学校にはいろいろな目標や決まりがあって、もちろんクラス担任としてそれを子ども達に伝えていたのですけど、わたしが公立学校でクラス担任をしている時のクラスオリジナルの目標ときまり(ルール)は、たいてい一つずつしかありませんでした。
目標「たのしくいこう!」
きまり(ルール)「自分がやられてイヤなことは、周りの人にもやらない様にしよう」
です。
それぞれ、クラスのみんなの確認をとって丁寧に決めていくことになるのですけど、一度も否定されたことがありませんでした。
教務主任で授業は理科専科を担っていた時も、理科室オリジナルとしてみんなと確認して掲げていました。
そして、何か困ったことが起こった時、トラブルが発生した時には、みんなで確認したその目標やルールを確認することでおさまっていきましたから、今でも、わかりやすくてとても価値ある二つだったなと思っています。
さて、ある学校で高学年を担当していた時です。
ある時、クラスのリーダー的存在で、たよりになるYくんが、私の手伝いをしてくれている時です。
「先生〈自分がやられたら嫌なことはやらない〉ってことだけど、それは逆に言うと〈自分がやられてもいいと思うことは周りの人にしていい〉ということになるのかなぁ・・・」
みなさんはどう思いますか?
算数・数学の「集合」は嫌われているジャンルの様ですけど、論理的に物事を考える時にとても役立つツールです。
Yくんに図(ベン図・ヴェン図/Venn diagram-ヴェン ダイヤグラム)を描いて話をしました。わたしは思考にカクカクがなじまない気がするので円とか湾曲した図をよく描きます。
自分の周りに起こることをこの囲いで表すとするよ。
そしてこのマルが「自分がして欲しくないこと」ね。
自分の周りで起こることは、して欲しくないことの他のことを考えると、もちろん「して良いことか」もあるけれど、それ以外にもいっぱいない?
・偶然起こること
・どっちでも良いこと
・時と場合によって違うこと
・家族ならOKだけど、周りの人にはNGなこと
・できればどんどんしてほしいこと
・自分はOKでも、他人に取ってはNGなこと
ほかにもいろいろね。
だから「してほしくない」以外は全て「していい」ということは成り立たないと思うのだけど、どうだろう?
今回のこのルールは「して欲しくないことは他人にもしない」という、とても限定したもので、行動って、それ以外にもいっぱいいろいろなことが考えられるから、「やっていい」ということを確認するには、他の条件もたくさんクリアーしなければいけないと思うのだけど。
Yくんはかなり真剣な顔で考えていました。
その後すっきりしたのかどうかわかりませんが、相変わらずリーダーとして、とてもいい動きをしてくれました。
たのしい思い出の一つです。