最新のメルマガで紹介した「イコールの意味」が好評です。たのしい教育研究所を強く支えて下さった師の板倉聖宣が40年以上前に大学の講義で語った内容です。
ちなみに板倉聖宣は〈科学史〉の専門家でしたが、もともと算数数学に興味関心が高く、数学者の小倉金之助(おぐらきんのすけ)の研究を通して、さらに算数数学の見識を高めていきました。
この話は板倉聖宣が愛媛大学の教育学部で1975年に語った内容です。出典はキリン館〈たのしい科学の伝統にたちかえれ〉です。
たのしい教育の発想法「イコールの意味」
板倉聖1975
板倉
これから〈科学のもっとも基本的な概念の成立と発展〉ということを取り上げる前に、数量の概念の問題について少し話をしておきたいと思います。
量の概念を一番はっきりさせるには「等号の概念」が問題になります。
小学校の低学年だと「3+2=5」「3たす2は5」といいます。
「=」は「は」という、実はこれは難しいことです。
化学では、あるものが熱分解したとき□→○+△
という様に矢印で書くのはわかるんだけれども、これが
□=○+△
という様にイコールになっちゃうのはなぜなのか。
「イコール」って何ですか?
イコールというのは「等しい」ことでしょうか?
等しいというと「AはA」、これは等しいですね。しかしこんなことばかり書いたらどうなりますか。
5=5
z=z
私=私
こんなこと書いていても全然おもしろくない、馬鹿らしい感じですね。
「私=私」というときでも〈きのうの私は今日の私にあらず〉、あの約束は昨日の私がしたのであって、今日の私が約束した覚えはないというように考えれば「私=私」というのはバカバカしいことではなくなります。なぜなら「今日の私」と「明日の私」とは一応違うことが前提となっているからです。
イコールは〈違うから意味がある〉のです。
「等しい」と表すのは〈一見等しくないはずのものが等しいからだ〉ということです。だからわざわざ表記する意味があるのです。
きのうの私と今日の私はなんらかの意味で違う。だからそれが「等しい」ということが意味を持つんです。
〈3+2〉というのと〈5〉というのはなんらかの意味で違うから「=」が意味を持ち新しい発展があるのです。
これを〈3+2=3+2〉なんて書いても全然発展しないし、5=5と書いても全然発展しないのです。
板倉聖宣が残した〈たのしい算数〉の授業書がいくつか残されています。
興味のある方は、授業のかけ方を含めてスーパーヴィジョン可能です、お問い合わせください。
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