「たのしい教育メールマガジン」が、今週も好評です。
仮説実験授業研究会代表の板倉聖宣(日本科学史学会会長)が語ったことを「たのしい教育の発想法」の章に掲載しています。
タイトルが「つまらないことを勉強しない人の素晴らしさ」です。
今回は、その章を補完する形で私の考えを加えたいと思います。
優等生は、先生や大人達から言われたことを大切にして、何でもがんばって取り組みます。逆に言えば、そうやってがんばっている人たちを優等生と呼ぶのです。
そして「教育者」は、その優等生だった人が多いのです。
ですから、今の教育を強く支えて来た人たちは、優等生だということができます。
「いわゆる〈悪ガキ〉的なタイプだった」という人たちは、先生や大人たちのいうことをそのまま素直に受け入れなかった人たちです。
先生から「これを勉強します」というように言われても「つまらないことは勉強しないよ」と考える人たちです。
では、そういう人たちは教育を支えていないのか?
実は、教育の水準を上げるのは、そういう「つまらないことは勉強しないよ」という子ども達でもあるのです。
教師の中で、そういう人たちをはじき返すのではなく、「では、キミがたのしく学んでくれるような教材を開発しましょう」と取り組んだ人たちがいろいろな提案をしていきました。
「教育」を高めてきたのは、教師を前にしてとても大変なことにもかかわらず、「つまらないことは勉強しない」と主張してきた子ども達であり、また、それに答えた先生達でもあるのです。
ですから〈優等生〉も、いわゆる〈悪ガキ〉たちも、教育の水準を高めるために欠かせないのです。
「たのしい教育」は、優等生ももちろん「つまらないことは勉強しないよ」という人たちも一緒にのめり込んでくれる授業です。
そして「たのしい教育研究」には、優等生だったという先生達も、悪ガキだったという先生達も一緒になって、たのしい取り組みをすすめている場所です。
これからも、本質的な力を高めるたのしい教材づくりに全力投球していきます。
応援をよろしくお願いします。