先ごろ、ある管理職の方と懇談している時、学校教育をめぐって「自分が先輩たちから学んできた頃、常識だったことがどんどん変わっていく」というお話がありました。昔の頃が正しかったのか、今が正しいのかといった時には〈仮説実験〉でいくしかありません。以前、仮説実験授業研究会の代表 板倉聖宣が語った「〈生き方〉も〈仮説・実験〉で行くしか無い」という話を〈たのしい教育サークル〉用にレポートにまとめたことがありました。2001年のグランドフェスティバルで語った内容です。教師だけでなく一般の方たちにも通じる話だと思うので、少し紹介させて頂きます。
未来のことだけではなくて、自分の知らないことはいっぱいありますね。ですから間違えるのは当たり前なのです。
そういう場合「間違えたときには軌道修正をする」ということが大事なのです。
しかし、今までの人たちは軌道修正をすることがほとんどできませんでした。
小説などにも、若くて死んだ人は「最期まで立派だった」とほめてもらえます。長く生きた人はどうかというと「あの人は頑固おやじだったから素晴らしかった」とか「ずっと若い時の心情のままで頑固に生きた」と、ほめるような伝記がたくさんあるような気がいたします。
しかし「そんなほめ方はしないでほしい」と思っています。
はた目で見ていると「あの頑固おやじは立派だ」と見えるかもしれません。しかしその周りの人は「とても困ったな」と感じているのです。
年をとってから〈頑固おやじ〉の状態だと、周りに被害を及ぼすのです。
〈年をとっても若い時の情熱をそのまま持って生きている〉という生き方は、これまでは、もしかしたら人生論的に、仕方がなかったのかもしれません。
しかし仮説実験授業の考え方としては、そういう生き方は受け入れられません。
仮説実験授業というのは〈軌道修正のできる生き方〉とつながっているのです。〈仮説実験〉というのは、それまでは「真理だ」と思われていたことの間違いを明らかにしていく生き方です。
ですからはじめは少数派です。
〈仮説実験〉によって、少数派が多数派になることもあります。
しかし「少数派の自分の意見が、もしかして間違っているなら、勇気をもって自分の意見を変える」という生き方をしてほしいのです。
だいたい世の中で一般的なことは多数派です。ごくごく一般的なことは多数派が正しいことが多いのです。しかし、未来のことになると少数派が正しいことがたくさんある。
そういうことも〈仮説実験〉で決まるのです。
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