板倉聖宣的発想法「好奇心」④

◇ 好奇心をなくさないためにはどうしたらよいか

好奇心をもって人に聞いても答えが帰って来ないときに,どうしたらいいのか?
一番いいのは予想をたてることです。
「これなーに? 」 を卒業して
「これは、こうするとどうなる? 」
という段階になると, 予想をたてることを教えてやればいいのです。
たいがいの場合は, 自分がやらなくても誰かがやるから、誰かがやるのをみて「あの予想はどうなるのかな〜」 と考える。
そうするとそこでは, はずれたりあたったりすることが起こります。

例えば, 仮説実験援業では自分で予想を選びますね。
初めはたいがいはずれますが,だんだんと同じことをやっていると当たるようになります。
自分の予想が当たるようになるためにはどうすればいいのか、と考えるようになる。
そういうことをたくさん続けると、これは頭が良くなるという現象ではないかと思います。
つまり自分で問題−予想−討論をやればいいんです。

そういう問題−予想−討論をやれば、先生に聞かなくても, 答えが出てくるんだから、好奇心をなくさなくてもすむのです。     了   文責 きゆな

興味のある方はぜひ板倉聖宣の本を読んでみる事をお勧め致します。今回の「好奇心」について直接触れているわけではありませんが、まずこの本をお勧めいたします。
新哲学入門―楽しく生きるための考え方 (ものの見方考え方シリーズ 1)

板倉聖宣的発想「好奇心」③

◇ 子どもの好奇心をつぶすとき
子どもが聞いて、返ってくる答えがたのしい答えならば覚えます。
自分が特別知りたくなかった草花の名前をちょっと聞いてみたら、それに名前があり, そのときに変な名前を言ったりすると
「 ヘェーこれ変な名前」
と覚えてしまいます。
だから、質問のときは軽い気持ちであっても, 答えによっては覚えるわけです。
知識というのは答えの出し方, 特にたのしい答えが出てくれば効用を発揮します。

「これ」 というように目の前のものは質問できますが, 目に見えないものは質問できません。
子どもが小さいときには, 例えば「原子ってなーに」 というのはないですね。
けれども本を続むようになって, 本で原子という言葉があれば、
「原子という言葉なーに」
と質問出来ます。
だから, 本を続むようになると, 新しいものが出てきます。
本を続むことでひらける新しい世界, 抽象の世界というのは、今までの世界と違ってきて, 子どもの好奇心を旺盛にします。

「原子ってなーに」
「恐竜ってなーに」
と子ども達が言う時に, お母さん方や先生が守勢になってタジタジになって,自分の無能力をごまかすことのみに戦々恐々になると, 子どもは「大人を質問でいじめるのはかわいそうだ」という教育的配慮がはたらいて質問しなくなります。
!
これでうるさい時期は終わりです。
これは好奇心をつぶすわけです。
また先に言ったように, あの人に質問すればたのしい答えが返ってくるということを知っていれば, 質問しますが, 人によっては
「馬鹿ねー, そんなことも知らないの」
とまず言ってから答えてくれる人もあって
「もうそんな人には質問すまい」
ということになります。

また人によっては、子どもに聞かれたときに
「これ辞書をひいたらどう書いているかな?」 と促す人もいますが、たいがい
「辞書をひきたくて聞いたんじゃないよ」(笑)
ということになってしまいます。

では、 好奇心をなくさないためにはどうするか?

つづく

興味のある方はぜひ板倉聖宣の本を読んでみる事をお勧め致します。今回の「好奇心」について直接触れているわけではありませんが、まずこの本をお勧めいたします。
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板倉聖宣的発想「好奇心」②

前回と同じ出典からの書き抜きです。

◇ 好奇心は社会的なもの
 まず「好奇心は育てるものなのか」というのが1 つの問題だと思
います。
 どうでしょうか?
 ボクの考えは好奇心は育てるものじゃなくて、もともとあるもので
す。
 そして, あるものがなくなっちゃうんですね (笑)
 なくなるのはどうしてか、というと成長するからです。

 どうして成長するとなくなるのか?
 それは成長するということは「好奇心を持つと損だ」ということを
発見することだからです。
 成長すると自分を取り巻く社会が、好奇心を持つと損だという構造になっているということを発見して,好奇心を持っと面倒だ、ということになり、好奇心を捨て去るわけです。
つまり,別な言い方をすると「成長するというのは,自分の回りの社会に順応する」ということです。
「好奇心を持つとうまくいかないような社会」と
「好奇心を持っていた方が楽しいような社会」があるわけですね。

※興味のある方はぜひ板倉聖宣の本を読んでみる事をお勧め致します。今回の「好奇心」について直接触れているわけではありませんが、まずこの本をお勧めいたします。
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仮説実験授業研究会代表 板倉聖宣的発想「好奇心」①

夜中、メルマガをまとめています。

けっこう書き進んだので、休憩がてらに、これまでのメルマガを勝手に一つ選んで開いてみました。自分で書いているのに新鮮に読めるのですね。

メルマガには板倉先生の文章で「これは読んでもらいたい」というけっこう長めの文章を載せています。

このサイトでは長過ぎるので、その中の一つの部分を取り出して掲載します。この柔軟な発想にどれだけ影響をうけたかわかりません。板倉先生が1986.8の足摺岬大会で語ったもので、私がPDF化してあった電子データからの書き抜きです。

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「私は北極星とさそり座と北斗七星、それだけしか知らない」という人は非常にいい先生になれます。
「あれは北極星でね,あれが北斗七星, あれがさそり座かな?
    あとは… 、さて、なんだろう? 」 (笑)

 それくらいの星座なら子どもだって、たいがい覚えられますね。
 全部名前がついているらしいことはわかるんだから「名前がある」ということが分かれば十分です。

 子どもが「これなーに? 」と開くとき, 子どもは必ずしも関心があ
るわけじゃありません。
 小さい子どもの「これなーに? 」 「 これなーに? 」 にいちいち付き
合っていたら, 大人は絶対にのびていまいます (笑)

 でも,子どもが覚えたいから聞いているときは、 答えてやらなきゃ
いけないですね。
 そのとき、もし植物の名前を知らなければどうするか?
「なんて名前をつけようか」
「これきれいな花ね, なんて名前がいい? 」
と言ってやればいいのです。
「きれいな黄色の花」
と自分達で名前をつけたらいいんです。

 お母さんと子どもの2 人の間で会話するときに、2 人の間で通じ
る名前がついていればいいわけです。

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