久しぶりに〈たのしい教育の発想法〉をお届けします。板倉聖宣が「自分の生き方については正しい事を主張しなくてはならないのではないか」という質問に対して語った言葉です。1987年の仮説実験授業入門講座のナイター講演会での一コマです。
随分以前の私いっきゅうのレポートで紹介した内容です。
この写真は2010年に沖縄で開催された仮説実験授業研究会の全国大会でのナイター講演の時、板倉先生が〈何か話して欲しいことがあれば手をあげて遠慮なく出してください〉と語りかけた時の写真です。
板倉聖宣-講演の最後に-
今回の私の話、かなりわからないことがあったと思うので、ご意見とかご質問とか反論とかあれば、お願いします。
質問
自分の生き方につながって来た時には、やっぱり正しい事を主張しなければならないとおもうんですが…[板倉]
主張するのはいいね。
と同時に「自分の正しいと思っている事が怪しい」って事も分かっていないと怖いね。
例えば、戦争なんて全部「正義」から起こるんであってね、だから正義を主張する事は素晴らしいと同時におっかない事だと分かってないいと怖い。
ボクは正義派です。正義はというのは硬直化してます。だから闘えるでしょう。けれどボクは、正義の怖さも知っています。
自分が正義だと思うから主張する。それはは結構だけども、同時に正義派ほど怖いものはない、ということを知っておきたい。ボクは十数年前から主張しているんだけども、最近、外国でも気がついたようで、「正義論の系譜」なんていう本が出たんです。「世の中を悪くしたのは正義だ」というんです。
だいたい〈宗教っていうのは素晴らしいもんだ〉っていう考えがあるでしょ。でも宗教があるから戦争が起こるんでしょ。
カソリックのアイルランド問題とか、カソリックとプロテスタントとか、すごい争いだよね。
アラブでね、またイランとイラクがやっているでしょ。
大変なんですよ、両方とも正義を主張しているから。「正義を主張する若さが欲しい」ということにボクは全面的に支持なんです。けれど〈その正義は非常に危ないのだ〉という事も同時に伝えたい。
自分が正義だと思ったら、その人は対外他人にそれを押し付けてしまう。これほど怖い事はないんです。
自分が正義だと思ったら、すごくセーブする心をもって欲しい。
だから〈正義より真理〉を持ってほしい。
真理は絶対に押し付ける必要はない。押し付けてわからせるようなら、それは真理じゃない。だからボクは正義が嫌いなんです。
真理でいって欲しい。
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