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たのしい教育の見方考え方〈一人の100歩より100人の一歩〉/教育界には美しい言葉がいっぱい

「一人の100歩より100人の一歩」という言葉を聞いたことがあるでしょうか、ある人物が語った名言です、そして学校でもよく耳にしてきた言葉です。
 一人が100歩すすむより、みんなで一歩すすんだ方がよい、それを目指そうよ、ということですね。

 以前も似た内容の話を書いたことがありますが、研究所のメンバーから「それについて、どう考えればよいのか」という話がありましたので、前回はあえて触れなかったことも含めて書いてみたいと思います。

〈◯◯する場合は〉という様な説明なしで語られているということは、すべての場合に当てはまるということなのでしょう、〈何しろ一人の100歩より100人の一歩がよい〉というわけです。

 それは本当のことでしょうか?
 それを誰か確かめたことがあるのでしょうか?

 たのしい教育研究所の活動は〈100人の一歩〉の運動論ではありません。

 教育の新しい姿を求め、具体的なたのしい教材を開発し、たのしい教育を推進する先生を育て、それを拡めているたのしい教育研究所では〈誰かが100歩すすむことで、周りの仲間たちもいつの間にか20歩30歩進んでいる〉ことが繰り返されています。

 研究の世界では、たとえば〈エイズの薬〉の開発に全力を注いでいる人たちがいます。その人が100歩進んでこれまで以上の特効薬を開発するより、周りの人たちが自分のレベルに高まるまで待って、あるいは周りの人たちのサポートをして自分の今いる位置まで一歩二歩と引き上げてあげることが大切なのでしょうか?


 そういう運動論でいくとエイズの特効薬にたどり着くまでに、病気に苦しんでいる人たちの命がたくさん失われていくと思うのですけど、どうでしょうか。

 まず誰かがエイズの特効薬を作って、それを周りの研究者に広めてあげることで、たくさんの命を救ってあげることができます。そして同時に周りにいるいろいろな研究者の力もグンと引き上げられるのです。

 たのしい教育研究所(RIDE)の活動は新しい世界に向けた取り組みです。RIDEの誰かが100歩すすむことで、その周りで大きく自分の歩をすすめていく人たちがたくさん出る、実験結果として〈みんなが一歩進むまで待つ〉というのではなく「一人の100歩がよい」ということがたくさん起こっています。

 ですからあえてこのフレーズに合わせるとしたら「100人の一歩を待たずに突破できる人が100歩突き進め!」です。

 では〈一人の100歩より100人の一歩〉はどんな時にも有効ではないのでしょうか?

 いいえ、そうではありません、それが有効なことがあるから、その言葉が残っているのです。

  思いつくのは〈戦い争いの時〉〈敵を倒す時〉です。
 戦いでは一人が圧倒的に敵の一人を倒しても残り99人が負けるというのでは勝てません。
 勝ち抜き戦の場合でさえ一人が100人倒すのは無理です。


 空手に〈10人組手〉があります、自分と同等以上のレベルの相手と組手(試合)をして10名全員に勝ち続けるという荒業です。
 道場の仲間内でそれを達成できたという話は知っていますけど、本気の戦いの場でしのぎを削ってかかってくる敵10人を連続で倒し続けるのは考えられません。
 大会でも、予選から決勝まで四~五人倒してたった一人が優勝するのです、自分が優勝しようと本気で来る敵10名を倒し続けていくというのは不可能なのです。
 小学生中学生の試合では、体格的にとてもめぐまれたとか運動神経に加えて練習時間をたっぷりとっていきた子が団体戦で五人10人20人と勝ち続けて優勝までいく人がいるかもしれません、しかし体格や筋肉の動きが高まってきた大人の戦いでそういうことが起こった例は聞いたことがいりません。
 切磋琢磨して来た敵が本気でかかってきて、それを30人を倒し続けることは不可能、ましてや100人。

 組織と組織、大人数VS大人数という場合にはさらにそういうことがいえるでしょう。
 その場合、いくらこちらに一人のずば抜けた人物がいても勝てるわけはないのです。
 実は〈一人の100歩より100人の一歩〉という言葉は起業家が「強い会社にするためにはには」という文脈で語った言葉なのです。

 敵を倒す、戦い・争いの時以外にも〈一人の100歩より100人の一歩〉がよいということがあるでしょうか? あるかもしれません。それが教育・研究にも関わる重要なことならぜひ教えていただけませんか。

 教育は戦い・争いではありません。研究も戦い・争いではありません、功を競って、あるいは企業間国家間の競争的な研究でそういう場に身を置く人がいるかもしれません、しかしそういう場合ですら、長い時の流れでみれば、先にいった人物が発見した開発したものは広くいろいろな人たちにシェアされていき、他の研究者たちがその業績の上にさらなる工夫改善発見を加えていって、どんどん良いものになっていくのです。

 学級でも家庭でも同じです。
 グッと前に進んだ人がいてくれてこそ周りの人たちが自分一人で進めなかったところにまで足を運ぶことができるのです。
 たとえばお母さんの給料がグッと上がったことでみんなの暮らしが二歩三歩とよくなったりします。お父さんの給料が自分(母)の給料と同じくらいになりそうになるまで足踏みしてまっておこうなんて変ですね。

 学校でもし〈一人前にすすむんじゃなくて、みんなで一歩すすもう〉という教育が本気で行われているとしたら、それは力ある子の可能性だけでなく、周りの人たちの可能性を同時に落としてしまう危険があるのだということを知っておくこともよいと私いっきゅうは考えているのですが、どうでしょうか。

 いつもより長くなりましたが、一気に読んでいただきたくて分けずに掲載しました。
 ご意見を聞かせていただければ幸いです。

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