あきらめる=寛容の精神

今日発行のメールマガジン『教師は辞めても たのしい教育&映画はやめられない』第177号に板倉聖宣「落ちこぼれる権利」という話を掲載したところ、さっそく反響が届いています。

「今でもかけざん九九ができない」
と語る板倉聖宣の個人的な体験からはじまって、寛容の精神へとつながる、読み応えある内容です。

うしろの部分を切り取ってお届けしましょう。

「あきらめる」というと悪いことのようですが、これは美しい言葉で言い換えると「寛容である」ということです。
外国、特にイギリスなんかでは「寛容」が重要な徳の一つです。
「あの人は寛容の人だ」という様にすごくほめられるんですが、何のことはない、「寛容」というのは「あきらめること・断念すること」なんです。
ヨーロッパで特に寛容ということが大事なのは、もうにっちもさっちも行かないことがたくさん起こったからです。
宗教的な問題があったりなんかすれば「殺されても動かない」という人々がたくさんいるわけです。
ですから、断念すること、それを「徳」という形にしてきたんです。

たのしい教育は単なる方法論ではなく
そのものが目的です。
沖縄から全国へ、そして世界の教育へ
「たのしい教育研究所」です

予想論|すべての科学は古代ギリシャに通ず!

1日の閲覧数が1000件を超える勢いに驚いています。

小さな「たのしい教育研究所」の活動がじわじわと浸透してきている事を素直に喜びたいと思います。

さて、閲覧してくれる方達が増えてくることと比例して、感想や質問もいろいろ届きます。

昨日の記事「エノコログサを食べようと思います」に書いたヘラクレイトスの言葉について教えてもらいたいという方が複数いましたので、出展を掲載します。

ヘラクレイトスは紀元前5世紀あたりの人物で、わたしが常々
「すべての科学は古代ギリシャに通ず」
と語っている、その古代ギリシャで活躍した人です。

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わたしはその言葉を、板倉聖宣「科学と方法-科学的認識の成立条件-」中の「予想論」で知りました。

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板倉聖宣「科学と方法-科学的認識の成立条件-」季節社 1969 から

 

この「科学と方法」は名著ですが、残念ながらもう出版されていません。

古本として手に入れることになるかと思います。

たのしい教育研究所を応援してくださる方達向けのメールマガジンで以前詳しく紹介したのですけど、まさに科学的認識の原点だと思います。

メールマガジンでは今では手に入らない重要な資料も積極的に紹介しています。
興味のある方、たのしい教育活動を応援してくださる方はぜひお申込みください。

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沖縄の教育、全国の教育、世界の教育をたのしくしたい
「たのしい教育研究所」です

私のゆめ、大きなゆめ 2015.1031加筆

今週号のメールマガジン第176号のまえがきに書いた「私のゆめ、大きなゆめ」という文章が好評で、いろいろなメールが届いています。

その夢の話を語ったのは、仮説実験授業研究会の代表であり、日本科学史学会の会長でもある板倉聖宣です。この研究所を立ち上げた当初から強く応援してくださっている人物です。

板倉聖宣がかつて語った夢の話が、今のたのしい教育研究所の活動ととても重なることが多いのです。会員限定の内部情報も入っているので、そこは除いて、少し書き抜いてみます。

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板倉聖宣が1964年に書いた「私のゆめ、大きなゆめ」というメモのコピーがあります。それは今の私たちの研究所の夢と重なります。

書き写してみます。

 私は大きなゆめを描くのが好きだ。
 けれども、実現できもしないようなゆめはつまらない。
 実現できそうもなくて、しかもできそうなゆめ、そういうぎりぎりの大きなゆめを描く。そして、そのために全力を挙げて奮闘する。こういうことは、たいへんたのしいことだと思う。
 仮説実験授業という一つの新しい教育の実践的試論もそのような大きなゆめから生まれた。
 はじめ、そのゆめは、できそうもなくて、しかもできるかもしれな、ぎりぎりの大きなゆめだった。
 それが実現できた。
 その喜びは一生忘れないだろう。
 それでは、今までに一応実現できたということはどんなことであろうか。
 新しいゆめに向かってつき進むためには、今立っている地盤についての共通の理解が必要とされるだろう。
 第一のゆめは、〈すべての子どもたちが積極的に参加しうる授業の内容と形態をつくりだす〉こと。これからは、一つ一つの教材のすべてについて、それを確保するようなテキストを作成していくことが重要である。
 第二のゆめは、〈一切のおしつけを排除した授業を展開する〉ことであった。

板倉聖宣1964年のメモ『仮説実験授業いま・むかし』より

「たのしい教育研究所」は、応援してくださる皆さんのおかげで沖縄の教育界に着実な一歩を刻むことができたと思っています。

教師をやめようと決心するとき、身近な友人たちにそれを語ると、今でも不思議なのですけど、周りの人たちは
「やっと夢に向けて一歩踏み出すのですね、応援します」
という声がほとんどでした。

長年一緒にたのしい教育のサークルをしていたHIさんは、病床で、私のことを友人達に
「彼は当然のことだよ、一緒に応援しよう」
と語ってくれたといいます。
後で聞いて涙しました。

だからこそ私は一人で
一人の教師が下野して何ができるのか?
公務員生活がしみついた人間が社会の荒波の中で大したことができるわけがない!
夢だけでは仕事はできない!
どうしてそんなに安定した生活を捨てる必要があるのか?
強く問いかけてきました。

が、その結論が今の「たのしい教育研究所」です。

その「たのしい教育研究所」も、いよいよ第二の夢に向かって歩いて行く時期に入ったようです。

個人的には「ものかき」を目指しつつも、この研究所をさらに発展させる次の具体的な目標を定めることにしたいと思っています。大きな一歩のはじまりとしての秋になりそうです。
今週もみなさんの応援を全身に受けてメールマガジンを綴っています。
感謝を込めて、お届けいたします。

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沖縄にとどまらず広く教育の根本から
たのしさを追求する「たのしい教育研究所」です

真理に至る道|飛び安里 研究前段 

前回の「リリエンタールより先に翼を身につけて飛翔した男が沖縄に居たかもしれない」という話の反響が届いています。

リリエンタールの飛翔

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飛び安里の挑戦の一コマ(想像図)

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どうして「リリエンタールより先に飛んだ」と書かないのか、については、同じ沖縄の方たちからお叱りを受けるのかもしれないという気持ちもしています。

しかし、それは真理を求める人間としての根幹に関わる大切なことでもあるのです。

 

意外に思う人達が多いと思いますが、

「研究は〈事実から出発してはいけない〉」のです。

事実はとてもたくさん転がっています。

太陽が東から登って、西の空に沈むことも私達の目の前に起こる事実です。
しかし実は、太陽が動いているのではありませんでした。

「飛び安里」でいえば、こういうものを創ったというレプリカまであり、石碑にも刻まれ、そういう言い伝えもあるのです。つまり我々の周りに事実がたくさん転がっているのです。
しかし「だから正しい」といってはいけないのです。

何から出発したらよいのか?

「仮説から出発する」のです。

「もしも飛び安里のいい伝えが事実だとしたら?」⇒「こういうことが予想されるはずだ」⇒「その証拠がみつかるだろうか?」というワークで確かめるのです。

あるいは
「それが間違いだというなら、こういうことが予想されるはずだ」ということで反証的な研究もあります。

その手法は自然科学の手法と同じです。

「◯◯と言われている」から正しい、ということで始まる研究は研究とは言えません。

真理はこちらの思いを超えていることが多々あるのです。
また、自分が正しいと考えたから正しいというような証拠をたくさん探してしまうこともあります。

そうやって数々の誤謬、一見正しそうに見えて実は間違っているということが起こるのです。

ですから、真理に至る道は「予想をもって問いかける」ことなのです。

沖縄の教育に全力投球
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