ノミの実験 (後編)|板倉聖宣から学んだこと「王様は裸だ」

さて、前回紹介した「飛べなくなったノミと仲間の力で飛べる様になった(➡︎こちら)」という実験は本当なのでしょうか?

みなさんはどう思いますか?

二日間にまたがってweb上で検索してみましたが
「ご存じの方もいると思いますが」とか
「師匠から聞いた話ですが」とか「これは先輩から聞いた話」とか
この話は有名な話なので聞いたことある方が多いと思いますが」という様な伝聞の連続で、誰がいつどこでやった実験結果なのか、けっきょくわかりません。

海外のサイトも調べてみました。

 まず一つ、それらしいサイトに当たりました。

The Naked Scientists (裸の科学者)
http://www.thenakedscientists.com/forum/index.php?topic=11394.0

スクリーンショット 2016-05-07 7.39.08

です。

しかしそこも

I found it on the web:(こんなwebサイトを見つけました)

という「伝聞」でした。

もともとは

Real Woman.(本物の女性)
http://www.realwomen.co.nz/content/view/43/17/

というサイトということです。

たどってみましょう。

How High Can You Jump?

Flea trainers have observed a predictable and strange habit of fleas while training them. Fleas are trained by putting them in a cardboard box with a top on it. The fleas will jump up and hit the top of the cardboard box over and over and over again. As you watch them jump and hit the lid, something very interesting becomes obvious. The fleas continue to jump, but they are no longer jumping high enough to hit the top. Apparently, Excedrin headache 1738 forces them to limit the height of their jump.

When you take off the lid, the fleas continue to jump, but they will not jump out of the box. They won’t jump out because they can’t jump out. Why? The reason is simple. They have conditioned themselves to jump just so high. Once they have conditioned themselves to jump just so high, that’s all they can do!

Many times, people do the same thing. They restrict themselves and never reach their potential. Just like the fleas, they fail to jump higher, thinking they are doing all they can do. If You Think If you think you are beaten, you are. If you think you dare not, you don’t! If you want to win, but think you can’t, It’s almost a cinch you won’t. If you think you’ll lose, you’re lost; For out in the world we find Success begins with a fellow’s will; It’s all in the state of the mind. Life’s battles don’t always go To the stronger and faster man, But sooner or later the man who wins Is the man who thinks he can.

 

ノミ・トレーナーたちが観察したところによると・・・
 Flea trainers have observed 〜 

とありますが、いつどこで、どういう人なのかはわかりません。

しかも「ノミ・トレーナー」ってどういう仕事なのでしょう?

もっといろいろたどると

The 100 Top Inspirational Anecdotes and Stories
(高いインスピレーションを与える逸話と物語100)
https://books.google.co.jp/books

ノミの実験に似た内容が書かれています。
しかし、そこにも「ノミのトレーナーたちが観察したところ」と始まります。

名前も実験の日時も記されていません。

また、ノミを箱の中で閉じ込めてあと開けても外に飛び出ないという話はありますが、「仲間のノミを入れると、また高くジャンプした」という話はありませんでした。

もう一つ

LOST POTENTIAL Why Kids Give UP!
(失われた可能性 どうして子どもたちは諦めるのか)
https://books.google.co.jp/books

にも関連する記述が見つかりました。

ノミの実験 たのしい授業の考え方1

ノミの実験 たのしい授業の考え方 文章上から十行目にこうあります。

I once heard about an experiment where fleas were caught, placed in a box and a lid placed on top of it. The fleas would jump again and again and again in attempt to get out.

私は以前、こういう話を聞いた事があります。閉じ込められた箱の中でノミは外に出ようと何度も何度も何度もジャンプします…

またもや『伝聞』です。

たどっていくのはここまでにしましょう。

もしもこのノミの話がきちんとした実験結果によるものだとしたら、「誰が、いつ、どこで」くらいの情報はすぐに入手できるはずですが、ここまで探してもたどることはできませんでした。

わたしの結論は

「ノミの話は〈ゆでガエル〉と同じく〈作り話〉である」

 

感動的な話はどんどん広まっていきます。しかしそれは本当の話ではなく「つくり話」である可能性があるのです。

もしも読んでくださっているみなさんの中で〈この実験は真実である〉という場合には連絡をください。ソースをたどって確かめてみたいと思います。

いろいろな人たちが「わからないことはわからない」と声をあげる。つまり子ども達の様に「裸の王様を、ハダカだ!」と声をあげてはじめて、一歩先にすすむことができるのです。私が板倉聖宣から学んだ重要な一つが、この事です。

長くなりました。
わたしが先生たちに初めて話した、このノミの話を「それは誰の実験ですか?」と聞いてくれたR先生に感謝しつつ、この項を閉じたいと思います。

 

たのしい教育で届けるのは「力」と「笑顔」と「元気」です!
たのしく実力ある教師を育てる活動も「たのしい教育研究所」の大切な仕事です。

授業で勝負|ノミの実験・ゆでガエルの実験(前半)|板倉聖宣から学んだこと

2016年春。連日「授業で勝負」の日々。

研究所に学びに来る若い先生たちに、「仲間と学ぶのもよい」という話題のきっかけに「こういう話を知ってる?」という感じで『ノミ』の話をしました。

ご存知の方もいるかもしれません。
周りの状況から自分で限界を設定してしまうこと、つまり「獲得された無力感」と、それを突破する力についての話です。

わたしの話に感心してくれたたくさんの先生達の中で、ある先生が
「それは誰の実験ですか?」
という質問してくれました。

「そういえば、誰の実験なんだろう? フィクションの可能性はないのかな?」

以前から、それが気になっていたこともあって、わたしがこの『ノミ』の話を出したのは今回がはじめてでした。フィクションなら、訂正が効きやすい上に、このことからも学ぶことができます。

話はかなりさかのぼりますが、板倉聖宣先生が沖縄に来てくれた時のことです。

板倉聖宣板倉先生が沖縄に来る時にはほぼ付ききりでいろいろお話させてもらっていましたから、これまで膨大な量の個人レッスンを受けたことになります。いつかまとめて本にしたいと思っている一つです。

ある時、わたしが喫煙に関する授業プランを作成していた時だったので、それに関して私が気になっていた実験についてした質問に対して
「一回こっきりしか起こらなかった現象に対しては、〈それは間違いかもしれない〉という選択肢も立てて調べた方がよい」という話をしてくれました。

みなさんは「ゆでガエル」の実験をご存知ですか?

インパクトの強い話なので、いろいろなところで紹介されています。読売新聞で紹介されて広まったという話ですけど、わたしはその原点に当たるデータを持っていません。web上で公開されている、某学校の校長先生が二学期に子ども達に向けて出した〈たより〉の中でふれたものがあります、よくまとまっていますから、それを抜粋してみます。

 ここに、ビーカーと三脚、アルコールランプがあります。あと水と生きたカエルが必要ですが、今日は実験ではありませんから、お話だけにします。
このビーカーには水が入っているものと考えてくださいね。
カエルを入れる一つ目の方法です。
あらかじめ水を沸かしてお湯にし、その中に生きたカエルを入れます。すると、その瞬間にカエルは跳び出して逃げます。カエルはお湯の熱さにびっくりするのですね。お湯の入ったビーカーはひっくり返るかもしれません。危険ですからまねをしないでください。
カエルを入れる二つ目の方法です。
生きたカエルを水の入ったビーカーに入れます。カエルは水の中をスイスイ泳いでいます。そこへ、下からアルコールランプの炎でゆっくり熱すると、カエルはどうすると思いますか?
水の温度はじわじわと上がります。でも、カエルは跳び出さないのです。水の温度の上がり方は、とてもゆっくりです。そして、何ということでしょう。ついにカエルはゆで上がってしまうのです。
これは「ゆでガエル」という実験にもとづいたお話です。
ゆっくりした変化にはなかなか気づきにくい。しかし、そのままにしていると、最後には命を落としてしまう場合もあるという教訓です。
私たちの暮らしの中で、このようなことはないかと振り返ることが大事です。急激な変化には誰でもが気づきますが、ゆっくりした変化には気づかず、無頓着に過ごしていることがありそうですね。伸びるためには十分気をつけなければなりません。
ほら、お家でのその姿、「ゆでガエル」になってませんか?

<校長 ○○>

 

板倉先生の話で調べたのが、このことでした。

ゆでガエルの実物は一度も見たことがありません。
残酷とはいえ、簡単にできる実験が、どうして話だけ伝わっているのだろう?

本当かもしれないし、板倉先生がいうように間違いかもしれません。
そうやって調べてはじめて、その話はかなり怪しいということがわかりました。どこにも、その実験の根拠が示されていないことが、そもそも怪しいのです。

 ウィキペディアにこうあります。https://ja.wikipedia.org

 2002年、ドイツの科学ジャーナリスト (enクリストフ・ドレッサー (de:Christoph Drösserは、ドイツ国内でコンサルタント活動家が盛んに使用する茹でガエルの話を疑わしいと感じながらも、証明するためにカエルを茹でたくはなかった。
困ったドレッサーがアメリカの爬虫両生類学者に質問したことを発端として話が学者仲間に伝わり、ホイット・ギボンズ (enから話を聞いたオクラホマ大学教授の爬虫両生類学者ハッチソンは「その伝説は全てが間違っている。動物学臨界最高温度 (Critical thermal maximum調査で、多くの種類のカエルは調べられており、手順として1分間に水の温度を華氏2度ずつ上げるが、温度があがるごとにカエルはますます活発になって温度の上がった水から逃れようとしたことから、蓋が空いていたり器が小さければ逃げる」と回答した[2]

 

以前「水は言葉を知っている」という話をめぐって、学校の先生たちがそれを授業にかけ始めたことがありました。道徳や理科の授業で取り上げ始めたのです。いよいよわたしの知っている先生たちもそういう授業をする人が出てきたので、「科学的とはどういうことか」という50ページくらいの冊子を書いたことがあります。興味のある方はお届けします(送料込み650円)⇨こちら

このゆでガエルも、それに類する話なのです。そして教育をめぐっては、こういう一見感動的な作り話がたくさんあります。

さて、最初に書いたノミの話はどうなのでしょう?

みなさんは本当のことだと思いますか? それとも、ゆでガエルと同じで、つくり話なのでしょうか?

予想を立てていると確実に賢くなることができますよ。

つづく

沖縄から全国に「たのしい教育」を発信するたのしい教育研究所。
授業の腕はいっきゅう品。とどけているのは「笑顔」と「元気」と「力」です!

スティブ・ジョブスのスピーチ

有名なスピーチなのですでに見た方もいると思いますが、教師になるために学んでいる方たちの中には、スティーブ・ジョブスを詳しく知らない方もいますから、ここに紹介させていただきます。

キリスト教由来で「B.C./A.D. 紀元前/紀元後」という言葉がありますが、コンピュータを一般の人たちに普及させたという、人類への大いなる貢献で言えば
B.J./A.J. ジョブス以前/ジョブス以後
と区切りたいところです。

わたしが時々語る

学ぶ中で「点」から「線」となり「面」となる。そしてそれが身体をもったものとして自分の中でイメージできるようになって生きる力となる。

という話も、ここに掲載したジョブスの言葉をきっかけにしたものです。まず聞いてみてください。

スピーチ英文を掲載します。

Thank you. I’m honored to be with you today for your commencement from one of the finest universities in the world. Truth be told, I never graduated from college and this is the closest I’ve ever gotten to a college graduation.

Today I want to tell you three stories from my life. That’s it. No big deal. Just three stories. The first story is about connecting the dots.

I dropped out of Reed College after the first six months but then stayed around as a drop-in for another eighteen months or so before I really quit. So why did I drop out? It started before I was born. My biological mother was a young, unwed graduate student, and she decided to put me up for adoption. She felt very strongly that I should be adopted by college graduates, so everything was all set for me to be adopted at birth by a lawyer and his wife, except that when I popped out, they decided at the last minute that they really wanted a girl. So my parents, who were on a waiting list, got a call in the middle of the night asking, “We’ve got an unexpected baby boy. Do you want him?” They said, “Of course.” My biological mother found out later that my mother had never graduated from college and that my father had never graduated from high school. She refused to sign the final adoption papers. She only relented a few months later when my parents promised that I would go to college.

This was the start in my life. And seventeen years later, I did go to college, but I naïvely chose a college that was almost as expensive as Stanford, and all of my working-class parents’ savings were being spent on my college tuition. After six months, I couldn’t see the value in it. I had no idea what I wanted to do with my life, and no idea of how college was going to help me figure it out, and here I was, spending all the money my parents had saved their entire life. So I decided to drop out and trust that it would all work out OK. It was pretty scary at the time, but looking back, it was one of the best decisions I ever made. The minute I dropped out, I could stop taking the required classes that didn’t interest me and begin dropping in on the ones that looked far more interesting.

It wasn’t all romantic. I didn’t have a dorm room, so I slept on the floor in friends’ rooms. I returned Coke bottles for the five-cent deposits to buy food with, and I would walk the seven miles across town every Sunday night to get one good meal a week at the Hare Krishna temple. I loved it. And much of what I stumbled into by following my curiosity and intuition turned out to be priceless later on. Let me give you one example.

Reed College at that time offered perhaps the best calligraphy instruction in the country. Throughout the campus every poster, every label on every drawer was beautifully hand-calligraphed. Because I had dropped out and didn’t have to take the normal classes, I decided to take a calligraphy class to learn how to do this. I learned about serif and sans-serif typefaces, about varying the amount of space between different letter combinations, about what makes great typography great. It was beautiful, historical, artistically subtle in a way that science can’t capture, and I found it fascinating.

None of this had even a hope of any practical application in my life. But ten years later when we were designing the first Macintosh computer, it all came back to me, and we designed it all into the Mac. It was the first computer with beautiful typography. If I had never dropped in on that single course in college, the Mac would have never had multiple typefaces or proportionally spaced fonts, and since Windows just copied the Mac, it’s likely that no personal computer would have them.

If I had never dropped out, I would have never dropped in on that calligraphy class and personals computers might not have the wonderful typography that they do.

Of course it was impossible to connect the dots looking forward when I was in college, but it was very, very clear looking backwards 10 years later. Again, you can’t connect the dots looking forward. You can only connect them looking backwards, so you have to trust that the dots will somehow connect in your future. You have to trust in something–your gut, destiny, life, karma, whatever–because believing that the dots will connect down the road will give you the confidence to follow your heart, even when it leads you off the well-worn path, and that will make all the difference.

My second story is about love and loss. I was lucky. I found what I loved to do early in life. Woz and I started Apple in my parents’ garage when I was twenty. We worked hard and in ten years, Apple had grown from just the two of us in a garage into a $2 billion company with over 4,000 employees. We’d just released our finest creation, the Macintosh, a year earlier, and I’d just turned thirty, and then I got fired. How can you get fired from a company you started? Well, as Apple grew, we hired someone who I thought was very talented to run the company with me, and for the first year or so, things went well. But then our visions of the future began to diverge, and eventually we had a falling out. When we did, our board of directors sided with him, and so at thirty, I was out, and very publicly out. What had been the focus of my entire adult life was gone, and it was devastating. I really didn’t know what to do for a few months. I felt that I had let the previous generation of entrepreneurs down, that I had dropped the baton as it was being passed to me. I met with David Packard and Bob Noyce and tried to apologize for screwing up so badly. I was a very public failure and I even thought about running away from the Valley. But something slowly began to dawn on me. I still loved what I did. The turn of events at Apple had not changed that one bit. I’d been rejected but I was still in love. And so I decided to start over.

I didn’t see it then, but it turned out that getting fired from Apple was the best thing that could have ever happened to me. The heaviness of being successful was replaced by the lightness of being a beginner again, less sure about everything. It freed me to enter one of the most creative periods in my life. During the next five years I started a company named NeXT, another company named Pixar and fell in love with an amazing woman who would become my wife. Pixar went on to create the world’s first computer-animated feature film, “Toy Story,” and is now the most successful animation studio in the world.

In a remarkable turn of events, Apple bought NeXT and I returned to Apple and the technology we developed at NeXT is at the heart of Apple’s current renaissance, and Lorene and I have a wonderful family together.

I’m pretty sure none of this would have happened if I hadn’t been fired from Apple. It was awful-tasting medicine but I guess the patient needed it. Sometimes life’s going to hit you in the head with a brick. Don’t lose faith. I’m convinced that the only thing that kept me going was that I loved what I did. You’ve got to find what you love, and that is as true for work as it is for your lovers. Your work is going to fill a large part of your life, and the only way to be truly satisfied is to do what you believe is great work, and the only way to do great work is to love what you do. If you haven’t found it yet, keep looking, and don’t settle. As with all matters of the heart, you’ll know when you find it, and like any great relationship it just gets better and better as the years roll on. So keep looking. Don’t settle.

My third story is about death. When I was 17 I read a quote that went something like “If you live each day as if it was your last, someday you’ll most certainly be right.” It made an impression on me, and since then, for the past 33 years, I have looked in the mirror every morning and asked myself, “If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?” And whenever the answer has been “no” for too many days in a row, I know I need to change something. Remembering that I’ll be dead soon is the most important thing I’ve ever encountered to help me make the big choices in life, because almost everything–all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure–these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important. Remembering that you are going to die is the best way I know to avoid the trap of thinking you have something to lose. You are already naked. There is no reason not to follow your heart.

About a year ago, I was diagnosed with cancer. I had a scan at 7:30 in the morning and it clearly showed a tumor on my pancreas. I didn’t even know what a pancreas was. The doctors told me this was almost certainly a type of cancer that is incurable, and that I should expect to live no longer than three to six months. My doctor advised me to go home and get my affairs in order, which is doctors’ code for “prepare to die.” It means to try and tell your kids everything you thought you’d have the next ten years to tell them, in just a few months. It means to make sure that everything is buttoned up so that it will be as easy as possible for your family. It means to say your goodbyes.

I lived with that diagnosis all day. Later that evening I had a biopsy where they stuck an endoscope down my throat, through my stomach into my intestines, put a needle into my pancreas and got a few cells from the tumor. I was sedated but my wife, who was there, told me that when they viewed the cells under a microscope, the doctor started crying, because it turned out to be a very rare form of pancreatic cancer that is curable with surgery. I had the surgery and, thankfully, I am fine now.

This was the closest I’ve been to facing death, and I hope it’s the closest I get for a few more decades. Having lived through it, I can now say this to you with a bit more certainty than when death was a useful but purely intellectual concept. No one wants to die, even people who want to go to Heaven don’t want to die to get there, and yet, death is the destination we all share. No one has ever escaped it. And that is as it should be, because death is very likely the single best invention of life. It’s life’s change agent; it clears out the old to make way for the new. right now, the new is you. But someday, not too long from now, you will gradually become the old and be cleared away. Sorry to be so dramatic, but it’s quite true. Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life. Don’t be trapped by dogma, which is living with the results of other people’s thinking. Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice, heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.

When I was young, there was an amazing publication called The Whole Earth Catalogue, which was one of the bibles of my generation. It was created by a fellow named Stuart Brand not far from here in Menlo Park, and he brought it to life with his poetic touch. This was in the late Sixties, before personal computers and desktop publishing, so it was all made with typewriters, scissors, and Polaroid cameras. it was sort of like Google in paperback form thirty-five years before Google came along. I was idealistic, overflowing with neat tools and great notions. Stuart and his team put out several issues of the The Whole Earth Catalogue, and then when it had run its course, they put out a final issue. It was the mid-Seventies and I was your age. On the back cover of their final issue was a photograph of an early morning country road, the kind you might find yourself hitchhiking on if you were so adventurous. Beneath were the words, “Stay hungry, stay foolish.” It was their farewell message as they signed off. “Stay hungry, stay foolish.” And I have always wished that for myself, and now, as you graduate to begin anew, I wish that for you. Stay hungry, stay foolish.

Thank you all, very much.

沖縄から世界にたのしい教育を発信する「たのしい教育研究所」。
届けているのは「力」と「元気」と「笑顔」です!

眠れない日の教師のために

文筆家で暮らしたいということもあって、これまでたくさんの文章をしたためてきました。

研究所を設立後は、予想外の忙しさに、なかなかゆっくりとそれらの文章をまとめ上げる時間がとれないのですけど、チャンスを見て、必ずまとめていきたいと思っています。

その一つが「眠れない日の教師のために」です。

眠れない日の教師のために

2011年8月8日にドラフトとして書きまとめ、たのしい教育研究所を正式に設立した時に全体的な構想がまとまりました。

 

教師をしていた頃から、放課後のわたしの教室にいろいろな先生たちが来てくれました。カウンセリングを本格化する頃からは、いろいろな学校の先生たちが相談に来てくれるようになりました。

たのしい教育講座も数々開催する中で、悩み多き先生方に具体的な提案をすることもたくさんできる様になりました。

ポジティブシンキングとか、考え方の転換ということではなく、
子ども達とのよりよいコミュニケーション
たのしい授業
たのしいイベント
保護者の方達との関係づくり
教育相談を生かすために

など、具体的に何をどのうように工夫していくことができるかをまとめた一冊です。

前書きをお読みください。

 

はじめに

今日はどういう一日でしたか?

子どもたちの笑顔と出会えたでしょうか。

笑いのある一日を過ごせましたか。

授業をたのしくすすめられたでしょうか。

校長先生や教頭先生は、優しく話しかけてくれましたか。

保護者の方たちとのコミュニケーションは調子よくすすんでいるでしょうか。

 

「今日もいい日だったな」と感じながら気持ちよく眠りに就き

「さあ、今日も子どもたちとたのしくやるぞ」

と気持ちよく起きる。

そういう日々を過ごして行けたら、こんなに嬉しいことはありません。

それにしても「教師」という仕事は、たくさんの不安定要素に囲まれた仕事ですね。

4月。

もともとソリの合わなかった子どもが同士が一緒になり、いつ火がつくかしれない状態で過ごしていたり、穏やかだと思っていた子が、何かのきっかけでトラブルを起こしたり、両親の不和がひきがねで心が不安定になって、突然教師に反抗してきたり。

たたでさえ忙しい日々の中、たくさんの行事や研修、これまで無かった分野の仕事が割り当てられたり。

そういう激務の中で体調もすぐれない・・・

ハードな日常故に、気持ちがうまく伝えられず、保護者の方や同僚との関係がこじれることもあります。

家庭の事情で休みをとらなくてはいけない場合にも、なかなか休めず体力的にも、気持ちの面でも追い詰められたり…

その悪循環が連なって、学校の仕事にかける力が分散され、ますますマイナスの状況を生む…

悩みのタネは書き切れないほどです。

わたしはこれまで30年近く、先生という仕事をして来ました。

その中でいろいろ人たちから相談を受けることがありました。また個別カウンセリングやカウンセリング講座、発想法、たのしい授業の実践講座などを幾つも開催してきまた。そういう中で、問題が解決していったり、あるいは解決しないままでも、本人が穏やかに日々を過ごせるようになった相談が幾つもありました。

今回、樹楽庵(きらくあん)文庫の一冊として、この本を刊行したいと思います。ノウハウもの、Q&A的なものではなく、骨格となる理論も含めた、応用の効くものとしてまとめられたらと考えています。

この一冊が、自分の進む先が見えずに困っている、あるいは苦しんでいる皆さんの足元を照らすロウソクの一本になればと心から思っています。

たのしい教育研究所 きゆな はじめ

 

沖縄から世界に「たのしい教育」を発信する
「たのしい教育研究所」です。

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