〈学ぶことがたのしいからやめられない〉そういう姿はなんて幸せなことだろう/師的川泰宣から学んだこと、板倉聖宣が語ったこと

〈たのしい教育の普及〉に全力を投じている姿に、昨日もある方から「寝ていますか」と心配するメールが届きました。現場の教師をしていた頃は休みもあったのですけど、〈たのしい教育研究所:RIDE〉を設立してからは、五年間休み無しですから、楽しくなくてはとても続けて行けません。
 わたしの場合には取り巻く環境に恵まれて、スムーズにこの活動に進むことができたのですけど、こういうことを〈いやいや〉やっていたら大変です。もしも〈起きている間はずっと同じ事を続けなさい〉となったら、大抵の刑罰はその前にひれ伏すでしょう。

 こういうことが普通にできる様になったのは、わたしの師の姿も大きく影響しています。宇宙教育を直接教えて頂いた 的川泰宣先生、日本の〈宇宙教育〉の第一人者です。そして仮説実験授業を創った板倉聖宣先生、空手の師 仲里周五郎先生。全員、その道に全力を投じた方たちです。

 的川先生は一緒にアメリカに授業しに行ったときの事、私たちが外を歩く合間にも、著書の原稿の校正をしていた程、さらに沖縄で私がいろいろなところを案内していたときには、日々のたくさんの仕事をこなしていたからでしょう、車内では寝ながら私の話に受け答えしていました。〈寝ているのに返事ができる〉つまり寝ているときもそれに全力投球している・・・

 ちょうど板倉先生が、ある事に全力を投じるという事について話をしています。メールマガジンで紹介した板倉聖宣の講演の一部を切り取って紹介しましょう。1991年に広島で語った内容を私が読みやすく編集し直したものです。

板倉聖宣、仮説実験授業研究会

 

 科学と芸術をいやいやながら作った人はいません。

 科学とか芸術とかいうものは、もともとたのしくできたものだからです。

 

 科学と芸術というものは全部たのしくやってきたものだから、全部たのしくできるはずなんです。

 

 もう1つ大切なことがあります。

 科学と芸術なんていうのは贅沢ものだから、知らなくたっていいということです。

〈知らなくてもいい〉という前提のもとで「たのしくやりましょう。たのしくできなかったらやめましょう」と、それでよかったんです。

 

 今は、みんなたのしくやってないということがわかるでしょう。

 

 みんながたのしくやってたら、それを見ている人たちは自分もやりたくなりますよ。

 

 私は科学の歴史が専門ですけれども、科学の歴史を見ていっても〈誰が何をがんばって研究しました〉という本が大部分で、〈科学者がどんなにたのしそうに研究したか〉ということは、はっきりしないことが少なくないと思います。

 

 芸術の本でも、芸術家がどんなに厳しい訓練をしたかということを一生懸命強調しているおかしな本があったりします。

 外から見たら厳しい訓練をしているように見えるかもしれません。しかしそうではない。

 

 私の仕事も、外から見たら厳しい様に見えるかもしれません。だって、たのしくてやめられなくなっちゃって夜も寝なくなっちゃうんだから。

 夜中に起きてやりたくなっちゃったら、睡眠不足になってくたばっちゃったりするでしょう。

 これをたのしくないのにやったら大変です。

 頑張り精神でやっているのか?

 そうじゃないんです。

 

 たのしいと、ついつい体のことを無視してまでやっちゃうんですね。

 外から見ると厳しい中で歯を食いしばっている様に見えるかもしれないけど、そうではないのです。

 

 ガリレオは真理を追求するために頑張りました。そして、真理を主張するために体を張ってやりました。

 何か厳しい生活をしたみたいなんですけれども、ガリレオという人は研究がおもしろかったから、自分の研究成果をみんなに知らせることが好きでしょうがなかったから〈地動説〉なんて言うと〈身の危険〉があることを知ってたんだけれども〈たのしさ〉には勝てなかった。

 それで身の破滅になっちゃった。

 しかし幽閉されてもたのしいことがやめられなくて、また本を書いた。

 本当はそうだと思います。

 わたしも、こういう人たちの元で学びましたから、なにしろ〈たのしく〉やっています。日本の南、沖縄の地で〈たのしい教育〉が広がって、日本一元気な県になる。そしていろいろなところから沖縄に教育を学びに来る。〈たのしい教育立県〉※立県:たのしい教育で〈県〉を立てる そういうことも幾つかの目標の一つです。

 今日も一人、明日も一人という様に、興味関心を持ってくれる方が増えていくことをたのしみにしています。1日一回の「いいね」クリックで〈たのしい教育〉を広げませんか-〈人気ブログ〉いいねクリック

[自由研究] 珈琲の味わい(酸味・苦味・コク)の違いは何の違い? 研究所の珈琲の美味しさは〈たのしさ〉の味

 たのしい教育研究所は〈たのしい教材〉や〈たのしい教育方法〉にあふれています。そして実は〈美味しい珈琲〉もたっぷりです。いつか喫茶店を開きたい夢もあるくらいで、珈琲の味にはこだわりがあります。

 最近使っている珈琲がこれ。
 ごらんください、つやつやでまるで金属の様な感じもするくらいです。


 コクがたっぷりで酸味はほとんど感じません。
 人気も上々でした。

 珈琲の種類で酸味が強い種類もあります。
 〈モカ〉という珈琲はたいてい酸味が強く、わたしは実は苦手としています。

 では、酸味がほとんどない珈琲と酸味たっぷりの珈琲とは、何が違うのでしょう?

 どう思いますか?

 珈琲はどれも基本的に一つの植物の種〈コーヒーの木〉です。

 珈琲の本を読むと、アラビカ種がどうしたロブスタ種がどうしたとかイロイロ書いてあるのでコーヒーの木の〈種:しゅ〉が違うと勘違いする人もいるかもしれません。
 しかし〈コーヒー〉という同じ植物の実です。〈何とか種〉と説明しているのは〈品種〉のことで、おおざっぱにいえば〈同じ種のちょっとした違い〉に過ぎません。

 味わいを大きく左右するのは珈琲にかぎらず、まずは〈鮮度〉、どれだけ新鮮な実を使っているか、です。
 鮮度が同程度なら勝負を決めるのは〈炒り方=焙煎〉です。

 たのしい教育研究所のモットーは〈珈琲は鮮度が命、焙煎が勝負!〉それを〈予想をたてて たのしく実験〉しています。

 研究所に高い機械はありませんから、ホットサンドを焼くくらいのもので焙煎するくらいなのでなかなか難しく、なかなか安定した味を出すことはできません。
 そこで、もっぱら〈いろいろな豆〉を味わって、これがいい、あれがいいと試しています。

 〈浅く炒ったもの〉は酸っぱい味わいが目立ちます。
 深く、長く炒ると酸味はほとんど感じなくなって〈コク〉がたっぷりのコーヒーになります。

 下の左上が炒る前のコーヒーの実です。
  左に、下にいくに従って、どんどん深炒りしたものになります。
 炒りかたの段階に名前がつけられていて、最も深く炒った状態を〈イタリアン・ロースト〉、その一つ手前が〈フレンチ・ロースト〉です。
 

 フレンチもけっこう美味しく味わえます。
 スタバなどの焙煎は〈フレンチ・ロースト〉です。

 はじめに見てもらったコーヒーはイタリアン・ローストです。
 最近の研究所のワークショップで、このイタリアン・ローストを出してみました。

 けっこう人気でした。

 ちなみに〈たのしい教育研究所〉の珈琲は実費で味わってもらっています。
 100円出して〈何杯でも飲み放題〉です。

 一番お金を出しているのは、代表のわたし。
 一番たくさん珈琲を呑むからです。

 美味しい珈琲も〈予想チャレンジ〉、この珈琲代金で次の豆を購入して美味しいものを探す研究中です。

 いつか〈この珈琲豆が一番!〉という様に紹介できるかもしれません。
 おたのしみに。たくさんの人たちの〈学ぶ笑顔と賢さ〉を育てる活動に賛同してくださる方は、このリンクをクリックすることで活動を後押しできます。周りの方たちにもおすすめください!

国語好き/俳句をたのしむ授業

 最近書いた〈国語ぎらい〉の反響がいくつも来ています。〈地面〉は〈じめん・ぢめん〉の両方の表記もありだということに驚いた先生たちもいました。それについては文科省の資料もつけて送りましたが、このサイトでも近々紹介します、おたのしみに。
 その時にも書きましたが、わたしは「国語好き」です。
 活字中毒という程で、現代文だけでなく古典も好きです。
 国語の授業も大好きでした。

 今回は、最近のメールマガジンで紹介した〈俳句をたのしむ〉という授業の一部を紹介します。
 だいぶ以前、たのしい教育の例会に来てくれた大阪の田端和徳さんから教えていただいたものです。

 子どもたちの俳句コンテストの優秀作をとりあげて、みんなで予想を立てながら、その俳句をたのしむというシンプルなプランです。

 みなさんも予想を立ててみませんか。
 まず小学校一年生の とづか ひろこさんの作品

「なのはなが (   )の電気をつけました」

 (  )にはどういう言葉が入ると思いますか?

 家族の皆さんで話し合ってみるのもたのしいですよ。


考え中


考え中


考え中

「なのはなが 月の電気をつけました」 です。

 子どもたちのセンス、いかがでしょうか。

 

もう一つ出してみましょう!
小学校六年生 川原田倫子さんの作品。

「雪とけて  (    )全体が 顔を出す」

 (  )にはどういう言葉が入ると思いますか?


考え中


考え中


考え中

「雪とけて 町全体が 顔を出す」 です。

 こういう授業をすると、俳句を身近に感じる様にもなると思います。興味ある方はおためしください。よろしけれぱ 1日一回の「いいね」クリックで〈たのしい教育〉の応援をよろしくお願いします

研究所の周りの公園もサクラが満開になってきました/花が無くても枯れ木と勘違いすることなかれ

 いよいよ〈たのしい教育研究所〉の近くでもサクラが満開になってきました。嬉しいことです。どうして花の開花が嬉しいのか。
 きっと長い歴史の中でDNAに刻まれているのでしょう。〈その謎解きはまた別の話、いずれ、いずこで〉ということで・・・

 まずご覧ください!

 嬉しくなって写真を撮っていると、目の前数センチのところまでミツバチが飛んで来ました。以前も書きましたが、こちらが自然の一部として馴染んでいれば、ミツバチが攻撃を仕掛けることはまずありません。私の長いアウト・ドア経験でも一度も無しです。こどもの頃、袋に何匹か閉じ込めて悪さをした時にチクリと刺されて反撃されましたが、それはつまり〈自然の一部〉から抜け出て〈悪戯〉したからです。

 ミツバチは蜜を得て、桜は花粉をミツバチに運んでもらって、お互いの生命を謳歌しています。

 

 しばらく離れたところに、花も葉も無い桜の木がありました。
 枯れ木だとあなどってはいけません。

近づいてみると・・・
ほら!

 数日後に花開く蕾たちです。
 こういう瑞々しいつぼみを見るのもとても嬉しいことです。

 〈つぼみを見ると嬉しくなる〉という感情までも〈人間のDNAに刻まれている〉とは言えません。これは、豊かに暮らすことができる様になった今の人間たちが感じることができる様になったものなのだと思います。

 教えてもらわなくては気づかないたのしさなのでしょう。

 雪の深い、寒い地でこのサイトを楽しみに読んで下さっているみなさんもいます。
 春はもうすぐです。
 それぞれの日々をたのしんでいきましょう! 1日一回の「いいね」クリックで応援をよろしく!