たのしい教育メールマガジンの最新号の一章〈たのしい教育の発想法〉が「基礎基本と小さな実」という話です。タイトルから全体を予想することは難しいでしょう。その一部を紹介します。仮説実験授業研究会の板倉聖宣代表が20年くらい前に語った内容です。古くても全く色あせない内容だと思います。
今から30~40年前〈リンゴ園が困っている〉という話が新聞に出ていました。
農薬なんかで花粉を媒助してくれる虫がみんな死んじゃった。だから〈養蜂業者に来てもらってハチを放して花粉を媒助してもらってリンゴの実をならそう〉というキャンペーンが新聞なんかに出たんです。
ところがそれから10年ぐらい経っと、今度はハチが片っ端から花粉を媒助してしまい、実の数を減らすのが大変だという話になりました。実の数を減らさないと大きい実ができませんから農家の人たちは困るんです。
実の数を減らすのは人間が手作業でやります。
そして実の数を減らすための労力の方は、花粉を媒助する労力よりもかかります。花粉媒助が大変だというのがあって、それを解決したと思ったら、その次には実の数を減らすのが大変だということになったわけです。
Aが大変だと騒ぎ、Aのことを改善しようと思うと、今度はBが大変だということになったりして、またCが大変だと、Dが大変だとなる。世の中には〈Aさえ解決すればすべて万々歳〉という単純明快な人がいます。しかし「そうじゃないよ。いろんなことが解決すべきことがあるんだ。決して問題は簡単に解決つかないんだ」というお話を作ろうと考えています。
この話は「〈基礎基本を精選して教えると良いのだ〉という考え方が確かなのかどうか」という教育上の重要なテーマに繋がった内容です。
ちょっとした遊びや趣味の世界ならあまり心配はないかもしれませんが、〈教育〉という重大なものに関して間違った取り組みを進めると、たくさんの被害者が出て来ますから、簡単に考えることはできません。
全く新しいものごとならしっかり予想を立てて実験する。大抵のものは過去に実験結果を求めることが可能ですから、一見違う状況のものでも、その中に似たような結果を見出すことができないか、そういう丁寧な取り組みの中で、たくさんの人たちの笑顔を育てていかなくてはいけません。
その意味でも〈実践法〉と同じく〈発想法・哲学〉を重視していく必要があると思っています。実践力と哲学とを伴った人たちをゆっくり育てていきたいと思っています。1日1度のここの「いいね」クリックで〈たのしい教育〉を広げませんか➡︎ いいねクリック=人気ブログ!=ジャンプ先でもワンクリックお願いします!