手前味噌というわけではなく〈たのしい教育〉を願わない教師はほとんどいないと思います。全ての教師が、と言って良いほど、子ども達の笑顔の生まれる教育が大好きなのです。そうやってわくわくする気持ちで教師になったのに、しばらくすると、学校生活で、子ども達の笑顔どころか自分の笑顔もなくなっていく、そういうこともあります。実際、LEAPカウンセリング(仮説実験授業とアドラー心理学の相乗的カウンセリング)を実施する中、笑顔を求めながらも笑顔が消えてしまっている多くの方達と出会っています。
メールマガジンの最新号の「たのしい教育の思想哲学の章」に、願ってばかりでは、たのしい教育は叶わない、という話を紹介しました。
すこし書き抜いてみましょう。
わたしが大学を卒業して教師になった頃、1985年に板倉聖宣(雑誌 たのしい授業編集代表、日本科学誌学会会長)が、北海道の講演会で語った内容です。この写真の一番手前(左)の人物が板倉聖宣、うちの研究所の設立の時に真っ先に応援団として名乗りをあげてくれた一人です。
たのしい授業というのは
「たのしい授業をやろう!」
と心がければできるわけではありません。
たのしい授業を行うためには〈たのしい授業の処方箋〉を学ぶ必要があるのです。
病気が発生した時、「病気を治したい」と心に念ずれば治るわけではありませんね。
その病気にあった処方箋に従って薬を飲んだり、治療をしなくてはならないのです。
よい治療法がなければ、それを新しく生み出さなければなりません。
それと同じように「たのしい授業をやりたい」ということだけではなしに、「たのしい授業をやるにはどのようにしたらよいか」という処方箋を学ぶ、学び合うことが大切です。
私どもは幸いに「こうすればたのしい授業ができる」ということを幾つか発見してまいりました。
その知識を広めたいと、雑誌を作り、こういうゼミナールを聞いております。
ところで「こうすればたのしい授業ができる」という方法は、そう簡単に見つかるものではありません。
がんばれば見つかるというものでもありません。いろいろな人が、いろいろなチャンスに子ども達が感動する場面を見て、「あぁ、こんなところに子どもたちは感動するのか、興味をもつのか」ということを発見する。それが「たのしい授業」になっていくのです。
ある意味では、とんでもない先生がとんでもないことをやって発見することがあります。
その時に「私は遅れているから」と卑下してはダメです。〈遅れた人間である〉と自覚している人間が一番新しく創造的なことがあるのです。もちろん、進んでいる方ですごく優秀な人もいます。
そういう方々がお互いに知恵を交流しあうことです。
ものをあまりよく知らない人、大学教育までずっと落ちこぼれた輝しい伝統を持っている人たちは、いろいろな本を読んで「ヘエー、こんなことがあるのか」と感動できます。そういう人たちは、子どもたちの気持ちがとてもよくわかります。「子どもたちと同じような気分になれる」という特権を持っている人たちです。
たのしい教育研究所では、自分の笑顔、子ども達の笑顔、保護者のみなさんの笑顔を育てる実力をもった教師を育てる活動にも大きく力を注いでいます。
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