科学的な見方・考え方 「夢のお告げ/霊界からのお告げ」前編

前回、こういう文章を書きました。
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科学はごく普通の人たちを守り育てるものです。
そういう科学をごく普通の人たちが自分のものとして身近に感じることができるか、あるいは「あれは特別な人たちのものだ」と感じるのか、その差は決定的です。
一部の人たちの「科学」は危険で、普通の人たちが議論できるものであってこそ、科学は普通の私たちを守り育てるのです。

ですから、科学的な見方・考え方がいろいろな人たちに広がる「教育」は、とても大切です。うれしいことに、たくさんの人たちが守り育ててきた教育を含めた様々な文化は、人々に感動をもって受け入れられてきたものですから、それらを学ぶことは、基本的にたのしいものなのです。
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今回はそれに続いて、科学的に見る、科学的に考えてみる、ということを書いてみたいと思います。

今回は、いわゆる超常現象的なものをどう考えるか、ということです。

その前に大切なことを書かなくてはいけません。

宗教や天国・地獄のことを信じている人たちはたくさんいます。
それはその人にとって、とても大切な世界です。
大切な人が、たとえこの世界でいなくなっても、別な世界で永遠に生きていてほしいという願いは素敵なことだと思います。
自分の命も永遠に続く様に願うことも自然なことだと思います。
ですから、その世界を信じて生きていく人たちのその思いをどうこうしようということではありません。
ごく普通の人たちを守り育ててくれた「科学」は、どの様に考えているのか、という科学の世界の話をここで書いてみたいのです。
「科学では超常現象的なものをどの様に考えているのか」という興味のある方向けに読んでもらえたらという気持ちで書かせていただきたいのです。

間違っても、違う意見の人たちを叩き潰すというような場に立ってはいけません。
社会を見ると、「宗教」という世界の中の人たちが、「自分たちが正義だ」と考えて、違う考えの人たちを叩き潰す、という悲しい出来事が起こっています。
どういう立場の違いであっても「寛容の精神」を持って臨むことは、この社会を平和的に発展させていくためにはとても大切です。
そうやっていく中でいつの日か、科学と宗教とがお互いを補完する形で成長しあっていくことはわたしの願いの一つでもあります。
https://tanokyo.com/archives/5159

では進めましょう。

「夢のお告げ」

科学が社会のいろいろな場面に浸透していく現代で、「科学的に説明のつかない」「超常現象だ」と言われる様な話も、巷に溢れています。

教師をしていた頃のことです。
わたしの教室に放課後、A先生がやって来てこういう話をしてくれました。

自分には不思議な体験があるんです。
中学生の頃、買い物帰りの道すがら、偶然、数年ぶりに叔父と会ったんです。
挨拶をかるく交わしたくらいで別れたのですけど、なぜかその夜、その叔父が亡くなる夢を見たんです。
それまで叔父の夢なんて一度も見たことがなかったのに。

縁起でも無いので、誰にも言わなかったのですけど、実はそれからひと月も経たずに叔父は病気で亡くなりました。
とても驚いてしまって、祖母に話すと、それはあの世からの知らせで、霊感の強いものに届く霊界からのメッセージなのだ、ということでした。

そういう話でした。

状況は違っても、似たような話は、巷にたくさんあるのではないでしょうか?

科学は「原子論」で成り立っています。
原子は物体ですし、それには重さがあります。
ですから、原子論的にみていけば「霊の存在」という仮説は成立しません。

そういう原子論的な説明を丁寧にすすめる方法もあるのですけど、今回は別な視点で考えてみてみましょう。

人間は、気になったことを夢でみることがあります。
強い犬に吠えられた日に、それが夢の中に出てくることもあります。
怖い映画のシーンを、夢でもう一度見たという経験をした人もいるのではないでしょうか。
わたしは「宇宙」がとても気になるので、今でも「空を飛んで宇宙までいく夢」を見ます。

そうやって考えると、もしかすると、A先生は、数年ぶりに会った叔父の様子を、無意識のうちに
「体調がとても悪い状態ではないのか」
と感じ取っていた可能性もあるのです。
普通とは様子が違う、ということは、いつも会っている人だけでなく、たまたま出会う人に感じることもあるからです。
あるいは、それ以前に、親類の誰かがなくなるという怖い経験をしていて、久しぶりにあった叔父さんにそのことを重ね合わせた可能性もあります。

ですから、まず一つ目
「叔父さんが亡くなる夢を見ることは、霊界からのメッセージという仮説もありますが、かならずしもそれだけではない」
ということです。

それからもう一つ、大切なことがあります。
このことが、さらに重要になってくると思います。

後編へ

日常のたのしい研究のすすめ-ベートーベンスケール[後編]

「ベートーベン・スケール」に興味関心を抱いてくださっている方たちがけっこう多いので喜んでいます。
後編をお届けします。

研究というのは、どこかの実験室でやるものではありません。
日常がつまり実験場です。
「賢くなる方法がありますhttps://tanokyo.com/archives/5402」
にも書きましたが「予想を立ててそれを丁寧に確かめる過程」そのものが研究です。
スクリーンショット 2015-05-16 8.45.07

ですから、日頃、みなさんが
「これを確かめてみたい」とか「これが不思議なんだよ」というようなテーマについて
『予想をもって問いかける」
その予想は、正否がはっきりとわかるような予想でなくてはいけません。
それを丁寧に確かめるのです。

今回のわたしの
「ベートーベンが味わっていた珈琲はどういうものだったのか」
という興味関心を、はっきりと確かめていく過程です。

では「日常のたのしい研究のすすめ-ベートーベンスケール[後編]」、
いきましょう。

ベートーベンは豆60粒をきっちりと計って味わっていました。
わたしが味わってみたところ、この量はけっこういい感じなのです。
その豆の量でわたしのいつものマグカップの大きさで味わったり、エスプレッソレベルの濃さにしてミルクたっぷりで味わったりと、いろいろたのしめそうです。

さて問題は、ベートーベンの様に毎回60粒を数えているのは大変だな、ということです。

わたしは1日にマグでかなりの珈琲を呑んでいます。
研究所にくる方たちに珈琲をたててあげることもあります。
ですから、たとえば1日10回珈琲をたてるとして、そのたびに60粒数えていたり、4人分の珈琲で240粒数えるとなったら大変です。

お気づきの方もいるかと思いますが、それで珈琲のいっぱい様の「計量スプーン」が開発されたのですね。
人間って賢いのですよね。

計量スプーンが、ほぼ60粒測り取れるということなら、これはラッキーです。

これが研究所でよく利用している計量スプーンです。
使い込んでいる感じが伝わると思います。スクリーンショット 2015-05-16 8.50.14予想を立ててみました。
はっきりと正否がわかる様に選択肢は必需です。

もんだい
もしかすると計量スプーンというのはベートーベンが味わった60粒の豆を基準に作られているかもしれない

ア.ほぼ60粒でいっぱいになる…ベートーベンが味わった濃さくらい
イ.少ない粒(40〜50粒など)でいっぱいになる
…ベートーベンが味わった濃さより薄い味わい
ウ.もっとたくさんの粒を入れないといっぱいにならない
…ベートーベンが味わった濃さより濃い味わい
エ.その他

みなさんはどう思いますか?
そして、なぜそう思いましたか?

わたしは個人的に「ベートーベンが数えた60粒の豆が珈琲計量スプーンになっていたら嬉しい」ということで、アを選びました。

しかし、「音楽」で世界に影響を与えたベートーベンが、「珈琲の世界」にの基準になるほどの足跡を残したということは考えづらいかもしれません。
また、昔の人たちは濃い珈琲を飲んでいたとか、貴重だったので薄く作っていたということを考えると、イやウが正しい様にも思えます。

みなさんはどうでしょう。
しっかりと「予想」をたてたら、実験です。

 

実験
 研究所には3種類の珈琲計量スプーンがあります。
珈琲豆60粒を計ってみましょう。

スクリーンショット 2015-05-16 8.33.12
最近買った新しい計量スプーンで計るとけっこう余ります。
イです。
スクリーンショット 2015-05-16 8.33.31使い込んだ計量スプーンで計るとどうでしょうか。
押し込んでもしっかり余ってしまいます。
イです。
スクリーンショット 2015-05-16 14.52.29もう一つ、珈琲のパックを止めるストッパーと一緒になった計量スプーンがあります。
やってみると…
スクリーンショット 2015-05-16 14.52.37山盛りにしてもけっこうあります。

三つ試した結果。
今普通で入手できる珈琲計量スプーンを3つ使ってみると、ベートーベンが味わっていた60粒よりも、ずっと少量でいっぱいになります。

適当に3つくらい試してみたらある程度結論付けてよいだろうと思います。

つまり今の私たちの飲む珈琲の量は、ベートーベンよりも薄めの珈琲をたてる様になっているです。

じゃあ、どうすればよいのか?

一つは「重さ」を図るということです。
けれど、準備面倒な上に、すっきり合わせることがなかなか難しい。
やはり簡単な計量器がほしい。

そこで思いついたのが、ミルクなどを図るために買っておいたミニの計量器です。
100均で売っています。
スクリーンショット 2015-05-16 15.12.44これに入れて線を引いてしまえばよいのです。
ということでやってみましょう。

スクリーンショット 2015-05-16 8.34.03
出来上がりました。
これが珈琲をたてるの時の「ベートーベンスケール」です。スクリーンショット 2015-05-16 8.34.10
いかがでしょうか。

こういうメジャーを使うのではなく、小さな透明の入れ物があれば、それを利用して線を引けば出来上がります。
興味のある方はぜひどうぞ!

おわりに
たまたまわたしは珈琲好きなので、こういう研究をしてみたのですけど、いろいろな人がいろいろな興味関心で研究をすすめていくと、個人としてのたのしみや豊かさだけでなく、周りの人たちも笑顔や豊かさがどんどん広がっていくと思います。

以上

日常のたのしい研究のすすめ-ベートーベン・スケールの開発- 前編

たのしい教育研究所の日々は、たのしい研究の日々です。
「教育」という言葉は実に様々な内容を含むので、たとえば「Coffee」も研究対象です。
ま、個人的趣味でもあるんですけどね。
今日は、そのお話しを書かせていただきます。

たのしい研究1
「前々から試してみたかったけれど、できなかったことをやっと試してみたシリーズ」
コーヒー好きは知っている人も多いとおもうけど、ベートーベンはコーヒーが大好きで、一回のコーヒーを点てる時に必ず豆を60粒数えて、そスクリーンショット 2015-05-15 9.27.11れで点てていたとのこと。
それが彼の大切な儀式で、たとえ一粒多くても少なくても、彼にとってはNGだったとのはなし。

ちなみに、わたしが学生時代にそのことラジオで聞いた時「使用人に数えさせていた」というはなしだったので
「ベートーベンさんはとても貧しい暮らしをしていたって聞いていたけど、使用人がいたということは、けっこうしっかりした暮らしをしていたのだな。いや、コーヒーの逸話が間違いなのかな?」
と感じたことを覚えています。
またいつか疑問をといていきたいと思っていることの一つです。
たのしい謎解きの題材に事欠きません。

閑話休題。
「どんな濃さなんだろう?」その長年の個人的な謎に、今日、やっと挑戦してみました。
カップはいつものマグではなく、ヨーロッパ的なやつを選んでドリップ。
私のいつものコーヒーより濃かったけれど、これが普通のコーヒーの濃さなのだなという感じでした。
「これがベートーベンの味っていたコーヒーの味なんだな」
長年の秘密がまた一つ解けた。
ま、ベートーベンがどういう豆を使っていたのか、沸騰したての湯だったのか、湯の量はどのくらいだったのか、ということは未知の世界なので、正確なところは謎のままとはいえ、個人的な謎はしっかりと解けました。
スクリーンショット 2015-05-15 9.24.13

つづく

たのCafe5月大いに盛り上がる その(0)「たのしい教育の発想法」

たのしい教育Cafeの5月も大いにもりあがりました。
スクリーンショット 2015-05-14 10.24.03 今回、私が「たのしい教育の発想法」を発表する予定でしたが、内容がいろいろあったので次回に回すこととなりました。

発表原稿はできています。
今週号のメールマガジンにまとめた一部をとりあげた内容の抜粋です。

それをレイアウトして印刷してみてびっくり。
A3版のびっしりと埋まった内容が2枚になりました。
メールマガジン全体はこの写真の約2倍以上になりますから、我ながら毎週毎週かなり書きこんでいるのだなぁ、と感心しています。

スクリーンショット 2015-05-13 18.01.42スクリーンショット 2015-05-13 18.05.47
今回のたのCafe用に抜粋したレポートは、板倉聖宣が30年前に書いた記事を文字起こししたものです。
今でも色あせしない、迫力に満ちた内容です。

たとえばこの一文を読んだだけでも、わたしは身が引き締まります。

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 私は子どもたちが「楽しい」と感じることの中には必ず本質的な理由があると思っているのですが,時によってはその楽しさの理由を勘違いするという可能性があります。
 子どもたちだって,
「何でこれが楽しいのかわからない」ということがたくさんあります。そしてさらに,その楽しさの結果起きるかもしれない事態についても考えておかなければなりません。
 ベッコウ飴で虫歯になるかもしれないし,火傷などのいろいろな事故が起こるかもしれない。そうなったら,ベツコウ飴を教えることによって,よりすばらしいものを教えるチャンスを逆に奪う可能性だってある。
 だから私たちは自分たちの思いに引きずられることなしいつもクールに,そして責任を持って行動できるようでありたいと願っております。
 したがって,私たちの研究の仕方そのものが仮説実験授業の形態のようでなければならないのです。
 たんに授業の中で問題を出し,予想をたて,討論し,実験するというだけでとどまるのではなし私たち自身の問題を出して予想を立て,いつもビクビクしながら実験の結果を見つめる。
そして,「ああ,自分のこの考え方でよかったんだ」と確認したり,「いや,ここは間違っていた」ということを確認したりして進んでいくのです。
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たのしい教育研究所の、その「たのしさ」が、しっかりと責任のとることができる上質なもの、教育的に重要な内容のあるものかどうか、丁寧に確かめながら、一歩ずつ歩いていきたいと思っています。
Kiyuna筆