たのしい数学・物理|二倍三倍の世界=感覚編=

算数・数学を学ぶと、100円の二倍は200円であること、30kgの半分の重さが15kgであることがわかります。

小学校の時に30kgだった人が高校生になって60kgになったとしたら、体重は二倍になったわけですし、200円あれば100円のチョコレートを二個買う事ができます。

そういう数の計算の世界と、私たちが「感じる」世界には大きな違いが生じる場合があります。

「温度」がそうです。

私たちは、たとえば三十度のお風呂に入るときっと「ぬるい」と感じることでしょう。
三十度の倍、六十度のお湯は、二倍の熱さを感じるか、というととんでもない。
あまりの熱さにびっくりして風呂から飛び出るはずです。
人間は「とんでもない熱さだ!」と感じるのです。

ちなみに六十度は危険だということで、温泉でもそこまで高くしているとこはなく、四十〜四十五度くらいがよいようです。

たのしい温泉

 

「音」もそうです。

たとえば1個のブザーを鳴らした時と、2個のブザーを鳴らしたら、音は二倍に感じると思う人も多いと思います。

しかし違います。

音は十倍して、やっと二倍に感じるのです。

つまり、10個のブザーを鳴らすと、やっと1個の時の二倍の音の大きさで感じるのです。

不思議ですけど本当のことです。

以前、子ども達が持っている防犯ブザーを利用して、1個鳴らした時と、2個鳴らした時、そして10個鳴らした時で比較してみたことがあります。

子ども達が、10個でやっと二倍くらいの大きさに感じたことに、とても驚いていました。

こういう、単純計算的な世界と、私たちの感覚の乖離は、たのしい授業になります。たのしい教育研究所で開発したプランの一つです。

 

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「西洋の文化を学ぶ」という言葉|地理のセンス

以前「どうして日本を〈極東〉というか」というお話を「世界地図」を利用してまとめましたが、おかげさまで、いくつもの反響がありました。

今回は逆に「西洋」という言葉について書きたいと思います。

幕末、日本の行く末を憂いる人たちのスローガンは「尊皇攘夷」でした。

『攘夷』とは、外敵を打ち払うという言葉です。

黒船が日本の開国を迫ることに苛立ち、薩摩とイギリスのとの戦争も起こり、まさに「外国人を打ち払う」というスローガンで盛り上がったのです。

それが江戸末期、突然「西洋の文化を学ぼう」という人たちが出て、明治維新の「文明開化」はまさに「西洋の文化を取り入れる」ことでした。
「打ち払え」がまさに180度転換してしまいました。優れた選択だったと思います。 そして、「なんという変更だ!」「裏切りだ!」という大きな混乱は生まれませんでした。人間は感覚的に平和が好きなのです。

わたしは政治の世界からとても遠い位置にいるのですけど、明治維新から学ぶことで今の世界をさらに平和に近づけることができるだろうと考えています。

ところで、ヨーロッパだけでなく、アメリカの文化を取り入れるのに、どうして「西洋」というのでしょう。アメリカは日本の東にあるのです。

これにも以前このサイトに出した「世界地図」が活躍します。

西洋 世界地図

日本からこうやって眺めると、イギリスもフランスもドイツも、遥か海(洋)を渡ってたどり着く「西側」なのです。

西洋 世界地図2

アメリカは、さらに遥か遠くの西側の端にある国です。

もちろん世界標準地図では「西」ですが、地球は球体なので、船は東へとすすんでアメリカに行きました。

日本中心の地理感覚にプラスして、世界標準の地理感覚も、たのしい地理の授業に取り入れたい重要な教材です。

 

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NASAミッションコントロールの画像|宇宙の好きな人たちへ

前回、NASAでジーン・クランツと会ったことを書いたのですけど、反響が大きく、たくさんのメールや電話をいただきました。

ちょうど大きな仕事も終わったので、ハードディスクドライブに入れてあるだろうNASAでの写真を探してみました。

いくつかはパソコンのトラブルで失われてしまっているのですけど、ちょうど、アポロ計画の時に実際に使っていたミッション・コントロール(管制室)はそのまま残されていて、NASAに行った時に、その場所に入れてもらえました。その時の写真が出てきました。
ここはジーン・クランツが指揮をとった場所です。そして宇宙の好きな私にとって震えるほど感動する場所です。

写真はわたしが撮ったものです。

NASAミッションコントロール

この後、スタッフの方に「ジーン・クランツが指揮をとった場所はどこでしょうか」と尋ね、
「おそらく、このあたりにも座って、あのあたりにも座ったと思うよ」と教えてくれた椅子に座って、熱くなったことを今でも覚えています。
その写真がどこかに残っていないか、またいつか探してみます。

興味のない人にはまったくどうでもいいことかもしれませんね。 でももしかすると、前に紹介した「アポロ13/ロン・ハワード監督作品」を観ると、この一枚の写真に感激してくれる人もでるかもしれません。

 

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仮説実験授業入門|「あてずっぽう」と「予想」

教育関係の方達だけでなく、広くいろいろな活動をしている方達から「仮説実験授業」についての問い合わせをいただくことがあります。

ある団体をリードしているから仮説実験授業をめぐって
「予想を立てることが重要なことなのですか?」
という質問をいただきました。真剣な質問でしたので、仮説実験授業の流れを元に丁寧にお話させていただきましたが、加えて、このサイトにも書かせていただきたいと思います。

カンに頼ったりすることもある「予想」がどれほど重要なのか、については私も一度考えたことがあって、その時に次の言葉で腑に落ちたことがありました。

「仮説実験授業」を提唱した板倉聖宣は『科学と方法-科学的認識の成立条件 季節社』の中でこう述べています。読みやすく行変えなどして喜友名が手をいれました。

板倉聖宣「科学と方法」科学的認識の成立条件 季節社

 「予想」を問題にしようとすると,次のように言う人々がいる。

「予想などというものは元来アテズッポにすぎないので,それを正しくしようなどというのはナンセンスだ。予想が正しいかどうかは結果が分らなければわかりっこないのだ」
と言うのである。

これはちょっと聞くと一応もっともにきこえる。

予想、が予想であるのは,結果が,本当のところが、分らないからである。

 

しかし,もう少し考えると,この主張の間違いはすぐに明らかになる。

私達はだれでも,経験をつむに従ってだんだんと予想が当るようになることを知っている。

私達が一度その問題・対象の性質をつかんでしまうと,他人からは魔法とさえ思われるように予想が見事に当るようになるものである。

古来, 日食の予言等はいつもこのようにして行なわれた。

これは, 経験をつむにしたがって,その問題・対象のなりゆきの法則性というものをよく理解するようになるからである。つまり,私達の意志とは独立にその問題,対象自体の変化・発展の法則性というものがあるのであって,私達がだんだんとその法則性を認識していくことによって予想がより確かなものとなっていくのである。

自然科学は,元来そのような自然の法則性を発見することによって確かな予想を立てることが出来たのである。

 

そしてそのようなことは,何も自然科学などに限らないであろう。

 

「予想を持って問いかける」ことで、次第に「科学的な認識」が深まってきます。その中で「もしかすると、こういう法則が成り立つのではないか」というようなイメージができてきます。これが「仮説」です。

「仮説」を「実験」で確かめていくことによって、その成否がはっきりとします。その積み重ねによって、人間は『真理』を発見してきました。

前回2月の講座で私が授業した仮説実験授業の授業書「自由電子が見えたなら」は、いろいろな予想を立てていく中で「もしかすると銀ピカ、金ピカのものは電気を通すのではないか?」という仮説をもっていく人たちが増えていきます。そして、驚くことに、その仮説が正しいことを知るのです。

たのしい授業・たのしい教育を確かなものとして提供する仮説実験授業を、学ぶ人たちがふえていく活動も、たのしい教育研究所のテーマです。

小さな島沖縄から「たのしい教育」を世界に発信する
「たのしい教育研究所」です
そしてその活動は、着々と前進しています