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たのしい教育と発見学習 ブルーナー「教育の過程」、板倉聖宣の仮説実験授業

 仮説実験授業と発見学習、板倉聖宣のブルーナーに関連して記事を書いたところ、続きが読みたいというお話をいくつもいただいています。「板倉聖宣は、発見学習のブルーナーと彼を出発点に開発が進んだ〈PSSC物理〉に触発されて仮説実験授業の授業書づくりの開発を進める様になった」という私の予想は、それが正しいにしろ外れているにしろ、検証には長い時間がかかりそうです。読者のみなさんも、結論に至るまでの道程を気長にお付き合いください。

 今回は、ブルーナーが語っていることを、彼の代表的な著書である「教育の過程」からみていくことにしましょう。
 「教育の過程」は1959年に全米科学アカデミーによって召集されたウッズホール会議の内容を、議長を務めたブルーナーが認知的な視点からまとめたものです。なお「教育の過程」は岩波書店から1963年に出版されたものを利用しています。

 ブルーナーの発見学習を説明する時によく目にする

「どの教科でも、知的性格をそのままに保って、発達のどの段階のどの子どもにも効果的に教えることができる」という仮説を提示した。ウィキペディア「ジェローム・ブルーナー」から⇨こちら

 という言葉も、「教育の過程」に出てきます。

 有名な言葉なので、教育関係の試験でもそのまま問われることがあります。たとえば

  次の【I群】の人物と【II群】の記述を結びうけた場合の正しい組み合わせを一つ選びなさい。

【I群】
A ベル(Bell, A.)
B キルパトリック(Kilpatrick, W.H.)
C ブルーナー(Bruner, J.S.)

【II群】
ア 「どの教科でも、知的性格をそのまま保って、発達のどの段階の子どもにも効果的に教えることができる」という仮説を提示した。

 

イ 生徒集団の中から優秀な生徒を助教として任用し、助教が教授の指示を他の生徒に伝えるという方法をとり、多数の生徒を一律・効率的に教育することを可能にした。

 

ウ 子どもたちが自ら価値あると感じる課題を設定し、それをプロジェクトとして、目的→計画→遂行→判断・評価という4段階を経て自主的に問題解決に取り組む学習の方法を提唱した。

 

 ブルーナーはアが正解となります。※ちなみにキルパトリックはウのプロジェクトメソッド、ベル(アンドリュー・ベル)は助教法で「イ」

 たのしい教育研究所で開発した教材には〈原子論〉や〈重力〉〈落下〉を本格的に取り上げたものがいくつもあります。まさに「知的性格をそのままに保って」、原子論や重力、落下を扱ったものです。難しいと思うかもしれませんが、幼稚園の子ども達や保育園の子ども達からも、とても好評な教材の一つです。
 ですから、たのしい教育研究所としては、ブルーナーの提案に異論はありません。

 しかしブルーナーの提案を批判的に受け取った人たちもたくさんいました。実は、「教育の過程」を丁寧に読むと、こういう言葉が出てきます。

 第二のテーマは学習のレディネス(readiness) に関連している。

 この国の学校は、多くの重要な教科があまりにむずかしすぎるという口実で、その教育をあとの方へおくらすことによって、貴重な年月を浪費しているということである。

 このテーマを取扱っている章が、どの教科でもその基礎を、なんらかの形で、どの年齢の、だれにでも教えることができるであろうという命題ではじめられているのに読者は気づくであろう。15-16p

 ブルーナーは「どの教科でも〈その基礎〉を〈なんらかの形で〉、どの年齢のだれにでも教えることができる」と言っているのです。

 ウィキペディアや試験問題に出ていた「どの教科でも、知的性格をそのままに保って、発達のどの段階のどの子どもにも効果的に教えることができる」の「知的性格をそのままに保って」という言葉は、〈その基礎をなんらかの形で〉という様に言い換えると、批判のいくらかは解消できるかもしれません。

 もう一つ、ブルーナーの発言について取り上げたいと思います。仮説実験授業の授業運営法の重要なキーに「〈なんとなく〉も大切に扱う」という発想があります。たとえば板倉聖宣は「仮説実験授業のABC」仮説社に
「〈なんとなく〉もちゃとした理由である」と記しています(改定3版11p)

 実はそのことについて、同じ考えをブルーナーも書き記しています。「教育の過程」は難し目の書き方をしているので、一見わかりにくいかもしれませんが、この中に出てくる〈hunch:ハンチ〉という言葉はまさに〈なんとなく〉とか〈第六感〉というイメージの言葉です。

 直観的思考や、予感 (hunch) の訓練は、形式を整えたアカデミックな学問においてだけでなく、日常の生活における生産的思考において、非常に無視されているが、重要な一面である。 鋭い推察、創意豊かな仮説、暫定的な結論にむかつての勇気のある飛躍ーこういったものは、思索するひとが、たとえどのような仕事であっても、その仕事をすすめるうえでもっとも価値のある財貨ともいうべきものである。

ブルーナー「教育の過程」17p

 

 たのしい教育研究所でも「なんとなく」をとても大切に扱って授業を構成しています。人間には、きちんと言葉で説明する前の〈なんとなく〉という段階があるのです。そういう過程を経て、次第に、自分の考えというものを周りの人達に伝えることができるようにもなってきます。

 ブルーナーも板倉聖宣も、似た時期に同じような主張をしていたということがわかります。どちらの主張が早かったのか、それも後日調べてみたいテーマの一つです。今日はここまでにしましょう。1日1度のここの「いいね」クリックで〈たのしい教育〉を広げませんか➡︎ いいねクリック=人気ブログ!=ジャンプ先でもワンクリックお願いします!