月に一度のたのしい出前児童館のリーフが完成しました。今日9/10(月)からスタートします。ものづくりやゲームなど全部無料でたのしめます。沖縄市の児童が対象です。
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記録の歴史を学ぶ授業プラン〈映画・写真編〉のラフの一つを前回から紹介しています。いくつか興味深い反応も届き喜んでいます。学校で授業にかけられるようになるまでには私いっきゅうの時間的なものが絡むのでまだ先になりますので気長にお待ちください。
前回、カメラは1000年前に発明されて、その後、動く映像である動画・映画ができたのは100年前だというところまできました。つまり〈動く映像〉を見ることができたのはカメラの発明に比べてかなり最近だということです。
わたしが気になったのはここからです。
外の映像を見るシステムである〈カメラオブスキュラ=カメラ〉は、その映像の下に〈紙〉などを置いて、手でそれを写し取って記録することができました。
これは空・雲の映像をテーブルに写している場面です。筆記用具があればその様子を絵として残すことができますね。
写し取るために、こういう工夫も生まれました。
手で写し取るだけでなく、その後「写真」といって、映像をそのまま残すことができるようになりました。
今はデジタルカメラが普通なので、写真というものを知らない人がいるかもしれませんが、たとえばこれは沖縄の宮古島のふるい〈写真〉です。
画像データとしてではなく、プリントアウトした様な状態で景色がそのまま写し取られているわけです。
手で写し描くのではなく、こうやって「写真」として画像を残すことができるようになったのはいつ頃からでしょう?
カメラが発明されてしばらくすると〈写真〉も発明されたのでしょうか。それとも、写真は最近発明されたものなのでしょうか。
写真の発明は?
ア.カメラ・オブスキュラから10~20年くらい後
イ. 〃 50~60年くらい後
ウ. 〃 100~200年くらい後
エ. そのほか
フランスのニエプス(下左)がはじめて「写真」を完成させました。それはカメラの発明から800年くらい後、1826年の事でした。
これも問題にしようかと思ったのですけど、長くなるのでそのまま書きますね。
ニエプスがフィルムとして使った素材は、なんと、道路に使われているものと同じ「アスファルト」です。
アスファルトは熱で固まります。
その性質を利用したのです。
夏の暑い日に屋外で8時間光を当てることでアスファルトを固め、固まらなかった部分を油で洗い流すことで画像を作ったのです。
よく、こういうことを思いついたなと思いませんか?
しかも映像がしっかり写っています(下右)。
その後、「銀」が化学変化で短時間に黒く変色する性質を利用した「銀版写真」が発明され、更に写真は進化していきます。
アスファルトの写真よりずいぶん細かくハッキリしていますね。
その後、幾つもの進化を重ねて、アメリカのイーストマン(左)が、セルロイドを巻いたロールフィルムが誕生しました
1889年、今から120年くらい前の事です。
ちなみに彼の設立した会社が「イーストマン・コダック社」です。
大人の皆さんなら見た事がある人も多いと思います。
このロールタイプのフィルムの発明で、写真の連続撮影が可能となります。
連続して写した画像を一つの画面にどんどん順番に映し出してて行く事で「動画」が誕生します。
ここまでをまとめると、今から1000年程前に「カメラ」が発明され、今から100年程前に「映画」が誕生します。
初めはサイレント(無音)映画
映画は映像を写すシステムでしたから、初めは音は入っていません。
サイレント映画です。
リュミエール兄弟によって上映された作品は「ラ・シオタ駅への列車の到着」(右)という50秒の作品だったといわれています。
音は入っていませんが、それを観ていた観客達は、本当に汽車が突っ込んで来ると思い込んで、部屋の後まで逃げていったという話も伝わっています。
映画は、人気を博し、いろいろな作品が登場します。
こういう話は、またいずれチャンスがあれば・・・
記録の歴史の一コマ、いかがだったでしょうか。
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今回は〈映画の歴史・写真の歴史〉の話です。私いっきゅうにとっての〈映画〉は趣味のレベルを超えて、〈読書〉の様に人生に欠かせない存在です。
いつか「言葉」を〈文字〉としてを刻みつけた歴史と合わせて、「映像」をフィルムに刻みつけた〈写真〉、そしてその写真が動く様に見える〈動画〉、さらにいろいろな人たちが一斉に見ることができる〈映画〉が発展して来た歴史を合わせて「記録の歴史」として、いろいろな人たちが興味をもってくれる授業プランにしたいと思っていて、数年前に書きためてあるパランです。
ラフプランですけど、少し紹介しましょう。
おつき合いください。
※
映画は今からどれくら前に誕生したのでしょう?
予想してもらう前にまず「何を映画というのか」についてハッキリさせておきましょう。
ここでは止まった映像を〈写真〉、それが動いて見えるものを〈動画〉、そして〈多くの人達が一緒にみることができるものを映画〉だと定義しておくことにします。
では「今からどれくらい前に映画が誕生したか」予想してみてくれませんか。
〔質問1〕映画は今から
ア.500年くらい前…1500年頃に誕生した
(日本でいえば戦国時代)
イ.200年くらい前…1800年頃に誕生した
(日本でいえば江戸時代の終わり頃)
ウ.100年くらい前…1900年頃に誕生した
(日本でいえば明治時代の終わり頃)
エ.50年くらい前(日本でいえば第二次世界大戦後)に誕生した
オ.その他どうしてそう思いましたか?
エジソンが発明した「キネ・スコープ」が「動画」の始まりだと言われています。
1891年の事でした。
このキネトスコープは一人でのぞき込むタイプです。
その後「リュミエール兄弟」が「シネマト・グラフ」を開発します。
それは、今の映写機の様に、壁に動画を投射して、みんなでそれを観るタイプです。
このリュミエール兄弟が開発した「シネマト・グラフ」をもって、映画の始まりだという人たちがたくさんいます。
いずれにしても、
「ほぼ1900年頃に映画の歴史がはじまった」といってよいのです。
今から100年少し前の事です。
ところで、映画に至る前には「カメラ」それで写した「写真」がありました。
その歴史もたどってみましょう。
カメラはいつ頃からあったのでしょうか?
予想してみましょう。
その前に、これも「カメラとは何か」についてから確認しておきましょう。
授業書「光とむしめがね」にも出てきますが、カメラというのは〈カメラ・オブスキュラ〉を短縮した呼び方で、外の景色を中に映し出すための機械です。
ここで注意しなくてはいけないことがあります。〈カメラ〉と〈写真/フィルム〉とは一体ではないという事です。
写真・フィルムがなくてもカメラなのです。
〈フィルム・写真〉は、カメラで映し出した画像を記録しておくためのものです。外の映像などを見ることができるものを〈カメラ〉と呼び、その後、見た映像を記録するために〈フィルム・写真〉が発明されたのです。
ではあらためて質問です。
〔質問2〕
「カメラ」はいつ頃からあったのでしょうか?
予想
ア.紀元元年頃…今から2000年程前
イ.今から1000年くらい前
ウ.今から100年くらい前(映画より少し早いくらい)
エ.その他
どうしてそう予想しましたか?
カメラ・オブスキュラの歴史は、アラブの科学者イブン・アル=ハイサムにたどる事ができます。
彼の『光学の書』(1021年)の中身についてはwebでも幾つか見る事ができます。
そこには、ピンホール(小さな穴)を空けただけのもの、やレンズでスクリーンの上へ外の風景を投影する装置の事が記述されています。
http://fotokiddie.blogspot.jp/2012/06/blog-post_19.html
その頃は、写真は無く、必要に応じて映し出した画像を手でなぞりとって記録していました。
「光学の書」によればカメラ(カメラ・オブスキュラ)は今から1000年くらい前に発明されていた、と考えてよいでしょう。
映画の歴史が100年、カメラの歴史はその10倍の1000年です。
中には下の絵の様に、一つの建物の中に外の景色を映すタイプのカメラも作られました。
カメラ・オブスキュラが発明された頃は、映された像を手で描いて(トレースして)いました。
その後、映した像を焼き付けた「写真」が発明されます
その画像によって、写真の素晴らしさは世界に広がっていきます。
〔質問3〕
カメラ・オブスキュラで映し出した映像を刻みつけて「写真」にする方法は、いつ頃発明されたのでしょう?あなたの予想
ア.カメラ発明後100年以内(1000〜1100年)
イ.カメラ発明後 400〜500年後(1400〜1500年)
ウ.今から100年くらい前(1900年頃)
エ.その他
どうしてそう予想しましたか?
続く
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たのしい教育研究所のウェルカム担当ア~ルは外が大好きで、朝、研究所の窓を開けると、こうやって外を眺めるのが日課です。そしてその後、散歩することも欠かせなくなってきています。
ア~ルと歩くと、外にはいろいろなにおいに満ちていることがわかります。
少し歩いては鼻を近づけ、また少し歩いては鼻を近づけ・・・
ア~ルは数メートル歩くまでにこの動作を何度も繰り返します。
いろいろな音に囲まれていることにも気づかされます。
鳥のさえずり
セミの鳴き声
風のそよぎ
木の葉の落ちる音
犬の遠吠え
車のタイヤの音
最近は選挙の宣伝カーが発する大きな声もよく耳にします
ア~ルはその音に歩みを止めたり、顔をあげたり、身体を伏せたり・・・
一つ一つの音に敏感です。
はじめの頃は音や人や他の生き物にとても驚いて走り出してしまうこともあったのですけど、最近は慣れて来て、わたしは本を読みながら歩くこともできる様になりました。
慣れたあかしかもしれません、動きがないなと思ってア~ルを見ると、木などにのぼって私を眺めていることもあります。
ア~ルは二ヶ月前、危ないところをうちの家族に保護されてやってきました。そのままだと命を落としていたでしょうから、とてもよかったと思います。
突然やって来たにもかかわらず、ア~ルのおかげで、研究所にはこれまでなかった様な〈たのしさ〉も広がっています。
研究所によく顔を出してくれる人たちは、ア~ルの顔を見にくるのもたのしみにしてくれています。
ア~ルは訪ねて来た人をウェルカムスペースまで迎えに行ってくれますし、教材づくりなども、ア~ルがいろいろな素材で遊びまわるので賑やかです。
忙しさが加速するうちに、ほとんど散歩に行くことができなくなっていた散歩も、ア~ルのおかげで復活。
わたしは歩くのがとても早いので、ア~ルの進み方でゆっくり自然を感じながら歩くことは少ないのですけど、それが普通になりました。
研究所に戻ってわたしはまたたくさんの仕事をこなす。
ア~ルとは私の足元にある専用のベッドで寝ています。
阿波踊りの様な姿勢ですけど、背伸びとかアクビをしているわけではなく、この状態で何時間もすやすや寝ています。
もともとの計画になかった様なことが起こるのが、私たちの暮らしです。そして予期しないことが起きても、それをたのしみにかえていけるのが人間なのです。
今日は、あと二つほど仕事をこなしたら、また散歩に出ようと思います。
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