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板倉聖宣(仮説実験授業研究会代表・日本科学史学会会長)の言葉感覚の変遷=「ぼくらはガリレオ」と「わたしもファラデー」から

 板倉聖宣と書いた後に「仮説実験授業研究会代表」「日本科学史学会会長」と肩書きを加えたのは、「板倉聖宣という人物がこういう事を語っている」と書いた時、「その人はどういう人物なのでしょうか」という質問が幾つも届くからです。以来、自分でいろいろと解決できる様になったのか、そういう質問はあまり来なくなりました。肩書きで判断してしまうマイナスもあるので、そこのところはまだ気にしています。ちなみにうちの研究所にはいろいろな方達が〈応援団〉として名前を連ねてくださっていますが、板倉聖宣もその一人です。設立の時には心あたたまる応援メッセージも寄せてくださいましたし、研究所の中には、板倉聖宣が地球のポスターに書いてくれた研究所へのメッセージも掲げられています。

 さて、最新号のメールマガジンに載せた文章の中で、「板倉聖宣の言葉感覚はみごとだ」という事を改めて発見したことがあるので、今回はそのお話を書かせていただきます。

 週一回のメールマガジンは三部構成で、その一つが「たのしい教育の発想法」です。主に板倉聖宣が、そのことに語った内容を、その意図がさらにシャープに出る様に、私が新たに構成し直して文字起こししています。おかげさまで、とても好評です。今回は「作品を生み出す基礎にあるもの」と題をつけて、板倉聖宣が「わたしもファラデー」という本の〈あとがき〉に書いた文章を紹介しました。

 実はわたしは「ぼくらはガリレオ」という本に、ある違和感を持っていました。
 私はマンガ大好き人間でした(です)。わたしの世代は男の子向けの漫画雑誌として「少年キング」「少年チャンピオン」少し遅れて「少年ジャンプ」などを手にした時代です。その前の世代の人たちは、男の子向けのマンガ雑誌が「ぼくら」、女の子向けのマンガ雑誌は「なかよし」でした。

%e3%81%bb%e3%82%99%e3%81%8f%e3%82%89%ef%bc%92 %e3%81%aa%e3%81%8b%e3%82%88%e3%81%97 わたしがマンガをたのしむ頃には「ぼくら」はもう廃刊になっていたと思います。しかし何しろマンガが好きな私は「ぼくら」を手にいれて読んだこともありました。 その「ぼくら」という言葉は、いろいろ解釈はできるでしょうけど、やはり「男の子」を表すことばに思えます。

 以前、養護教諭の先生と共同で作成した授業プランに「それはとってもステキなこと」という保健指導のプランがあります。性教育を明るくたのしく授業できる一時間ものとして作成したのですけど、おかげさまで今でも好評で作るとすぐに売れてしまいます。その書き出しの部分はこうです。

はじめに
 この世界には女の人と男の人とがいます。女の人の体と男の人の体とは違っているところがあって、その違いを「性せい」という言葉であらわすことがあります。
 この「性」という言葉は「生き方」という時の「生」とにていると思いませんか?

 そう、両方とも人間にとって、とてもとても大切なものなのですよ。今日は、その「性」についての大切な授業です。あなた達が困るようなお話は出てきませんから、安心して授業をうけてくださいね。

  あまり気にせず読んだ人が多いかもしれませんが、実はこの文章は、普通のものと大きく違っている言葉の並びになっています。

 私たちが男性・女性を表現する時、自然と男性を先に書いてしまうのです。ですから、子どもたちを表現する時〈男の人と女の人〉という書き方をします。〈男女同権〉とはいいますが、〈女男同権〉とは書きません。学校では今でも〈ごふけいの皆さんは・・・〉という言葉を使う人たちがいます。漢字にすると〈ご父兄〉となり、これは男性のみを表す言葉です。言葉の中に歴史や考えが刻まれているのですね。

 このプランを作成する時に、女性を先に並べたいという話をして、その通りに作成を進めました。もう20年くらい前に初版を出して以来、その並びは変わりません。おそらく数ある出版物の中で、女性を先に並べて書いた始めてのものではないかと思っています。

 そういう私の言語感覚から見て、板倉聖宣の「ぼくらはガリレオ」というタイトルが気にもなっていたのです。

 実は「わたしもファラデー」のあとがきに、わたしの問題意識と同じことを板倉聖宣が書いています。

 私(板倉聖宣)はずっと前に、「ぼくらはガリレオ」という本を書いたことがあります(岩波書店1972)。

 その本がとても好評だったこともあって、その後ずっと「こんどは〈わたしもファラデー〉という本を書きたい」と思っていました。

 「ぼくらはガリレオ」には、本書と同じ四人の子どもが当時要して、女の子もかなりカッコよかったりするのですが、「ぼくらは・・・」では、男が主役に思えてしまいます。そのことが気になっていたので、「今度は女も男もない〈わたしも・・・〉にして」と思っていました。

 この文章をメルマガに書き取りながら、胸につかえていたものがスーッと落ちる感じがしました。著者の板倉聖宣も「そのタイトルを何とかしたい」と考え続けていたのです。その思いがわかっただけで、落ち着いてと「ぼくらはガリレオ」を読むことができそうです。

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