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板倉聖宣(仮説実験授業研究会代表/日本科学史学会会長)の発想法 ハンディのある子ども達/特別支援の教育

 仮説実験授業の生みの親であり仮説実験授業研究会の代表をしている板倉聖宣の発想法は、このサイトでも人気の1つです。日本科学史学会の会長も務めていることを知らずにいた方達も多かった様で、板倉聖宣の業績を伝えることにも役立っている様です。今回は板倉聖宣がハンディのある子ども達の教育、特別支援教育について語った1つをお届けしましょう。有料のメールマガジンの随分前の号に掲載したものの一部です。板倉聖宣が1999年に障害児教育をテーマに語った「思いやりだけでは破綻(はたん)する」という刺激的なお話からです。

 

 ●目の見えないことは不幸なことか
板倉

 目の見えない人の認識の仕方は,目の見える人よりもあるところでは鋭いということがあります。
 たとえばウサギを骸骨の造形でうまく表現することができる、というようにです。
 そのとき,その鋭さを残した方がいいのか,普通の人間なみに育てた方がいいのか?
 目の見える人間とは違った側面がつかむことができるという、その優れた特性はどうするのか、という問題がある。
 つまり〈なるべくハンディーを感じない様に〉という様な教育を意識すれば、その特性を退化させることになるわけです。

 「それはもったいない話だ」という感じがボクはするわけです。

 

 結局、統合教育では、普通の目の見える子どもと同じように育てようということになる。しかしその時には,普通の子どもとどこまで同じようにしたら良いのか,どこからは違うようにしたらよいのか,ということが大事だと思うのです。

 分離教育派の人たちは目の見えない人たちの、普通の人たちと異なる側面を強調しているんじゃないでしょうか。
 それも,もっともな面もあるわけでしょう。

 一生懸命〈普通の人たちの書く普通の文字〉を書く訓練を続けていると,〈点字〉を書けなくなるとか、書く速度が遅くなるということがありますから。

 実際に目の見えない人達にとっていちばん役立つのは点字です。自分でレーズライター(ボールペンで書くと字がうきあがる特殊な紙)に字を書いたって,それを読み取るのは大変なわけです。

 

 そういう文字を書くのは,アメリカ人が日本語を習うようなものです。つまり,ローマ字を書く人間の世界と,ひらがな・漢字を書く人間の世界とが交渉するということですね。

 

 どちらの世界を大事にするかということが出てくると思います。 

 ある意味では,目の見えないことはすごく不利なことだけれども,その反面,有利なこともないわけではない。
 そのところを大事にしなければ,目の見えないところの相対的に不利な状況だけを強調してしまうことになる。
 目が見えないということは不幸なことだけれども,そればかりでなく,目の見える人間の不幸といえる場面もあるわけですね。
 たとえば,暗闇で行動するときのように。

 この二つの問題をきちっとしていくといいんじゃないでしょうか。

 

 たのしい教育研究所のスタッフはわたしをはじめとして特別支援教育の免許をもった人が何人もいて、特別支援教育の中でのたのしい教育の実践が数々揃っています。 そして、たのしい教育研究所の講座には特別支援学校・特別支援学級の先生方もたくさん参加してくれます。以前、夏の講座で取り上げた「べっこうアメNewバージョン」を特別支援学級の授業参観で実施して「子ども達も、保護者も、そして教師自身も、これまでに行ってきた授業参観の中で、いちばんたのしい授業となりました」というメールが届きました。➡︎ こちら

「特別支援教育でたのしい教育」をテーマに、いろいろな実践を一冊にまとめて、沖縄県の特別支援教育でがんばっている先生方に紹介したいと思っています。

たのしい教育の可能性は広く深く
「たのしい教育研究所」です