日本だけでなく世界の教育の歴史の中で初めて「たのしい教育の重要性』を体系づけたのは間違いなく仮説実験授業研究会代表(日本科学史学会会長)の板倉聖宣です。板倉聖宣のかつての講演『学習意欲を高めるたのしい授業』の一部をお読みください。
今ご紹介頂いたように国立教育研究所というところで、主として自然科学の歴史に関する研究に従事しております。もっとも最近は「日本の歴史の授業」も始めております。「美術の授業」にも関心を持っております。 今さっき紹介いただいたように、亡くなられた遠山啓先生などと一緒に『ひと』という雑誌をやってまいりました。
さて今回は「学習意欲を高めるたのしい授業」というテーマですけども、こういうテーマの話が講演会で行なわれることはあまりありません。日教組のスローガンにしても、文部省の合言葉にしても、だいたい「たのしい学校」というようになっています。「たのしい授業」とはなかなか言いません。授業はなかなかたのしくならないけれども、学校はたのしくなる。休み時聞は友だちがいますし、勝手なことができますから。学校へ行かないと孤立してしまいます。けれども、学校へ行けば少しはたのしいことがあるだろう。だから〈休み時間ぐらいはたのしくできるようなことがいいなあ〉ということだと思います。今のところそういうスローガンが日本の教育の現状に一番あっているのかもしれませんが、私のように教育の研究をしている人聞からすると、「もう少し何とかならないだろうか」という気がいたします。
わたくしどもは「たのしい授業」ということにこだわっております。
「たのしい授業ができればそれにこしたとこはない」というのはだいたい誰でも一致していて問題ありません。しかしちょっと話が進みますと「たのしい授業なんかできっこない」と考えられているようです。しかも「そういうことができないといけない」となると今度は、「それは生徒に迎合することであって、そんなことをしたら生徒はますます勉強しなくなってしまう」というふうに考える人たちが出て来ます。勉強というのは、読んで字のごとく強いて勉めている。「勉める」という字はく苦しいということです。だから、〈もともと苦しいもの〉である勉強に〈たのしさ〉を求めるなんていうのはまちがっている、というわけです。
子どもたちがそういうふやけた気持になっているからいけない。教師がそれに迎合するとは何事であるか。というような考えを大なり小なり持っておられる方も少なくないと思います。しかし、本当にそうなんでしょうか?
1979年12月 山口県 岩国市民会館 にて
たのしい教育研究所の授業は、板倉聖宣のこの問題意識
勉強というのは、読んで字のごとく強いて勉めている。「勉める」という字はく苦しいということです。だから、〈もともと苦しいもの〉である勉強に〈たのしさ〉を求めるなんていうのはまちがっているのでしょうか?
という問題意識を受け継いでいます。そしていろいろなところで〈たのしく賢くなる活動〉を実施しています。そこに参加して下さった皆さんは〈たのしいからこそ本質的な賢さがみについてくる〉ことを体感してくれています。興味のある方はぜひたのしい教育研究所の授業にお申込みください。
たのしい教育研究所の授業は代表の喜友名の授業だけで計算しても年間70〜80本ほど、研究所の所員の授業を合わせると150本ほどの授業を実施しています。多くは学校等によばれたり、教育関係者限定の授業などですが、一般向けの大きな授業も年間10本ほどは実施しています。
その一本が、8月に北谷町と那覇市で実施する授業です⇒こちら
りゅうぎんの主催(那覇市教育委員会・北谷町教育委員会後援)事業で「小さな世界をたのしもう」を実施します。一緒にレーウェンフックがひらいた〈小さな世界〉をたっぷりとたのしみましょう。〈沖縄からノーベル賞を!〉の意気込みで準備をすすめています。昨年は保護者の皆さんも立ち見でも良いからということで会場に入り、一緒にたのしんでくれました。
6月26日申し込み開始です。ゆっくり時間のある時に申し込もうとすると、定員に達してしまうおそれがあります。興味のある方はぜひお申込みください。56年生対象です。
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