板倉聖宣の発想法「私の発想のほとんどは数学」から/メルマガより

 最新の〈たのしい教育メールマガジン〉で板倉先生の「私の発想のほとんどは数学」という話を紹介したところ、おもしろかったという反響が届いています。

 板倉先生の数学センスは一種独特でわかりやすい工夫が随所にみられます。それについて語った内容です。少し紹介しましょう、発想法の章の1/10くらいの長さです。

 この板倉先生の話を含め、公式サイトにある内容の文責は全て私いっきゅうです。 

板倉聖宣、沖縄にて

板倉

明治マイナス2年」という表記
 「明治マイナス何年」などという表現は私以外にはしないし、これまで見たことがありません、数学教育が全然なってないからです。仮説の人たちは割合にそういうことをやる人がいるようなのですが。
 そう表現すると「ああ、明治維新の寸前なのだなぁ」ということがわかるでしょう。
 私は西暦が好きですけども、明治だけは「明治維新から何年だ」ということが大事ですから明治何年と書くのです。
 だから敗戦後も「敗戦何年」といういい方をしたいのです。

 「敗戦5年には」とか「敗戦3年には」とかいうと、「あ、そんな時代になるのね」と分かるでしょう。
 そういうことで、やはり社会を便宜的に数字で表すのですから、それを分かりやすくする。

 だから、そういう意味で数学教育は国語教育以上に重要な分野なのですね。

2002.11.30に
桑名市民会館

 

 日記やメモなどでは「私の誕生マイナス2年、家族で那覇市に引越し」というような書き方すると、家族の歴史が自分の歴史の中で刻まれていきます。

 そういうことは、いろいろなところで利用できるでしょう。

 真似してみませんか。
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雪の中での暮らしを感じる=暑さ寒さも春分・秋分(彼岸)まで/仮説実験授業 〈授業書〉「月と地球と太陽」

 春分・秋分の日を中心にした前後数日をお彼岸とも呼んでいます。春分・秋分の日は大地を陽の光がさしている時間とさしてない時間、つまり昼と夜の時間がほぼ同じ時間になります。こういう図で説明したりするのですけど、どうして昼夜が同じ時間になるのかわかりにくいですね。

 仮説実験授業に「月と地球と太陽」という〈授業書〉があります、その授業をすると、天体の動きがわかりやすくイメージできます。
 授業を受けたい方はお問い合わせください。

 さて、春分のお彼岸がやってきて、明らかに季節は変わった感じがします。

 たしか開高健(かいこう たけし)の『白いページⅠ』だったと思うのだけど「一年の半分が雪で閉ざされ、年賀状が5月に届くのだ」という新潟の小さな村の話を書いていて、そこで呑んだ水がとっても美味しいという話がずっと心に残っている。

 その村はきっと春分の日も雪に埋れているのだろう・・・

 そのエッセイの影響で、会議や講座などで出かけていくとき、比較的近くに雪が降った場所があると聞いたら、やりくりして出かけ、写真をとるようにしています。

 これはその中の写真で、学校で子どもたちに見せながら授業をしたことを覚えています。子どもたちは沖縄に住む私たちが知らない雪国の暮らしの一片を感じてくれました。

 降った雪がとけずに小さな村を白くおおっています。

 

「先生、壁の上まで雪が来てるね・・・」


「先生、雪で壁が傾いてる・・・」
こどもたちはそう言って、とても驚いていました。

 雪に覆われた寒い暮らしの中でもツバキの花が咲いていました。

 暑さ寒さも彼岸まで…
 やっと〈太陽の季節〉へ変わっていきます。

 雪に閉ざされた村も、ゆっくりと大地が見えるようになっていくのでしょう。

 私も久しぶりにこの写真を見ながら、自然の厳しさも美しさ、そしてそこに住む人々の強さ、しなやかさを感じていました。

 時々、このサイトの話を使ってよいかという問い合わせが来ます。
 どんどん使ってください。
 印刷して利用したいという方もいます、「たのしい教育をしたいので」ということで学校で利用する分には、どんどんご利用ください。
 そのほかの利用については、個別にお問い合わせください。
 

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楽しい教育は先にやるか、あとに取っておくか?/たのしい教育メールマガジンのすすめ

 メルマガ最新号の発想法の章で紹介した内容にさっそく反響が届いています。たのしい教育ははじめでやるか、あとの方に取っておくかという話です。

 〈たの研/たのしい教育研究所〉の応援団として力を貸してくださった板倉聖宣先生の講演内容から少し紹介しましょう。2002年08月、群馬水上温泉で開催された入門講座で語られた一節です。出典に「たのしい授業で変わる学級・学校・社会」というメモがありました、そのガリ本からコピーしたものを伊良波さんがサークルで紹介してくれたのだと思います。

板倉

 『たのしい授業』紙上で一時大きな話題になったことがあるのですが「たのしい授業はとっておきにしておいた方がいいのか」ということがありました。
 これは例えばものを食べる時に、美味しいものを後にとっておく人と、美味しいものを一番初めに食べてしまう人と2種類のタイプがあったりしますけれども、美味しいものは腹一杯になってから食べでも、あまり美味しくなくなっちゃったりします。
 そんなのは好き好きでやっていいわけですが、こと授業に関して、つまり「たのしい授業を後にやるか先にやるか」ということに関しては、かなり実験結果が出ております。
「たのしい授業は初めにやった方がいい。後にとっておかなくてもいい」
 これが結論です。

 あと17日で4月、学校では新しい子どもたちの出会いの月です。子どもたちをたくさんたのしませてあげてください。

 このサイトにも授業のヒントをいろいろ書いているのですけど、メルマガには、具体的な方法を具体的に紹介しています。新しい出会いに向けて、みなさんも購読しませんか?

 教師以外の読者も増えています、人生の見方・考え方としてもお役に立てる内容です。また、たのしい教育の普及に対する応援の意味でもかなり強い力になっています。

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「朋(とも)あり遠方より来たる また楽しからずや」-人と人との触れ合いは単なる情報収集以上の素晴らしさ

 如月(きさらぎ)某日、遠く県外から〈たの研〉を訪ねてきてくれた方がいます。古くからの知人で、とてもたくさんの知恵と元気をくれるAさん(右)です。

 最近、図書資料の話をいろいろ書いてきたのですけど、図書資料の素晴らしさはかけがえのないものとはいえ、直接的な人と人との触れ合いは、それだけでは得られないものを与えてくれます。

 たのしい授業や仮説実験授業研究会の全国的な状況もたっぷり聞かせてもらい、Aさんの魅力的な研究も具体的に教えてもらいました。

〈たの研〉とコラボできないかという話もあり、これからお互いの接点を見つけていきたいと思います。

 国語で習った漢詩は苦手だったのだけど「朋(とも)あり遠方より来たる また楽しからずや」という論語の一節は覚えている。

 太宰治は「酒嫌い」というエッセイに、この言葉を引用しています。青空文庫の大いなる業績に感謝して、その詩が含まれる前後を引用しましょう。※わかり良いように色かえしておきます

 夜、ひとり机に頬杖(ほおづえ)ついて、いろんなことを考えて、苦しく、不安になって、酒でも呑んでその気持を、ごまかしてしまいたくなることが、時々あって、そのときには、外へ出て、三鷹駅ちかくの、すしやに行き、大急ぎで酒を呑むのであるが、そんなときには、家に酒が在ると便利だと思わぬこともないが、どうも、家に酒を置くと気がかりで、そんなに呑みたくもないのに、ただ、台所から酒を追放したい気持から、がぶがぶ呑んで、呑みほしてしまうばかりで、常住、少量の酒を家に備えて、機に臨んで、ちょっと呑むという落ちつき澄ました芸は、できないのであるから、自然、All or Nothing の流儀で、ふだんは家の内に一滴の酒も置かず、呑みたい時は、外へ出て思うぞんぶんに呑む、という習慣が、ついてしまったのである。友人が来ても、たいてい外へ誘い出して呑むことにしている。家の者に聞かせたくない話題なども、ひょいと出るかも知れぬし、それに、酒は勿論、酒のさかなも、用意が無いので、つい、めんどうくさく、外へ出てしまうのである。大いに親しい人ならば、そうしておいでになる日があらかじめわかっているならば、ちゃんと用意をして、徹宵、くつろいで呑み合うのであるが、そんな親しい人は、私に、ほんの数えるほどしかない。そんな親しい人ならば、どんな貧しい肴でも恥ずかしくないし、家の者に聞かせたくないような話題も出る筈はないのであるから、私は大威張りで実に、たのしく、それこそ痛飲できるのであるが、そんな好機会は、二月に一度くらいのもので、あとは、たいてい突然の来訪にまごつき、つい、外へ出ることになるのである。なんといっても、ほんとうに親しい人と、家でゆっくり呑むのに越した楽しみは無いのである。ちょうどお酒が在るとき、ふらと、親しい人がたずねて来てくれたら、実に、うれしい。友あり、遠方より来る、というあの句が、おのずから胸中に湧き上る。けれども、いつ来るか、わからない。常住、酒を用意して待っているのでは、とても私は落ちつかない。ふだんは一滴も、酒を家の内に置きたくないのだから、その辺なかなか、うまく行かないのである。
 友人が来たからと言って、何も、ことさらに酒を呑まなくても、よさそうなものであるが、どうも、いけない。私は、弱い男であるから、酒も呑まずに、まじめに対談していると、三十分くらいで、もう、へとへとになって、卑屈に、おどおどして来て、やりきれない思いをするのである。

 太宰治「酒嫌い」より
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/18350_32522.html

 太宰治は特に注目している作家ではないのだけど、このことばの中から彼の〈酒で紛らわせる苦しい生活様式〉が伝わってきて、苦しくなる。

 それはそれとして、太宰のこの引用にもあるように「朋(とも)あり遠方より来たる また楽しからずや」という言葉は、友と一緒に酒を酌み交わすたのしさを表しているかのように書いていて、多くの日本丼もそのように解釈している感がある。
 けれど本来的には「同じ学問を志す者は、どんな遠くからでも集まって来て一緒に学ぶ。何と楽しいことだろう」ということで作られた言葉です、まぁ、表面上の言葉からはそこまでわからないのだけど。

 Aさんとの語らいの時にはビールも酒もなく、珈琲と、B先生が作ってくれた〈ゆーぬく団子〉を前に、同じく〈学ぶたのしさ〉を追求する者同士の深いたのしさがありました。

 春になったら、出張に合わせて、今度は私が尋ねていこうと思っています。日本のいろいろな処の信頼に足る友人たちと、連携して、ますます充実した活動をすすめていこうと思います。読者の皆さんで、私も〈たのしい教育の普及〉に協力したいという方は、ご連絡ください。

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