「行っては行けないと言われたら行かない子を育てるのが教育か?」という言葉は最新メルマガの発想法の章の中の言葉です、さっそく反響がいろいろ届いています。
発想法の一部を加筆して紹介しましょう、章のやや後半の部分です。
今回の石川県の災害ボランティアのことでも強く考えることがあります。
SNSなどで流布されている「石川県側がボランティアは迷惑だと言っている」という情報の真偽はすでに書いたのですけど、それとは別に「行くなと言われているところには行かない子を育てるのが教育の目的」なのか考えてみましょう。
みなさんはどう思いますか?小学校で「川や池に近寄らないようにしましょう」という安全指導があって、それを守らないとキケンです。
けれど中学、高校と進むうちに川へ行き魚釣りしたり、池でザリガニ獲りするようになる人もいます。大人になったら自分の子どもを連れて川や池に行くこともあるでしょう。
いつまでも小学校の安全指導を守っているという人はほとんどいないでしょう、たぶん。※
成長段階でも違うとはいえ、そもそも「言われたことを守る子どもを育てる」という目標はどれだけ重要なのか考えてみてください。
「行くな」ではなく「行きなさい」はどうでしょう?
「行きなさい」と言われたら行く子を育てるのが教育の目標でしょうか?
上からあるいは周りから言われたことに従うことが教育の目標だとしたら怖いことです。
今から数十年前の日本では「戦争に行きなさい」と言われたら従う子ども達を育てることが当たり前のことでした。
その結果「飛行機で敵軍の戦艦に突っ込みなさい」といわれたら行く人たちがたくさん育ちました。
私たちはそういう悲惨な社会実験から学ばなくてはいけません。
上から言われたこと周りから言われることには基本的に反対するということもおかしいのですけど、言われたことに従うということも恐ろしい・・・
今はボランティアに行ってはいけない、現地に入ってはいけないと言われたら行かない。
みんなでボランティアに行ってください、と言われたら行く、そういう人間を育てるのが教育だとは思えないのですけど、みなさんはどう考えるでしょうか。教育の目標は、誰かの声に従って行動を決める人間を育てることではなく、自分の頭で考えて(予想して)判断する人間を育てることだと、私は考えています。
今回の石川県の災害ボランティアを起点に考えてきたのですけど、そろそろまとめましょう。偽情報に騙されない、見切ることが大切だということと同時に、誰かから言われたことで自分の行動を決めるのではなく、それを〈選択肢〉の一つとして、自分の頭で考え予想を立てて行動していける子ども達を育てることが大切なのだと私は考えています。
そういう子ども達を育てるためにも、私たち自身がそうあることが大切でしょう。
とはいってもなかなか難しいかもしれません、特に優等生で育ってきた人たちはそうでしょう。
そういう中でまず一つ、たとえば〈クラスの平均点を上げること〉が重要なのか〈点数の前に子どもたちの知的好奇心を高めること〉が重要なのか、自分の頭で考えて「こうではないか」と予想を立てる、そして実践(実験)していくことが大切になってくるでしょう。ここまで
たのしい教育は〈おもしろおかしい見せ物〉ではありません、子ども達の笑顔と賢さを広げる本格的な教育です、一緒に力を合わせていただけると幸いです。
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