沖縄のたのしい教育を支えた巨人「板倉聖宣」からの伝言 ②

未読の方は
たのしい教育者列伝 沖縄のたのしい教育を支えた巨人「板倉聖宣」①
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 30年前に伊良波さんと一緒に板倉先生を沖縄に招聘してから、沖縄の「たのしい教育」の足取りは、着実に一歩ずつすすんでいきました。

そして今、その確かな成果として、沖縄に「たのしい教育研究所」があります。全国からたくさんの問い合わせがありますが、それはつまり、日本全体から見てもあまり類を見ない、新しい形としてしっかり立って歩いているからだからだと思います。

板倉先生が沖縄に来てくれた何十回という全て、わたしはそばでいろいろな話を聞く事ができました。わたしの車で空港への迎えから見送りまでお世話していましたから、車の中で話していただいた時間だけとっても大量の時間になります。
加えて、食事の時も、フリータイムで古本屋に行きたいという時なども一緒でしたから、どれだけたくさんの話を聞かせていただき、わたしの質問に答えてもらったことか…。
〈仮説実験授業の極意〉〈自由とは〉〈争いとは〉〈未来の教育〉〈ギリシャ時代のものの見方・考え方〉〈哲学とは〉〈科学とは〉という様なテーマに加えて、〈新しく構想している授業書の話〉や〈最近発見したものごと〉〈人間関係論〉〈心理学〉と様々なジャンルに深く切り込んだ話を聞かせてもらいました。

加えて〈エイズの今後〉〈リチャード・ファインマン〉〈ガリレオの実験〉〈アドラー心理学〉〈潮の満ち引き〉〈沖縄の砂と砂鉄〉〈仮説実験授業の選択肢の作り方〉という様なピンポイントの質問にもたくさんのお話を聞かせてもらいましたから、まさにわたしの財産です。
板倉先生は毎回とても元気でしたし、何か仕事をしながら片手間に答えるのではなく、のめり込む様にして答えてくれましたから、それらを文字起こししただけで本にして何十冊にもなると思います。

それらも機が熟したら紹介できると思います。

そうやって、いろいろな事を学ばせてもらいながら、いよいよ「たのしい教育研究所」を設立することになった際、巨人 板倉聖宣が わたしに贈ってくれたメッセージがあります。

前回紹介した
〈沖縄のたのしい教育 正伝〉「ねてもさめても… 夢がもりもり」⇨こちら
の中に、その板倉聖宣先生からの伝言が入っています。仲間たちが、わたしには内緒で、板倉先生の元に行き直に書いてもらった文章です。
紹介させていただきます。

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きゆなさんへ

たのしい教育研究所の設立、おめでとうございます。
いろいろな困難に出会うことと思いますが、仕方のないことです。
そんなとき「グチをこぼしてばかりいる」ということなく、明るく未来を目指して冷静に対処し、柔軟に対処していけば、すばらしいと思います。
いまは、あまりがんばりすぎずに、着実に一歩二歩を踏み出されるように願っています。

板倉聖宣

巨人 板倉聖宣からの伝言は、たのしい教育研究所を設立して4年経った今年、やっと冷静に読む事ができる気がしています。

仮説実験授業を生み出す源となった板倉聖宣の科学史学をわたしも熱心に学びました。そこから学びとった一つに〈本質的な改革は大きな困難に出会っている〉という法則的な事実があります。

幸い、たのしい教育研究所は、設立まで30年近くの歴史を経てゆっくり着実に形作られてきました。これまでも対面した困難は、伊良波さんをはじめとして大切な仲間たちと克服できました。つまり困難は全て対処可能なものでした。

そしておそらくわたしの口からグチらしいグチを聞いた人はいないと思います。

たのしい教育研究所は、明るく未来を目指して、今この時も歩んでいます。

教育界の巨人 板倉聖宣が沖縄に残したDNAを受け継ぎ、たのしい教育活動としてますます発展させるのが、これからの活動の指針です。

「ねてもさめても 夢がもりもり」
わたしをとてもよく知っている仲間たちだからこそ冠したその題の通り、ますます確かなものとしてたのしく元気に二歩三歩と歩いていきます。

いっきゅう

予想を立てる重要さについて|予想論|板倉聖宣

「予想論|全ての科学は古代ギリシャに通ず」に対する問い合わせが続いています。

わたしの メールマガジン で詳しく紹介したと書きましたが、その中から少しピックアップしてみましょう。

「予想論」を読みながら、わたしがマーカーをつけた部分を書きぬいたものです。

まず「どうして予想することが重要なのか」という部分についてです。

私きゆなが、文意を変えない範囲で、読みやすく、少しだけ〈まとめ符〉他、手を加えてあります

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◯ほとんどすべての人々は、自分自身で、いろいろな経験を思いつくままに生かして予想を立てているだけなのである。これでは,私達の予想の立て方は、なかなか合理的なものとはならない。どうしても予想の立てかたを系統的にまとめて考えておくことが必要なのである。

◯「幽霊の正体見たり枯尾花」というのは,枯尾花がユラユラ動いて月光か何かで気味悪そうに見えたのを,直ちに幽霊にしてしまうような,対象と自分の両方に誤りに陥る要素があるのを戒めているのであろう。(それは)予想を立てる以前のごく基礎的で常識的な注意にすぎないが,少なくとも重要な判断をするような場合,これだけの注意をはらって,いつもすっきりした事実をもとに判断するように意識的に努力し、あやふやな事実は十分検討するようにしたら,どんなに見通しのあやまりを少なくするか知れない

◯デマ宣伝はこういう間隙をぬって入ってくる。デマというのは意識的に本当をよそおってなされるものであるから,余程注意しないとワナにひっかかってしまう。予想を立てるとき一番大切なのはこういうワナにひっかからないことなのである

板倉聖宣(仮説実験授業研究会代表/日本科学史学会の会長)
「科学と方法」季節社 より

「信長と秀吉と家康、誰がエライのか? そのどこがエライのか?」 板倉聖宣語る

たのしい教育研究所を応援してくれている方たちに向けてメールマガジンを書いています。

その「たのしい教育の発想法」に、仮説実験授業研究会代表、そして日本科学史学会会長 板倉聖宣が語った「信長と秀吉と家康の誰がエライのか? そのどういうところがエライのか?」という話をまとめています。

ここに少し掲載します。

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 たとえば戦国時代の末期に、信長がいて秀吉がいて、さらに家康がいて、そういう人の伝記はたくさん書かれているんだけど、何が一番素晴らしいのか?
 そういう英雄伝は書かれたけれど、「本当の歴史は書かれてないんじゃないか」という感じがしてしょうがない。

 最後の家康は、戦国時代を終わらせて、平和の時代をつくった。そういうことができたのは、家康がエライのか? 誰がエライのか?

 一番エライのは、家康が周りの意見を聞いたことです。
「お金を統一した方がいい」と平野郷の人たちが言って「銀座」をつくった。

 日本の「銀座」は東京にあると思っているかもしれないけれど、銀座の最初は平野郷なんです。

 その人達が進言したから、家康は「それもそうだな」と受け入れた。

 進言する人が居ないと、なかなか受け入れられない。そういうことを進言するチャンスを権力者はつくって、そう言うときに言うことを聞く。

 すぐれた政治家というのは周りの人たちの意見を聞く。

 それが民主主義なのね。

 多数決で決めるとかいうことでなくて、周りの人達の意見をたえず聞いて、そして自分たちの知恵を新たにすればいい。家康の周りの人達の知恵の出し方、そういう物語をつくりたいと思っています。

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たのしい教育は単なる技法ではなく
哲学・思想を伴ったものです
沖縄の教育をたのしく元気に
「たのしい教育研究所」です!

学力低下論/板倉聖宣2003

先日、某大学の学生さん5人が、「大学の授業で発表したい」ということで、わたしにインタビューを申し込んできました。
隙間のない状況でしたけど、なんとか調整して語りあってきました。

インタビューといっても、一方的に質問に答えるだけでなく、こちらから「コップを逆さまにして水槽の中にいれると中に水が入っていくと思いますか?」という様に、質問や問題を投げかけたりしたので、1時間くらいの予定がけっこう時間がかかりました。

最後の質問が
「私たち若者に何か伝えたいことがありませんか?」でした。
その時に、わたしの授業プラン「近頃のわかものは」の内容になりました。

「近頃の若者はとてもよい」という内容です。
興味のある方は、わたしのプランを手にしてください。
「ものづくり工房」さんが実費でお分けしています。
連絡は、研究所のアドレスでOKです。
⇨ office⭐︎tanoken.com  ⭐︎を@へ

今回は「近頃の若者の学力」に関連して、紹介させていただきます。

 たのしい教育研究所の応援団の皆さん向けのメールマガジンを毎週発行していますが、その中の「たのしい教育の哲学・発想法」のコーナーに取り上げた内容です。

 中身は、板倉聖宣(元文部科学省 教育政策研究所室長)が十年程前に長野県塩尻市で講演した「子どもにつけたい本当の学力」という話からです。
 文意が変わらない程度に少しだけ読みやすく手を入れさせていただきました。

 最近は〈学力低下〉と言うことが、かなり顕著に言われるようになっています。この講演を依頼された頃には、とくにそうだったと思います。「学力低下」と言った時に、「そうだ ! そうだ !」と言う人もいるでしょうし、「いや、学力低下などと、とんでもない!」という感情をお持ちの方もあろうかと思います。

 文部省でさえ今は意見が一致していないのですから、ここでも意見が一致しないことが望ましいことではないかと思います。
 私の考えを結論的に強く言ってしまうと、
「学力というのは年がら年中低下するに決まっているのだ」、「学力は低下するのに決まっているのに、ことさら〈学力低下〉などと言うのは何か魂胆があるに違いない」
と言うことでございます。

 例えば、私の詳しく研究した人に長岡半太郎という人がいます。この人は湯川さん、朝永さんの先生に当たる人ですが、日本の物理学の伝統を確立した人です。
 明治20年に東京帝国大学を卒業した人でありますから、幕末に生まれて、そして親父さんは大村藩士という肩書きで、明治の初めに元藩主にくっついて海外旅行をして、その親父さんが帰って来てすぐに息子の半太郎の前に座って、
「これまでの教育は間違っていた。これからはこれでなければいかん」
と、海外から持ち帰った外国の教科書を示して、
「これからは、これで勉強しろ」
と言われたというほど、明治の初めに恵まれた状況で新しい科学を勉強した人であります。

 その長岡半太郎さんの時代、東大の授業は英語です。教科書も英語だし、教師の大部分は外国人です。だから英語はペラペラしゃべれたりもしました。
 明治の初めには抜群の学力があったことになります。
 しかし、その長岡さんでさえ「学力が低下した」と、みんなから言われたのです。

 なぜか?

 江戸時代の人からすると、手紙は筆で候文で書きます。それが書けないというのです。
 そりゃそうですね。
 英語での対話が十分出来るように勉強したのですから、普通の手紙でも危ないかもしれないのに、候文で、しかも筆で書くなんてことは出来なくて当然です。
 もし、そんなことが出来たとしたら、英語の勉強は疎かになっていたかもしれないし、物理学の勉強も怪しいかもしれない。
 だから〈新しい時代には、新しい学力がある〉ということになります。

 ところが年のいった人たちは新しい学力なんて考えないで、自分たちの知っている知識を、今の若者たちの知識の量と比べて、「今の若者たちはこんなことも知らない」とか、「あんなことも知らない」とか言っているのです。

 とくに最近などは漢字のことで、
「こんな漢字の諺も知らない。あんな諺も知らない」
と言っていますが、あれは大変極端な例を出して、おそらくは皆さんも知らないような言葉をあげて「あれも知らない」と言うように、若者たちは攻撃されているのです。

 すごく古いセンスで古い時代を守ろうとしているのです。

 しかし、「古い時代を守ろう」と言うのでなくて、「新しい時代を切り開く」としたら、古い時代のくだらない知識は「知らない」と言うことが勲章であります。
 若者たちは、そういう年配者たちに特別に反撃はしませんけども、事実として明らかになったのは、「今の若者たちはこんなことも知らない。あんなことも知らない」という人たちは、おそらくパソコンは使えないのです。
 そして携帯電話も持っていないのです。
 そういう文化は自分たちのものになっていないのです。
 新しい時代にはついていけないのですね。

 

いかがでしょうか。
いろいろな意見があるかもしれませんが、こういう考え方もしっていてよいのではないかと思い、紹介させていただきました。
若者よ、くじけるな!
という気持ちと、物理的な年齢ではなく気持ちの面ではわたしも十二分に若者だけどね、という気持ちでつづらせていただきました。

  たのしい教育活動に全力投球の
「たのしい教育研究所」です