かつては活字中毒で、読書が欠かせない日々だったのですけど、教師を退職して起業してからというもの、絵に描いた様な忙しさで、趣味の読書というものはほとんどする時間がなくなりました。
今年通算4年目、第二ステージに入る四月から少しずつ意識して読み始め、やっと昨日、文庫本を一冊読み終えました。
とてもおもしろかった。
このままかつての読書三昧の日々に戻ったらどうしようという不安を少し抱えながらも、本という文化の素晴らしさを再感しています。
手にした作品は東野圭吾の「ナミヤ雑貨店の奇跡」角川書房。
気軽に読めそうな上に、ヒット作というので出張にかかえていきました。
後半に行くに従って各章の関係が明らかになっていく仕組みになっていて、本のたのしさを味わえます。
さて、ずいぶん久しぶりの趣味の読書のせいでしょう。
本のいろいろなところが気になるものです。
作品とは別に、本の最後に書かれた文章に強く感動しました。
学生の頃読んでいて感動したのですけど、その感動をさらに深く感じます。
皆さんもきっと目にしていると思います。角川文庫の最後の頁、「角川文庫発刊に際して」と題した文章です。
角川の発行する全ての文庫に記されています。
文庫にあるくらいだから、単行本にはもっとしっかりした文章が記されているだろう、と思うかもしれません。
しかし、出版に対する熱き思いが記されているのは、文庫のみです。
それは、これから書き起こす文章を読んでいただければ理解できると思います。
書いたのは角川書店を設立した人物、角川源義(げんよし)。
彼の熱き思いがみなぎる文章、名文です。
そしてこの言葉は、さらに注目してよい言葉だと思います。
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角川文庫発刊に際して 角 川 源 義
第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。
西洋近代文化の摂取にとって、明治以後八十年の歳月は決して短かすぎたとは言えない。
にもかかわらず、近代文化の伝統を確立し、自由な批判と柔軟な良識に富む文化層として自らを形成することに私たちは失敗して来た。
そしてこれは、各層への文化の普及滲透を任務とする出版人の責任でもあった。
一九四五年以来、私たちは再び振出しに戻り、第一歩から踏み出すことを余儀なくされた。
これは大きな不幸ではあるが、反面、これまでの混沌・未熟・歪曲の中にあった我が国の文化に秩序と確たる基礎を齎らすためには絶好の機会でもある。
角川書店は、このような祖国の文化的危機にあたり、微力をも顧みず再建の礎石たるべき抱負と決意とをもって出発したが、ここに創立以来の念願を果すべく角川文庫を発刊する。
これまで刊行されたあらゆる全集叢書文庫類の長所と短所とを検討し、古今東西の不朽の典籍を、良心的編集のもとに、廉価に、そして書架にふさわしい美本として、多くのひとびとに提供しようとする。
しかし私たちは徒らに百科全書的な知識のジレッタントを作ることを目的とせず、あくまで祖国の文化に秩序と再建への道を示し、この文庫を角川書店の栄ある事業として、今後永久に継続発展せしめ、学芸と教養との殿堂として大成せんことを期したい。
多くの読書子の愛情ある忠言と支持とによって、この希望と抱負とを完遂せしめられんことを願う。
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いかがでしょうか。
角川源義とはどういう人物か?
彼は教師でした。
ウィキペディアにこうあります。
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一九四九年五月三日 城北中学校教師を経て、1945年(昭和20年)11月に
東京都板橋区小竹町で角川書店を設立した。 http://ja.wikipedia.org/wiki/
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1917年に生まれ、1975年に他界。
戦争を真ん中に体験しながら、新しい時代をリードして強く生きようとした人物でした。
いつか彼の事を深く調べてみたいと思っています。
この発行に際しての言葉が綴られているは角川文庫だけではありません。
岩波も、そしていろいろな「新書」にも、それを創刊した時の思いが最後の頁に綴られています。
ちなみに、たのしい教育には欠かせない「月刊 たのしい授業」仮説社 には創刊代表「板倉聖宣」が、年度が改まる4月ごとに「続刊のことば」として思いを語っています。ちゃんすがあればぜひ手にしてみてください。
たのしい教育・楽しい授業・仮説実験的カウンセリング・本物の教員採用試験対策に全力投球のたのしい教育研究所です。