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授業を受けた人たちからの評価が最優先/外部講師、同僚、企画実施者が絶対評価者になっていないか②

 前回の記事を読んで「考えてなかった発想の仕方なのでドキドキしながら読みました」というメールが届いています。RIDE(ライド)にとってはごく普通の発想法・方法なのですけど、今の学校教育の見方考え方とはかなり異なるので「そういう考え方もあるのか」という様にきっかけ的に読んでいただくのも結構です。もっと深く、RIDE(ライド)の着実な発展のベースにあるものを知りたいという読者の方にも伝わる様に書いていきたいと思います。

 教育は誰のためのものか、何のためにやるのか?

 RIDE( ライド:たのしい教育研究所 )の見方・考え方についてはこれまで何度も書いてきましたから、ここではまず憲法をたどってみたいと思います。

すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

日本国憲法第26条

 教育というのはまず〈国民の権利〉として存在しているです。

 その憲法を受けて〈教育基本法〉の第一条には真っ先に〈教育は人格の完成を目指す〉という目標が示されています。

 つまり「国民一人ひとりが人格の完成を目指すための権利として存在しているのが〈教育〉」なのです。人格に完成という段階があるのかについては論が長くなるのでここでは触れません。

 当然、教育を実施するもの、司るもの達は、その権利を行使している普通の人たち、その教育を受けている人たちに「私たちが提供している教育は、みなさんの権利を保障する様な内容となっているでしょうか、満足してもらっているでしょうか」と問わなくてはいけないと思うのですが、どうでしょうか。

 逆に教育を司るものたちが、自分たちの実施した教育を物差しにして「あなたはOKです」とか「あなたはちょっとがんばらなくてはいけません」という様に評価するとしたらどうでしょう・・・

 主人公は教育を受ける人たちです。ですから教育を実施している者たちが評価される立場なのだというのがRIDE( ライド:たのしい教育研究所 )の考え方です。

 ですからRIDE( ライド:たのしい教育研究所 )の講座を受けた人たちには全員に真摯に問いかけています、「学ぶことをたのしめたでしょうか」「理解度はいかがでしたか」と。そして「参加してくれた皆さんが自分の賢さや可能性、笑顔といったものが高まってきたか」について感想などから丁寧に拾っています。

 仮にRIDE(ライド)が絶対評価者になって「今回参加した人たちはちょっと理解力が足りないね、残念な人たちだったね」などという様な立場になったらどうでしょう。六年間もいろいろな人たちの支持を得ながら成長してこれたでしょうか?
 とっくに滅び去っていたでしょう。

 実はちまたに並んだ製品を作る人たちも、映画も小説のクリエーターたちも、サービスを提供している人たちも、社会で広くいろいろな人たちの支持を得ているものは総じてRIDE(ライド)スタイルです。それを受ける側の人たちの評価を全面に受け入れて、一歩ずつ進んでいるのです。

 学校はまだそうだとは言えません。
 そういう銃強が続いているのは、明治期に確立した教育システムが強固だからです。

 しかし今はそういう時代の終わりの始まりの時期でしょう。
 世の中を切り開いていく創造的な人たちは、誰かの価値観に合わせて要領よく生きて行くことに長けた人たちではありません。
 自分の思いや感性などを大切にしている人たちです。
 そういう創造的な人たちを育てることのできる教育は、いろいろな人たちが満足して学んでいく、もっと学びたいという意欲を育てる教育でなくては成り立たないでしょう。

 その為にも、例えば学校の授業が子ども達に評価してもらうスタイルにかわっていくことが大切です。
 ごく普通に、教師自身が子ども達に評価してもらう様になる。
 もちろん校長教頭もそうです。管理職は職員に「私は皆さんのやる気を高めているでしょうか。もっとこの学校で頑張りたいという意欲が湧いてきたでしょうか?」という様に真摯に問いかけ評価を受ける。
 教育委員会はそれぞれの学校に「われわれの組織はそれぞれの学校が意欲的な集団になっていける様な努力をしているでしょうか」と評価を受ける・・・

 そういう時代になっていくことで、本来の個性をどんどん伸ばしていく子ども達が増えていくに違いありません。。

「そうはいっても英語の授業とかはやらなくてはいけないですよね、そういう日々の授業をどうすればよいのでしょう」という疑問が起こるかもしれません。
「英語を教えること」は指導要領で決まっています。
 それも子どもたちに「私たちが提供している英語の授業で、皆さんはもっと英語を学びたくなりましたか?」と問いたい。「英語は勘弁してほしい」という子ども達を増やしているとしたら、その指導の方向を変革していくのがプロの力、税金などで給料をもらっている人たちの責任でしょう。

 研究授業などでも、外部講師が絶対評価者になったり同僚上司が絶対評価者になるのではなく、あくまで子ども達が第一評価者となる様なものにしたい。
 同僚外部講師などは、その子ども達の評価を元にして、もしかすると「こういうアイディアですすめたら、時間的にシャープに進んだ可能性がある」とか「もしかすると、国語の楽しみ方を別な角度から提供することで、もっと多くの子ども達の笑顔が生まれたかもしれない」という様な材料を提供する。
 もしかして子ども達の多くが支持しない様な授業であれば、そのアイディアはさらに重要度を増すでしょう。
 また、こども達の評価が高かった授業についても、〈賢さ〉についてはこういう流れもありだと思う、という様な材料の提供もあります。ただし、そうアイディアを出してくれた人のいうように授業を組み立てたら本当に願い通りの成果になるかはわかりません。次回そういう組み立てで授業して子ども達に評価してもらうとよいでしょう。

 いずれにしても、子ども達の評価を全面信頼して進んでいくというスタイルが基本中の基本です。

 そういう逆転が起こっていくことは必然であると思っているのですけど、いずれ〈歴史〉が証明してくれることでしょう。
 私いっきゅうがここで綴った西暦2019年という一点は、そういう時代から見て遥か遠い昔になってしまわないように。もっと早くそういう日々がくるように、着実に力ある創造的な人たちを育てていきたいと思っています。

 大風呂敷を広げた様な話を書きました。
 少しでも共感してくれる部分があれば幸いです。
 意見を異にする人たちもいるでしょう。しかし〈和を以って貴しとなす〉がもう一つのRIDE( ライド:たのしい教育研究所 )スタイルです。
 賛同できない方も、以前〈宗教の見方考え方〉で書いた様に「子ども達の笑顔の方向」ということで協力できるなら、いつかきっと少しずつ歩み寄っていけるものだと思います。

 やはり少々長くなりました。
 これで終わっておきましょう。

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