たのしい教育派で、かつ教員採用試験の合格を何としてでも勝ち取りたいという方たちが研究所に学びに来ています。その人たちの今回の試験結果の分析から、国語の点数の加算によって合格できるということがハッキリし、それに基づいて国語に関してはさっそく〈実践問題〉の演習から始めています。研究所のメンバーもこの人たちに合格してもらうために全力投球です。
ところでその国語の演習の一つに〈この中から間違った組合せを選びなさい〉という問題があって、その選択肢を見て「この問題を作成した人物、いいね」と感じたので紹介させていただきます。
みなさんは、この問題の答えがわかりますか?
一つだけ〈間違った組合せ〉があります。
当てずっぽうでもよいので予想してみてください。
① 南総里見八犬伝は〈滝沢馬琴〉別名〈曲亭馬琴〉の作品ですから正解
私は古典は苦手ではないのですけど、私も初めて目にしたのが ⑤「安愚楽鍋」です。〈あぐらなべ〉と読みます。これが答えなのかと思う人もいるかもしれませんが、これは正解だとわかりました。もっとはっきり「これは違う」というものが含まれているからです
④「国姓爺合戦」は〈こくせんやがっせん〉と読みます。
近松門左衛門の作品です、正解
③「徒然草」は古典の頻出問題です、吉田兼好で正解
②の「蘭学事始:らんがくことはじめ」の著者は〈福沢諭吉〉です。この組合せが間違いだということになります
知っていた人もいると思います。
※
話はここからです。
選択肢にある前野良沢とは何者か?
「解体新書」をご存知でしょうか?
江戸の後期、杉田玄白のグループは、人間の身体の中を自分たちで調べようと研究をはじめます。
しかし、その中でドイツの解剖医クルムスが著したターヘルアナトミアのオランダ語訳の本の素晴らしさを発見し、自分たちで研究することをやめて、その翻訳に力を入れることにしたのです。
これがアーヘルアナトミアです。
授業の中で子どもたちに「予想変更は素晴らしいことだ」という話をすることがあります。その時に例にあげることのある素晴らしい予想変更の一つです。
玄白たちが予想変更せず、自分たちで解剖学的な研究を始めたとしたら、日本の人体の研究は何十年も遅れたことでしょう。素晴らしいものがあったら、まずそれを学び取るところから始めるのがよいのです。
これが杉田玄白。
マハトマ・ガンジーに似ています、どうでもいいのですけど。
解体新書は、本屋さんで手に入ります、講談社の学術文庫です。
わたしは国語や理科で利用していました。
中を開くと、たとえば人間の骨格がかなり詳しく描かれています。
もちろんクルムスのターヘル・アナトミアの図を丁寧に写実したものです。
これは脳の図です。
もう一度表紙を見てください、「杉田玄白 解体新書」とありますね。
そのせいもあって、殆どの人たちが解体新書を著したのが杉田玄白だと思っているのですけど、玄白が自分の名前で出版したのであって、それを訳したのは別な人物です。
私がそのことを知ったのは学生時代です。
その頃とてもお世話になっていた教育心理学の石川清治教授が
「きゆな君、驚いたよ、解体新書を訳したのは杉田玄白じゃなかったんだねぇ」
そう言って、文庫本を手渡してくれました。
吉村昭の「冬の鷹」です、今でも大切に持っています。
少し読んでみようと思ったら、その日で一気に読み終えました。
以来、吉村昭の作品は私の生涯の友になりました。
吉村昭のノンフィクション作品は重厚で、時代考証をこれでもかというほど重ねて描かれています。
戦時の「戦艦武蔵」でも幕末の「ふぉん・しーほるとの娘」でも、昭和の「神々の沈黙」でもしかりです。
その吉村昭が「冬の鷹」で、人体の内部を調べようとする杉田玄白たちのグループが、どの様な過程を経て〈解体新書〉を出版するに至ったかを、壮絶な迫力をもって描いています。
杉田玄白はオランダ語の知識はありません。
解体新書を訳したのは〈前野良沢:まえのりょうたく〉でした。前野良沢のオランダ語の知識と学問への鬼気迫る姿があって「解体新書」が生まれたのです。
杉田玄白はプロデュース(企画)した人物なのです。もちろん杉田玄白の熱意がなくてはこういう事業はスタートしなかったのも事実ですが、実際の翻訳そのものは前野良沢無くしては不可能でした。
少し書き抜いてみましょう。
不意に、玄白が足をとめた。
「いかがでござろう。ぜひおきき下され」
玄白の眼が、良沢と淳庵に据えられた。
良沢たちは、立ち止った。
「いかがでござろうか。このターヘル・アナトミアをわが国の言葉に翻訳してみようではありませぬか。もしもその一部でも翻訳することができ得ましたならば、人体の内部や外部のことがあきらかになり、医学の治療の上にはかり知れない益となります。
オランダ語をわが国の言葉に翻訳することは、むろん至難のわざにちがいありませぬ。しかし、なんとかして通詞などの手もかりず、医家であるわれらの手で読解してみようではござらぬか」
玄白の顔には、はげしい熱意の色がみられた。
良沢の体が、一瞬硬直したように動かなくなった。眼は玄白を凝視し、顔には血の色がのぼっていた。
「よくぞ申された」
良沢が、腹の底から声をしぼり出すように言った。そして、何度もうなずくと、
「実を申すと、私は二、三年以前からオランダ書を翻訳いたしたき宿願をいだいてまいりましたが、一人ではかなわず、かと言って志を同じくする良友もござらぬ。そのことを嘆いて鬱々といたずらに日を過してまいりましたが、おのおの方がなんとしても翻訳の業を果したいと欲せられるなら、まことに心強きかぎりです。私は、昨年長崎へもゆきオランダ語も少々おぼえてまいっておりますので、それを手がかりに、このターヘル・アナトミアの解読に取りくんでみましょう」
前野良沢はこの人です。
はじめの教員採用試験の問題に戻りましょう。
選択肢の〈前野良沢〉は「解体新書を翻訳した人物」です。
しかし、ほとんどの人はその名前を知らないことでしょう。
彼は数年かけた翻訳作業の後〈自分の名前は残さないでよい〉と言い残し杉田玄白から離れていったのです。
研究所に学びに来る人たちにも話したのですけど、このサイトを購読してくれているみなさんにもぜひ読んでもらいたい一冊です。読書が苦手でなければ、中学生くらいからなら読めると思います。
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