星野道夫の生き方はわたしにとって輝きに満ちています。船で北米大陸に渡り、40日かけてバスやヒッチハイクでアメリカ・カナダ・メキシコを旅したのが彼の16歳のころ。その約10年後、アラスカに渡り、全く手つかずの自然(ウィルダネス)を描き出した美しい写真とかざらない文章を私たちに届けてくれました。1996年、テントを襲ったヒグマによって43歳の生涯を閉じます。
結びつかないという気がするかもしれませんが、わたしが「たのしい教育研究所」を設立するというとき、大きな勇気を与えてくれてたのが、その星野道夫の生き方です。ですから、たのしい教育研究所は星野道夫との出会いによって大きな一歩を踏み出した、といっても間違いありません。
小学校で理科専科をしていた頃、「きゆな先生は星野道夫好きだ」ということを生徒から耳にした担任の先生から、その頃ちょうど国語の教科書に載っていた星野道夫をテーマにお話しをしてほしいという依頼がありました。星野道夫が歩いたフィールドを自分で訪ねて撮って来た写真や、その時使ったキャンプ道具を手に熱く語った日の子どもたちの目の輝きもしっかり覚えています。
先ごろ、ある人に星野道夫の話をしたところ、ぜひ作品などを紹介してほしいという便りが届きました。返事に添えた写真をいくつか紹介いたします。
星野道夫という名前がつくものは書籍だけでなく雑誌も購入していますから、彼に関するかなりのものを手にしていると思います。これは2013年、たのしい教育研究所を設立して一年目に発行されたBe・Pal誌からです。タイトルが「子どもたちに伝えたい 星野道夫」です。
これはもしかすると教科書にも載っていたかもしれません。アラスカでオーロラをおいかけていた星野道夫の写真です。アラスカ山脈へ とありますが、このバックに写った山の感じでは、ブルックス山脈の間違いではないかと思います。
たしか星野道夫の「風の様な物語」の中にあったと覚えているのですけど、「アラスカのマイナス40度以下の世界で小屋から出て外のトイレにいくのがとても辛くて、いつか家の中にトイレのあるところで住みたいと思っていた」という様なことを書いていました。10数年前フェアバンクスを訪ねた時に、星野道夫が建てたログハウスを見たくて、タクシーでその場所に向かおうとしたのですけど、運転手にはその要望の荷が重かった様で、時間をかけましたが、結局直接訪ねることはできませんでした。ただし、そのログハウスの写真はいくつも目にしています。ただし、初期の頃住んでいたという小屋は想像するだけでした。この雑誌で、はじめて、彼がはじめの頃に住んでいた木屋の写真を目にしました。
彼のエッセイ集で一番すきなものが「旅をする木」です。今も発行されているかどうかわかりませんが、文春文庫刊です。おすすめします。
たのしい教育は限りなくたのしく
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