日本中に「たのしい教育」を普及したいと日夜元気に活動している『たのしい教育研究所』には、応援団の方向けのメールマガジンを毎週発行しています。
毎週金曜日、この記事を書いている今日が最新号211号の発行日でした。
内容は大きく4つの章に分かれます。
今回の「たのしい授業の発想・思想・哲学」は、たのしい教育研究所の根幹に関わる大切な内容を取り上げました。
たのしい教育研究所の授業・講座は、何か不思議なもの、大掛かりなもので引きつけて、「自分でも考えてみてくださいね、サヨウナラ」という様なものではなく、参加してくれた人たちが、その授業の内容が感動的に分かる・理解できることを基本理念にしています。
私が、学校で授業をしていた時の内容をさらにグレードアップして届けようとしているわけですから、見世物的なものではありません。
ある時、わたしの忙しさを知っている方から
「きゆなさんが飛び回るのではなく、他の組織と協力して、その人たちに授業をたのんだりすればよいのではないか」という話がありました。
しかし残念ながら、たのしい教育研究所の活動ははじまってまだ四年です。「たのしい」という基本理念がいろいろな人たちに伝わるのはこれからのことですし、理念が伝わったにしても、その人が、参加者から100パーセント近い満足度を得ることができる「方法・技法」を持っているのかどうかはわかりません。
たのしい教育研究所の提供する授業・講演、講座等は、まだ他を持って充てることは難しい、と言わざるをえません。
仮説実験授業研究会の代表、日本科学史学会の会長 板倉聖宣が、1983年、今から30年以上前にこういう話をしてくれています。当時大学の4年次だった私は、その話にとても驚きました。
メールマガジンのに載せた板倉聖宣の話の一部を載せてみます。
科学のすばらしさの話をすると、たいていの人は
「そう、科学って本当にすばらしい」
と質成します。しかしその時たいていの人が頭に描いているのは、
「誰か頭のいい科学者のすばらしさ」
と、もう一つは
「科学が発見した自然の美しさや、その科学にもとづく技術的発明のすばらしさ」
のどちらかです。
でも、それでは全く不十分です。
いや、それだけでは科学というものはスバラシイのかイヤラシイのかわからなくなってしまうとぼくは思うんです。
「その科学が自分のものとなりえた」
ということにならないと、
「自分にとって科学がすばらしい」
とはいえないと思うんですね。
〈科学を自分のものとできた〉そういう〈自分自身のすばらしさ>といったものが認められるようにならないと、それは科学のすばらしさとは言えないのじゃないと思うわけです。
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