アイディア 発想法/新しい概念にとらわれる重要性 板倉聖宣の発想法から学んだこと

 アイディアや発想法について書いてみようと思います。前回の「ゆとり教育と円周率」の反響も大きく「どうすればそういう発想ができるのでしょうか」という様な質問が複数届いているので、それを受けた内容にもなると思います。

 公立学校の教師を数年前に早期退職して後、沖縄県の事業を初めとしていろいろなプロジェクトを担わせてもらいました。また、たのしい教育派の教師の支援や子ども達の支援など、この四年間で数々の活動を実施し、そのどれもがかなりの成果を上げています。ですから、たしかにいろいろな発想でものごとに取り組み、一定の成功を収めていると言ってよいのだと思います。

 わたしの発想の根底には「たのしさ」があります。
 しかしそれを答えても、答えになっていないでしょう。

 ですから少し哲学的な話として、板倉聖宣の発想法を紹介させていただこうと思います。
 わたしが大きな影響を受けた人物です。

 わたしが板倉聖宣の発想法に初めて触れたのは、今から30年も前のことですから、右にも左にも「たのしい教育」を教えてくれる人はいません。手に入る限りの書籍・雑誌を取り寄せ、さらに ガリ版(謄写版)印刷 の資料も手に入るものを片端から取り寄せていました。特に山田正男さんという名古屋の高校の数学の先生が板倉聖宣の講演などをガリ版印刷して50冊とか100冊くらい発行してくれていて、それはとても貴重な礎になりました。

 その時の資料はPDFにして大切に持っていて、今でも時々見ることがあります。わたしが毎週力を込めて綴っている「たのしい教育メールマガジン」のある章は、そういう貴重な資料から、「伝えたい」と思うものを読みやすく編集し直して綴っています。

 その資料の一部です。手書きの本です。
 %e6%9d%bf%e5%80%89%e8%81%96%e5%ae%a3%e7%99%ba%e6%83%b3%e6%b3%95 書き起こしてみましょう。

 板倉聖宣
 人間は、ものにとらわれるからこそ、ものを考えることができるのだとしたら

「何とかものにとらわれずに自由に考えられる様になりたい」
と願うこと自体がナンセンスだということになる。
 それから外から見て「いかにも、ものにとらわれずに自由に考えている様に見える人」は、どの様に考えていることになるのだろうか?

 その疑問に対する、今の私の答えは簡単である・・・

「そういう人は、他の人とは違うことにとらわれて考えているにすぎない」

ということである!

 

 つまり冒頭の私に対する質問の答えにもなるのですけど
「いろいろなことを自由に発想している様に見える」というのは、私が
「普通の教育関係者がとらわれている概念とは別なものにとらわれて考えているにすぎない」
ということです。

 それが「子ども達や先生、保護者の方達が笑顔になるのかどうか」ということにとらわれて考えている、ということであったり、「単に〈賢く〉ではなく、〈たのしく賢く〉」であったりするのです。

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追記
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