たのCafe5月大いに盛り上がる その(0)「たのしい教育の発想法」

たのしい教育Cafeの5月も大いにもりあがりました。
スクリーンショット 2015-05-14 10.24.03 今回、私が「たのしい教育の発想法」を発表する予定でしたが、内容がいろいろあったので次回に回すこととなりました。

発表原稿はできています。
今週号のメールマガジンにまとめた一部をとりあげた内容の抜粋です。

それをレイアウトして印刷してみてびっくり。
A3版のびっしりと埋まった内容が2枚になりました。
メールマガジン全体はこの写真の約2倍以上になりますから、我ながら毎週毎週かなり書きこんでいるのだなぁ、と感心しています。

スクリーンショット 2015-05-13 18.01.42スクリーンショット 2015-05-13 18.05.47
今回のたのCafe用に抜粋したレポートは、板倉聖宣が30年前に書いた記事を文字起こししたものです。
今でも色あせしない、迫力に満ちた内容です。

たとえばこの一文を読んだだけでも、わたしは身が引き締まります。

————–
 私は子どもたちが「楽しい」と感じることの中には必ず本質的な理由があると思っているのですが,時によってはその楽しさの理由を勘違いするという可能性があります。
 子どもたちだって,
「何でこれが楽しいのかわからない」ということがたくさんあります。そしてさらに,その楽しさの結果起きるかもしれない事態についても考えておかなければなりません。
 ベッコウ飴で虫歯になるかもしれないし,火傷などのいろいろな事故が起こるかもしれない。そうなったら,ベツコウ飴を教えることによって,よりすばらしいものを教えるチャンスを逆に奪う可能性だってある。
 だから私たちは自分たちの思いに引きずられることなしいつもクールに,そして責任を持って行動できるようでありたいと願っております。
 したがって,私たちの研究の仕方そのものが仮説実験授業の形態のようでなければならないのです。
 たんに授業の中で問題を出し,予想をたて,討論し,実験するというだけでとどまるのではなし私たち自身の問題を出して予想を立て,いつもビクビクしながら実験の結果を見つめる。
そして,「ああ,自分のこの考え方でよかったんだ」と確認したり,「いや,ここは間違っていた」ということを確認したりして進んでいくのです。
     ————–

たのしい教育研究所の、その「たのしさ」が、しっかりと責任のとることができる上質なもの、教育的に重要な内容のあるものかどうか、丁寧に確かめながら、一歩ずつ歩いていきたいと思っています。
Kiyuna筆

賢くなる方法があります。

どこかに書いたかもしれないけれど、賢くなる方法について書かせていただきます。

「そんな方法があるの?」
という方にはハッキリと
「あります」
と答えます。そして、「しかも確実に」と加えます。

ここでいう「賢さ」とは、試験の点数が◯点以上とか、そういう狭い世界の話ではありません。
経験したことのない新しい課題に遭遇した時に、それを解決していく力のことです。
今回はそのことを書かせていただきます。

かつて教育政策研究所の室長を務め、現在は板倉研究室の室長 板倉聖宣 が50年ほど前に「予想論」という論文をまとめています。

スクリーンショット 2015-05-12 20.33.20               ※季節社「科学と方法」収録

「予想を立てることの決定的重要性」について述べた論文です。

これを丁寧に読むと、
「人間が賢くなっていく過程も予想をもって問いかけ、それを丁寧に確認することのみである」
と結論づけてよいということがわかると思います。

わたしが学校現場で関わってきたたくさんの子ども達にも、それから講演や講座、授業で飛び回わる中、関わってきたとてもたくさんの方達にも伝えているのは、そのことです。

「予想しなければ予想以上のことは見えない」のですから、新たなる課題を新たなる手法で解いていくにも、予想は必需です。
ですから「賢くなるためには予想しなくてはならない」のです。

幸不幸は抜きにして、誰かが言ったことをそのまま全部受け入れて、その通り真似ていけばすむ人生なら、賢さは要らないかもしれません。
たとえば、閉ざされた家の中から一歩も外に出ない人生の中で、その家の中のいろいろなことを知っている親から教えられたことを、その通り守っていれば、怪我もなく安全に過ごせるのかもしれません。
しかし、新たな課題に遭遇し、それを自分の力で解決していく賢さは、そういうことでは身につかないのです。

日頃から、いろいろなことに「予想」を立てて、その予想が当たっているか、間違っているかを丁寧に「問いかける/確認する」ことによって、別ないい方でいえば「実験」の精神で人生を生きていくことによって、間違いなく人間は賢くなっていきます。
科学が、そうやって数えられないほどの、素晴らしい文化・財産を積み上げてきているように、です。

「わたしだって四六時中、予想を立てているよ」という人がいるかもしれません。
しかし、あなたが立てた予想が、正しかったのか間違っていたのかハッキリわかる形で立てることはなかなか少ないのです。

1.正否がわかる形で予想を立てる
2.それを丁寧に確かめる
これが「賢くなる秘訣」です。
そして、これのみによって賢くなるとわたしは思っています。

A「今は9:50分くらいだろう」
と予想して時計をみれば、それがかなり近いのか、かなり外れたのかわかります。しかし
B「今は何時頃だろう?」
ということで時計を見ても、それは予想ではありません。

もしもあなたが「時間」について周りの人たちよりずっと賢くなりたいと思うなら、ぜひ上の方法を試してみることです。
そんなに難しいことではありませんね。

わたしはカウンセラーもしているのですけど、カウンセリングの中でもこの手法は必需です。
「あなたが、そう声をかけることでで、彼は嬉しい顔をみせてくれるでしょうか?」
と問いかける。
それを試した結果は、ハッキリとでます。

他にも、いろいろな形の「予想」があります。

何か興味関心の高い物事について、「予想を立ててみる」といいのです。

1.正否がわかる形で予想を立てる
2.それを丁寧に確かめる
これが「賢くなる秘訣」です。

Kiynua筆

アラン・チューリングという人物

コンピュータ研究の世界で最も権威ある賞がf7de2a35279462aca1f5fd0acc435bc7「チューリング賞」です。

賞に名を残すほどの業績を残したアラン・チューリングは、ずいぶん前からわたしの関心の強い対象です。

教師をしていた頃、教務を担当していたので、週報imagesといって1〜2週間の学校の予定を先生方に配っていました。

その週報の後ろに「樹楽庵コラム」としていろいろなことを書いていて、その週報にもチューリングのことを書いたことがあります。

 

樹楽庵コラム<ブック・レビュー> 080428記

○「皇帝の新しい心/ロジャー・ペンローズ/みすず書房」

ここ二年ばかり脳のしくみにすごく興味があって、自分なりに「なぜ人間に心が生まれたのか」っていう問題が解決ついてしまったのですけど、考えるきっかけになった本があります。
といってもこの本とわたしの結論としてはぜんぜん違うものとなったのですけど。
ロジャー・ペンローズの「皇帝の新しい心」です。 Unknown2
この本は「コンピュータに心が生まれるのか」という事をすごく真っ当に書いた本です。ちなみにペンローズという人は現代で10本の指に入るくらいの著名な科学者です。

宇宙で有名なホーキングと二人でブラック・ホールの研究をまとめた人で、彼無しにはホーキングは自分の研究を完成させる事はできませんでした。  

本の中でペンローズは「コンピュータA.I.に心が説明できるわけがない」と結論づけていて、その点はわたしの結論も同じです。

決定的に違うのは、彼は<量子論>で説明しようとしているのに対して、わたしの結論は情報処理の進化の過程で必然とした芽生えたものだということです。
説明に時間がかかるので、そこの部分は飛ばしておきますが、個人的には説得力ある説明だと思っています。

いつか論文にします。
ペンローズの量子論的な説明は歯切れが悪い上に難解です。
おそらくペンローズ自身、あまり納得できてないのではないかなと思います。
まあそういうのはおいといて、とてもおもしろかったのが、彼がこの本の中でチューリングに触れた文章です。
「壁の向こうの相手がコンピュータなのか人間なのか見分けるには、相手にどういう質問をなげかけたらよいのか?」
という問いがあります。

facom9450人間だから「声」で返ってくるからすぐにわかる、というかもしれません。
そうではなく、こちらがパソコンのキーボードに質問を書き入れて、答えもコンピュータの画面上に文章で返ってわけですよ。
その文章を読んで、「あ、こいつはコンピュータだな」と見分けることができるでしょうか?

これは、チューリング・テストと言ってコンピュータの世界では有名な問題です。
たとえば「10たす4は?」って質問を打ち込むと、相手が<人間>の場合でも<コンピュータ>の場合でも「14」って答えが返ってくる可能性はありますね。
ですからそういう類の質問では相手がコンピュータなのか人間なのか見分けることはできません。

「赤って何?」って質問を打ち込むとどうでしょう?
 コンピュータに最大規模の辞書でも丸覚えさせておけばよいわけですから。
「血液の色」とか「三原色の一つ」とかっていう言葉がどちらからも返ってくる可能性があります。
これでも、相手が人間なのかコンピュータなのか見分けるのは難しいでしょう。
何せ相手は膨大な知識を正確に蓄えるコンピュータなのです。

そういうコンピュータに対して、こういう質問をしたら明らかに「人間とは違う答えが返ってくる」。
つまり「壁の向こうにいるのは人間じゃなくてコンピュータだな」って分っちゃう質問ってなでしょう?

わたし的にはずいぶん興味深かったので、本をとじて考えてゆっくり考えてみたんですけど、やっぱりけっこうおもしろかった。

 みなさんも考えてみませんか? 

答えはいずれ書くことにしますね。正解に近い方にはチョコ一粒プレゼント。

こういう文章です。

最初に書いたように、アラン・チューリングは今あるコンピュータの基礎に確固たる位置を記した人物です。
彼の生涯を映画化した作品が今公開中です。
「イミテーション・ゲーム」です。Unknown3最近、大きな仕事を一つ終えたので観に行こうと思っています。

Kiyuna

まど・みちお の感性

まど・みちお は私にとって特別な人物です。1-3
わたしの考え方の重要な尺度となる人物です。

この人の「良心」を前に、身が引き締まる気がします。

昨年、104歳で他界しました。

まどさんは、詩が有名ですけど、エッセイもとてもよいのですよ。

まどさんの「百歳日記」にこういう文章があります。

content子どもっていうのは、生まれた直後から数年は、昔もいまも同じじゃないでしょうかね。
いまの子どもたちが違って見えるのは、周りの空気がまるきり違うから。
空気っていうのは天然のエアーもそうだけれども、周りの人たちの感じも昔とは違いますからね。でも詳しいことは私みたいな素人にはわかりません。
子どもはとにかく発想が面白です。
私なんか、どんなに頑張ってもかないません。
子どもたちの出てくるテレビの番組をときどき見ても、みんな先生のまねをしているようで、ひとりとして同じことをしていないですね。
 あさってのほうを見ている子もいますし、本当に みんなそれぞれ美しい個性を発揮している。
 ああ、さすがに子どもだなあと思います。

みごとな感性です。
こういう感覚で教育に携わることのできる先生方を育てることも、たのしい教育研究所の重要な活動の一つです。

百歳日記 (生活人新書 332)

感動を伴ったたのしい教育活動の普及に全力を注ぐ「たのしい教育研究所」です。

 

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