのですけど、もやしの〈ヒゲ根〉っていうのは、根っこの部分全体ですか、それともまっすぐな根っこのそばに小さく出ている細い根のことですか?」

 上の絵・写真をみてください。うねってはいても茎から一本のヒモの様にのびていく、いわゆる根ね部分と、その根のそばにさらにヒゲの様に出ている細い根がありますね。「ヒゲ根」というのは、どれなのか?
 というわけです。

 みなさんはどう思いますか?

ヒゲ根というのは
ア.土に埋まっているはずの部分全体をいう
 (茎から下にのびていく部分全体)
イ.太い根のそばに出ている細い根の部分
ウ.その他
 どうしてそれを選びましたか?

 

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予想してからね

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予想してからね

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 その方も「えっ?」と言っていましたが、実はアでもイでもないのです。
 モヤシにはヒゲ根はありません

 しかし、その方だけが勘違いしているわけではありません。
たとえばインターネット上で「もやし ヒゲ根」と検索すると8万件以上の記事がヒットします。わたしが今しがた検索した時のヒット数です。

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  他のサイトにも「ヒゲ根と栄養と美味しさ」について書いています。

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 これらの多くが、モヤシにひげ根があるという前提、つまり〈間違った使い方〉をしていることになります。
 ちなみに「もやしにヒゲ根は無い」という言葉で検索しても、そう書かれているサイトに行き着くことはできませんでした。もしかしたら、この記事が初めて書いていることなのかもしれません。

 科学的な言葉は定義がしっかりしています。

 たくさんの人たちが間違って利用しているのだから、それはそれでよい、というわけにはいきません。第一、高校入試や教員採用試験などでもよく出題される「植物の分類」に関する重要な内容の一つですから、「もやしのヒゲ根は?」という問いかけそのものが間違っていることを知っておく必要があります。

 整理してみます。

  植物は大きく分けると「単子葉植物」と「双子葉植物」に分かれます。
  葉っぱが「単体(一枚)」の植物、葉っぱが「双つ(二枚)」の植物という意味で、成長した植物ではなく、タネから発芽した時の形状で分類しています。

 これが葉っぱが単体(一枚)の単子葉植物です。イネやとうもろこしなど、たくさんの植物があります。庭や運動場の草抜きなどする時の植物は、単子葉植物が多いと思います。

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 これは葉っぱが双つ(2枚)の双子葉植物です。授業などで「植物を育てましょう」という場合、こういう芽を目にした方もいると思います。アサガオ、アブラナ、ホウセンカ、マメ類などいろいろあります。もやしはマメ類の若い時に収穫したものです。%e5%8f%8c%e5%ad%90%e8%91%89%e6%a4%8d%e7%89%a9 植物の研究をしていく中で、実は表面で見えている葉の形だけではなく、この2種類の植物には他にもいろいろな違いがあることがわかってきました。その一つが根っこの違いです。

 単子葉植物の根っこと双子葉植物の根っこはこうなっています。

 単子葉植物の根です。地面に細い根をどんどん広げていくので、草抜きなどをするときかなり力が入りますね。

%e3%81%b2%e3%81%91%e3%82%99%e6%a0%b9 双子葉植物の根はこうです。まっすぐの「主根」と、その主根から細い「側根」が生えています。単子葉植物よりは楽に抜くことができます。

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 写真より絵のほうがシンプルでわかりよいこともありますから、絵でみてみましょう。コトバンクにこういう画像があります。

 %e6%a0%b9%e3%81%a8%e3%81%af「ヒゲ根」というのは単子葉植物の根のことをいう言葉です。マメ類であるモヤシの根は〈ヒゲ根〉の形状ではありません。
 モヤシの根は〈主根・側根〉からできています。

 「主根・側根」という言葉は日常生活ではあまりつかいませんが、あえてもやしの根について細かく語るとするなら「最近のモヤシは側根がなくなって、主根だけになってきたよね」という様な使い方になります。

 「最近のもやしのひげ根は減ってきたね」という様な使い方はできませんから、もし、そういう場合には「あのね、ひげ根っていうのは、草とか抜いた時に根っこが茎から根が枝分かれしていっぱい何百本も出ていたりするでしょ。ああいう根をいうみたいですよ」という様に、優しく教えてあげるといいと思います。

たのしい絵画の授業が植物の分類の話になりました。
お役に立てたら幸いです。

 

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板倉聖宣(仮説実験授業研究会代表・日本科学史学会会長)の言葉感覚の変遷=「ぼくらはガリレオ」と「わたしもファラデー」から

 板倉聖宣と書いた後に「仮説実験授業研究会代表」「日本科学史学会会長」と肩書きを加えたのは、「板倉聖宣という人物がこういう事を語っている」と書いた時、「その人はどういう人物なのでしょうか」という質問が幾つも届くからです。以来、自分でいろいろと解決できる様になったのか、そういう質問はあまり来なくなりました。肩書きで判断してしまうマイナスもあるので、そこのところはまだ気にしています。ちなみにうちの研究所にはいろいろな方達が〈応援団〉として名前を連ねてくださっていますが、板倉聖宣もその一人です。設立の時には心あたたまる応援メッセージも寄せてくださいましたし、研究所の中には、板倉聖宣が地球のポスターに書いてくれた研究所へのメッセージも掲げられています。

 さて、最新号のメールマガジンに載せた文章の中で、「板倉聖宣の言葉感覚はみごとだ」という事を改めて発見したことがあるので、今回はそのお話を書かせていただきます。

 週一回のメールマガジンは三部構成で、その一つが「たのしい教育の発想法」です。主に板倉聖宣が、そのことに語った内容を、その意図がさらにシャープに出る様に、私が新たに構成し直して文字起こししています。おかげさまで、とても好評です。今回は「作品を生み出す基礎にあるもの」と題をつけて、板倉聖宣が「わたしもファラデー」という本の〈あとがき〉に書いた文章を紹介しました。

 実はわたしは「ぼくらはガリレオ」という本に、ある違和感を持っていました。
 私はマンガ大好き人間でした(です)。わたしの世代は男の子向けの漫画雑誌として「少年キング」「少年チャンピオン」少し遅れて「少年ジャンプ」などを手にした時代です。その前の世代の人たちは、男の子向けのマンガ雑誌が「ぼくら」、女の子向けのマンガ雑誌は「なかよし」でした。

%e3%81%bb%e3%82%99%e3%81%8f%e3%82%89%ef%bc%92 %e3%81%aa%e3%81%8b%e3%82%88%e3%81%97 わたしがマンガをたのしむ頃には「ぼくら」はもう廃刊になっていたと思います。しかし何しろマンガが好きな私は「ぼくら」を手にいれて読んだこともありました。 その「ぼくら」という言葉は、いろいろ解釈はできるでしょうけど、やはり「男の子」を表すことばに思えます。

 以前、養護教諭の先生と共同で作成した授業プランに「それはとってもステキなこと」という保健指導のプランがあります。性教育を明るくたのしく授業できる一時間ものとして作成したのですけど、おかげさまで今でも好評で作るとすぐに売れてしまいます。その書き出しの部分はこうです。

はじめに
 この世界には女の人と男の人とがいます。女の人の体と男の人の体とは違っているところがあって、その違いを「性せい」という言葉であらわすことがあります。
 この「性」という言葉は「生き方」という時の「生」とにていると思いませんか?

 そう、両方とも人間にとって、とてもとても大切なものなのですよ。今日は、その「性」についての大切な授業です。あなた達が困るようなお話は出てきませんから、安心して授業をうけてくださいね。

  あまり気にせず読んだ人が多いかもしれませんが、実はこの文章は、普通のものと大きく違っている言葉の並びになっています。

 私たちが男性・女性を表現する時、自然と男性を先に書いてしまうのです。ですから、子どもたちを表現する時〈男の人と女の人〉という書き方をします。〈男女同権〉とはいいますが、〈女男同権〉とは書きません。学校では今でも〈ごふけいの皆さんは・・・〉という言葉を使う人たちがいます。漢字にすると〈ご父兄〉となり、これは男性のみを表す言葉です。言葉の中に歴史や考えが刻まれているのですね。

 このプランを作成する時に、女性を先に並べたいという話をして、その通りに作成を進めました。もう20年くらい前に初版を出して以来、その並びは変わりません。おそらく数ある出版物の中で、女性を先に並べて書いた始めてのものではないかと思っています。

 そういう私の言語感覚から見て、板倉聖宣の「ぼくらはガリレオ」というタイトルが気にもなっていたのです。

 実は「わたしもファラデー」のあとがきに、わたしの問題意識と同じことを板倉聖宣が書いています。

 私(板倉聖宣)はずっと前に、「ぼくらはガリレオ」という本を書いたことがあります(岩波書店1972)。

 その本がとても好評だったこともあって、その後ずっと「こんどは〈わたしもファラデー〉という本を書きたい」と思っていました。

 「ぼくらはガリレオ」には、本書と同じ四人の子どもが当時要して、女の子もかなりカッコよかったりするのですが、「ぼくらは・・・」では、男が主役に思えてしまいます。そのことが気になっていたので、「今度は女も男もない〈わたしも・・・〉にして」と思っていました。

 この文章をメルマガに書き取りながら、胸につかえていたものがスーッと落ちる感じがしました。著者の板倉聖宣も「そのタイトルを何とかしたい」と考え続けていたのです。その思いがわかっただけで、落ち着いてと「ぼくらはガリレオ」を読むことができそうです。

たのしい教育は単にテクニックではありません。
ものの見方・考え方、それに実践方法が伴ってこその「たのしい教育」です。
たのしい教育の普及に全力を投じるたのしい教育研究所です。
テーマは 世界 日本全国 沖縄県 教育の明るい未来です!

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