最新のメルマガに〈人間関係より優先されるものがあるのだろうか?〉と書いた文章の反響がさっそくいくつも届いています。
合格WS気合いこもる
RIDE(ライド)で学んで合格していく先生たちは、塾などで学んでいく方たちと実践力だけでなく、ものの見方・考え方もすぐれたものがあります。
問題の解き方を学ぶだけではなく子ども達に向かうときの構えについても学びます。
この日「〈子ども達との関係〉よりも優先して教えなければいけないことって何があるの?」 と問いかけてみました。
教師の仕事は「これをやらなくてはいけない」「あれもやらなくてはいけない」の連続ですから、そういうことをしっかり基本に据えて置かないと、数値目標を追いかける機械的な動きをしてしまうことにもなります。という様な話をしていると、ついつい熱がこもっていきます。
WSの多くの卒業生たちが「合格は嬉しいけれど、きゆな先生の話を毎週聞けなくなることは寂しいです」と言ってくれるのは、こういう話なのでしょう、きっと。
この続きは〈発想法〉の章に書きたいと思います。
ということで最終章の〈たのしい教育の発想法〉にこういう続けました。
始まりの部分を少し紹介しましょう。
たのしい教育の発想法
子ども達との関係より優先させること
いっきゅう2019-11-11
初めの章〈たのしい教育の今日この頃〉に書いた流れです。
改めて問わせてください。
教育という営みの中で〈人間関係より優先して教えなくてはいけないこと〉ってどういうものがあるのでしょう。
そもそも、そういうものがあるのでしょうか。
立ち止まって考えてみていただけませんか。※
子ども達との人間関係をさしおいても〈かけ算九九〉は教えなくてはいけないのでしょうか。
〈食事の時にしっかり感謝の言葉を伝えること〉は教えなくてはいけないのでしょうか。
〈漢字の書き順〉はその子と関係が悪くなってもいいから、ケンカしてでも教えなくてはいけないのでしょうか・・・私にはそうは思えません。
ところが日々のあまりの忙しさの中で、関係よりも教える題材を優先してしまう、たとえば子どものプライドを傷つけていることも忘れて「Cくん、まだ覚えてないの?」と言ったりすることがあります。
子どものプライドを傷つけたという反省は私の中にもあります。
そもそも、そういう失敗を認識できない教師が魅力的な授業ができる様になるとは思えません。私がカウンセラーをしているからということで言っているのではありません。
教育というものは人間を人間たらしめる、人間の明るい未来を切り開くものです。教育に力を注がないところに明るい未来は来ないでしょう。
そういう人間的な営みであるはずの教育の中に非人間的なものが入り込んでしまう怖さがある。それは全ての教師、そして親が知っておく必要のあることです。
それは例えば、この街の美しさを味わってもらうために山頂まで登ろうと計画したのに「とにかく登れ、足を休めるな」となっている様なものです。
それでも登った子ども達の何人かは「街が美しい」と言ってくれるかもしれません。
しかし「もうこんな思いをしてまで登りたくない」とか「街が美しいなんて感じるゆとりはない」という子ども達がたくさんでるでしょう。
いったい何のための山登りなのか・・・
そう前置きしておいて、初めの問いの私の答え
「人間関係を差し置いても優先して教えなくてはいけないものがあるか?」私は「ある」と思います。
ここまでにしておきましょう
たのしい教育研究所(RIDE)で学び、本務の教師となる先生たちは、単なる問題を解く技法だけでなく、たのしい教育の思想・発想法を身につけてもらいたいと思っています。
そうでなくては、教育はいつまでもかわらないでしょう。
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