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前編からの続きです。
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夢というのは起きている時の情報の整理をしている段階で浮かんでくる映像だという説があります。けっこう有力で、つまり夢は、毎日みているようなのです。
そんなに見ていないよ、という人もいると思いますけど、ぜんぜん見ないという人はほとんどいないのではないでしょうか。
わたしは毎日夢をみます。
小説家も、ネタにするというので、枕元にメモ帳を準備しているという人は少なくないようです。そういう人達は一日に何度もいろいろなジャンルの夢を見ているということです。
それは脳科学の研究からもはっきりしています。
脳の研究によると、人間はレム睡眠とノンレム睡眠とを交互に繰り返していて、レム睡眠の間は、ほとんどの人が夢を見ている、ということです。
普通、レム睡眠は一晩に3~5回ありますから、少なくとも3~5個の夢を見るのが普通です。1回のレ ム睡眠の間にも、何個か別の夢を見ることも稀ではありません。ただし、夢を見た後、また深く眠ってしまうと、見た夢を忘れてしまうので、最後の夢を見た後 に、ノンレム睡眠になって目を覚ませば、全部忘れてしまい、「夢を見ていない」と感じます。朝、レム睡眠中に目を覚ましても、最後の夢を一つだけを覚えて いるのが普通です。
http://sleep.cocolog-nifty.com/clinic/2007/10/post_441a.html
さて、A先生の夢のお告げ/霊界からのメッセージ の話です。
A先生がその夢をみたのが中学の頃だというので15歳だとします。
5歳くらいから記憶がはっきりしてくるとして一日4回のレム睡眠回数で計算すると、
10年×365日×4回=14600回 夢をみている計算になります。
一日に何度も夢をみていても1回くらいの夢しか覚えていないはずですし、毎日はみていないと仮定して80%で見積もると
10年×365日×80% 2920回です。
約3000回夢をみていることになります。
ところで夢は一つのエピソードだけではありません。
おじさんとおしゃべりした内容であったり、靴の色であったり、例えば試験で100点を取る夢がまざっていたり、宝くじが当たったり、逆に外れたりする夢がまざったり…
一回の夢の中に数えられないくらいのエピソードがちりばめられているのです。
たとえばTVの15分間くらいの場面を思い浮かべてみてください。
何人もの人たちと会い、いろいろなモノを見て、たくさんのことを考え、鳥が鳴き、車にクラクションを鳴らされて…
作文にすると、たくさんのエピソードが詰まっていることがわかるとおもいます。
私の今日の夢でいえば
教員採用試験をがんばっている人達が全員合格したシーンから始まって
◯すごいケーキにイチゴがいっぱい乗っていて、それがすごく美味しそうだったこと
◯スプーンを探したけれど見つからなかったので、みんなで手で食べようということになって、じっさいそうしたこと
◯コーヒーがとても美味しかったこと
◯なぜかそこにネコと犬と何かよくわからない動物たちも来てくれたこと
◯そこでみんなでアラスカにもう一度いく話になったこと
◯ニューヨークにも行こうということになったこと
◯教え子たちが夢を語ってくれたこと
◯子どもと早く授業したいと涙を流してくれた人がいたこと
◯たくさん飲み物を飲んでいるのに次々に飲み物が運ばれて来たこと
◯なぜか高校時代の自分の恩師がやってきたこと
◯ゲームやたのしいものづくりをやったこと、その時の準備の様子や…
数え切れないエピソードの連続です。
その夢に登場した人の語ったエピソードや、その場にいた人たちの表情など、一つひとつ書いていると1000のエピソードでは収まりそうもありません。
それは私だけの特徴ではなく、みんなの夢がそうなのです。
空の色、鳥の鳴き声、すれ違うたくさんの人たち、声をかけてくれた人、買ったものの値段、その美味しさ、たまたま卵を落として割ったり、財布を忘れていたり、携帯に突然電話がかかってきたり…
ですから、さっきの約3000回の夢に、エピソードを掛け合わせるとすごい数になってしまいます。
単純に掛け合わせただけで300万のエピソードです。もっと減らして1/3くらいだと見積もっても、A先生は中学までに約100万のエピソードが入った夢みてきたことになるのです。
計算はここで終わりです。
少し長かったですね。
この数を元にして、A先生が中学の頃に見た「自分が夢を見て一月くらいしたら叔父さんが本当に亡くなった」というエピソードを考えてみましょう。
100万種類のエピソードの中の1回が当たったとして、それがどうして「A先生に霊感があって、霊界からのメッセージを受け取ったのだ」と考えなくてはならないのでしょう?
のこりの99万9999回は当たっていないのです。
確率 0.000001% です。
なのに人は、当たった一つのみを重視して、はずれた膨大な結果は気にしないのです。
不思議なことですけど、人間はそういうものなのだということもできますね。
生きる死ぬは大きな出来事ですから、それが当たったことにA先生が大きなショックを受けて、その思いがいつまでも心に残っていまうことは十分に理解できることです。
しかし科学的な見方・考え方で整理していくと、それを「霊界からの正しいメッセージだった」と結びつけることには無理があると考えざるをえません。
霊界からのメッセージを受け取ることができるAさんが夢で当てたエピソードが100万回の1回しかないからです。
もしも霊界からの正しい未来予測を受け取る力があるなら、その力を元に、親戚の子どもの生まれる日を正しく夢で予測したり、自分の大切な試験を正しく予測したり、当たりくじを引いたり、まったく交通事故にあわないコースを毎日通ることができたりしているはずなのです。
それに、100万回のエピソードかあれば、そのうちのいくつかは偶然に、将来的な出来事と一致することはあってもおかしくありません。逆にいうと「全ての夢が、未来のことと異なっている」ということが起こり得ないのです。
もしも霊界があって、正しい予測を伝えてきてくれるとしたら、こんなに助かることはありません。
ガンに効く薬を教えてもらったり、「今回の手術は見合わせて、もう少し薬で様子を見よう」という正しい選択ができたり、人生を決める試験の時に問題を正しく予測して栄冠を手にしたり、そういうすばらしいことがたくさん起こるのですから。
ナンバーズなどの当たりくじを手にする人たちもたくさん出てくるはずです。
株価の最も高い時に売り出す、ということも、できないことはありません。
それだけではなく、古代の最大の財産とも言えるアレクサンドリア図書館の埋められた蔵書・資料の場所を探しあてて、原子論を伝え広めたエピクロスの原著を読むことができるのですから、こんなにすばらしいことはありません。
しかしそういうことは起こらず、株の売り買いはどんどんコンピュータによる予測の世界に変わってきていますし、アレクサンドリア図書館の埋まった資料たちはまだ見つかっていません。
霊界からの正しいメッセージがあったらなら大地震や大津波を正しく予言して周りの人たちに伝え、ちゃんと前日にはその場から逃れることができるはずなのです。
しかし、ノストラダムスをはじめとして、数々の予言は結局外れています。
そうやって、霊界からの正しいメッセージがあるはずだ、という仮説で考えをすすめても、確率的にも、結果的にも、それは考えられない、という結論に至るのです。
ここまで書いていて、ひとつのエピソードを紹介したくなりました。
私が大好きなファインマンという物理学者がいます。
ほとんどの人たちが無理だと思っていた、チャレンジャーの事故原因を特定するという離れ業をやってのけた人物です。
そして、ノーベル賞受賞の電話が寝ている時にかかってきて、「そういう話はあとにしてくれ」と切ってしまった。煩わしいから辞退しようとしていたら、「メダルをもらう一時のがまんに比べると、辞退するためにはたくさん煩わしいことをしないといけない」ということがわかって、しかたなく受けたというおもしろい人物です。
彼の妻がなくなった時のエピソードを一つ紹介させてください。
彼の妻は病気で入院し、闘病の甲斐なく、明け方亡くなってしまいました。
不思議なことに、妻が長く愛用していた置時計が、妻が亡くなったちょうどその時間に止まっていたというのです。
周りの人たちは、そのことに驚き、きっと一緒に天国につれていったのだろう、とか、時計が妻の死を悟ったのだろう、という様な話をしていたのですが、ファインマンはそういうことでは納得しません。
ファインマンは時計が止まった理由を特定しました。
奥さんの死を知った看護婦が、暗い病室で時間を確認しようと腕時計をみるのですけど暗くて見えない。そこで、棚にあった置時計をみつけて、それを取り、窓のそばに持って行って薄明かりで時間を確認し、死亡時刻をカルテに書き込みます。それをまた棚に置いて、急いで周りの人たちに知らせにいったのです。奥さんの時計は長年愛用していて、故障も何度かした時計でした。それが、看護婦さんの手に持たれ、移動し、ガタリと棚に戻された。十分に止まってしまう状況にあったのだ。
リチャード・ファインマン、彼は生粋の科学者つまり原子論者です。
そろそろ長いお話も終わりが近づきました。
はじめの話に戻りましょう。
それはとても大切なことですから。
宗教では「死後の世界」はとても大切ですし、亡くなった方達の心は、私たちの心の中にいつまでも生き続ける、ということもできます。
そうやって大切な人を生かし続ける、ということは宗教のとても素敵なところです。
また、自分の大切にしてきた想い、心を大切にして、それが永遠に残る世界を想像するということもすばらしいことです。
多くの宗教では「天国」の話をしてくれます。
天国というすばらしい処があって、そこは食べるものにあふれて、平和で、苦しみもない、そういう世界を思い描くことも宗教のすばらしいところです。
実は科学は、人々が思い描く天国のような世界を実現しようという強力な力であるという見方もできるのです。
宗教と科学がいがみ合うことなく、お互いが補完しあって、ますますよい世の中がよくなる、それはとても大切なことだと真剣に考えています。
「お互いが敵ではなく、寛容の精神ですすんでいく」そのことをこの文章の最後に刻んで、長い話をおわらせてもらいたいとおもいます。
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