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コップでプラ板/こっプラ板 の哲学的な見方

 プラスチックの形状記憶特性を利用したのが〈プラ板〉だという話にいくつもメールをいただきました。プラ板をたのしんでいる時に子どもたちから「ねぇ先生、どうしてこうなるの?」という質問が来て、それにやっと答えることができます、という内容がほとんどでした。


 ただし〈理屈を説明できないとたのしめない〉ということは間違いです。それを認識しておくことはとても重要です。

 そういう現象をそのままたのしむという段階でも十分価値があるからです。そのうちに、前回書いたような実体論的な仕組みを知りたいという人たちも出てくるでしょうし、さらにそれを超えて〈プラスチックだけでなく全ての物質についてもそういう性質があるのか〉という本質論的な段階が気になる人たちも出てくるでしょう。

 しかし〈プラスチック板がくねくねして縮んでいく〉という現象的な段階をそのままたのしむことの価値が減るわけではありません。色を塗ると鮮やかなデザインになることを発見した人は、実体論や本質論を追求した人ではなく、くねくね縮むという現象をたのしんだ人に違いありません。その現象をたのしんでいる人でなくては、その現象のすばらしさは発見できないでしょうし、さらに工夫していろいろなデザインを創っていくはずはないからです。


 まずは〈たのしむこと〉が優先でよいのです。
 たのしむことよって、人間はそこからいろいろなものを学んでいきます。
 それは技術的なものだけではありません。
 周りの人たちとの人間関係や気持ち的な豊かさ、生きがいまで高まる人もいるでしょう。

〈これを学ばせる〉〈これができるようにする〉優先の教育は日本だけでなく世界の主流です。それを〈たのしさ〉優先の教育に変革していく。
 それがRIDE( ライド:たのしい教育研究所 )の活動です。
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