見えたから存在するに違いない、と考える人たちがたくさんいます。たとえば〈幽霊が見えた〉というのもその一つです。
以前もそういうことについて書いた記憶があるのですけど、最近、中学生から〈霊〉の存在に怯えているというメールが来たので、新たな気持ちで書いてみたいと思います。
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誰も住んでいないはずの、あのウチの窓のところにいないはずの男の人がボヤ〜とうつっていた。「あそこには幽霊がいる」と考える人たちはたくさんいると思います。
ところが〈見えたら存在する〉というのはとても不確かな考え方なのです。
火星に人面岩があるから〈火星人がいる〉あるいは〈かつて住んでいてその痕跡を残したのだ〉とかいう話が10年ほど前でしたか流行していろいろな本も出版されました。
それも〈見えたから存在する、存在した〉というわけです。
みなさんはその考え方についてどう考えますか?
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以前このサイトで紹介したバッタの写真があります。
私が写した写真です。
何か見えませんか?
胸のあたりに注目してください。
笑っているメガネのおじさんの顔が見えて来ませんか。
特別なバッタだろうと思うかもしれません。
しかしごく普通のトノサマバッタです。
こういう目で見ると、たとえばweb上にあるトノサマバッタの胸の写真を見ても、おじさんの顔に見えてきますよ。
たとえば・・・
ねっ、おもしろいでしょう。
これを見て、トノサマバッタにおじさんが乗り移ったとか、おじさんの幽霊が取りついていると考える人はいないと思います。
このバッタの胸の画像の様に、人間は、脳の中でいろいろなイメージを組立てて、自分の記憶をたぐりよせます。
そうして、強引に人間の姿や顔だと認識するのです。
ここに滝の写真があります。
気味の悪い音楽などをかけておどろおどろしい雰囲気を出すと、この中に怖い幽霊の様な姿を思い浮かべる人が多いでしょう。
逆にヴィバルディの〈春〉の様な清々しい音楽をBGMにすると、気持ち良いイメージで、そこに恐ろしい姿を見ようとする人はほとんどいないと思います。
どこをどう見ても太陽は東から登って西に沈む様にしか見えないのに、調べてみると太陽は動いていなくて、私たちの地球の方が動いていた、というのが正しい姿だったのです。
つまり〈その様に見えるのだから確かにそうに違いない〉とか〈見えるのだから確かに存在する〉というのはとても不確かなことなのです。
いろいろなことにダマされることは、とても怖いことです。自分も不幸ですけど、周りの人も不幸にしてしまうでしょうあ。「何が正しいのか」は科学的に見る・考える力が必要になってきます。
たのしく学んで、賢くなっていく中で、次第に「ダマされない人間」「何が正しい姿なのかを慎重に考えていける人間」になっていくと思います。
たのしい教育研究所の講座、授業で、それを一緒に学んでいく人たち、そしてそういう授業ができる人たちを広げていきたいと思っています。
毎日たのしい教育に全力投球、RIDE( ライド:たのしい教育研究所 )です。
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