たのしさの方向にすすんでいこう!/たのしい教育の発想法

 公式サイトが画像が利用できない状態になっているので、必然的に発想法・哲学の話が主体になっています。お付き合いください。
 今回は以前のたのしい教育メールマガジンに書いて、反響があった内容をおとどけします。私が時々周りの人たちに語っている内容です。

 研究所で学んで教師になっていった先生たちが「あの話がとても役立ちました」と語ってくれたものがいくつかあります。
 その1つが〈たのしさのイメージが決定的〉という話です。初任者研修や10年研修、保育園の先生たちの研修会など、いろいろなところでも必ずというほど語っています。
 けれどこの話をすると、たまに気分を害する人がいます。「厳しさの大切さ」や「まずルールを守ることが基本だ」ということを優先する人にとって、納得いかないことなのでしょう。
 そういう人たちは自分の授業に自信をもっているので、どうこうできるものでもありませんし、100%を求めてはいけませんから、対立してはいけません。

 しかし私たちの中で、その〈厳しさ論・ルール優先論〉を整理しておく必要もありますから、それについて触れてから先にすすめたいと思います。

 ルールを守ることが基本である、という主張は誰も否定できないことだと思います。

 しかしよく考えてみましょう。
 たとえば赤信号は止まらなくてはいけないというルールを守らせるために学校があるのでしょうか?

〈守らせる〉というなら〈罰則や取り締まり〉が必要です、それは基本的に〈警察〉の役割です。そしてその判断が妥当かとうか審議するのは〈裁判所〉の役割です。

 信号のルールを〈納得いく様に教えてあげる〉ところが学校です。学校は取り締まりをするところでも、判決を言い渡すところでもありません。

 もちろん社会のルールを無視するわけではありません。それを大切にしているからこそ、そのルールの重要さを知ってもらうわけです。
 またそれと同時に「私たちにはそのルールを変える力があるのだ」ということを学んでもらうのも基本的な役割です。

 いじめを許すのでも見て見ぬ振りをするわけでもありません。しかし法的な取り締まりは警察の役割なのだということを整理しておかないままだから、まるで警察官と裁判官の両方を自分で担ってしまう先生が出てきてしまうのでしょう。
 いじめはいけないのだ、いじめないでたのしく過ごす方法を学んでもらう、それが学校で、それを担っているのが教師なのです。

 ですからたのしさとかいうよりも〈ルールに従ってもらう・厳しさを感じてもらう〉というのを優先するというのは、人類が見つけた〈教育〉という大切なシステムを誤解している様に感じるのです。

 そもそも〈たのしさ〉と〈ルールを守ること〉とを対立させる必要はないのです。
「ルールを守ることをたのしく学んでもらう」でよいのです。

 たのしさより〈まず厳しさ優先〉という教師について、もう1つ気になることがあります。 
 そのベースには「子ども達に〈教師の怖さ〉を知ってもらう」ということが横たわっているでしょう。
 恐怖でコントロールすることを教育といってよいのでしょうか?
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という日本国憲法の前文は、学校では守らなくてよいことなのでしょうか。

 怪我をするほどの大げんかを止めるために怒鳴ったり怒ったりすることはありますし、教師も人間ですから、ついつい恐怖心を与えてしまうこともあるでしょう。しかしそれは〈教育とは別もの〉であることを知っておく必要があると思うのですけど、どうでしょう。

 

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板倉聖宣〈ひねくれて考える〉という発想法

今回は〈たのしい教育メールマガジン〉の最新号から少しおとどけしましょう。
私がなかなか真似できずにいるものの1つです。

以前「仮説の会」で伊良波さんが準備してくれたプリントからです。もしかすると研究会ニュースにのった一部かもしれません。

「板倉さんはいつもひねくれて考えるんだから」と思っている人がいるんだけど、たしかに〈ひねくれて考える〉というのが、ボクの哲学的な生き方かもしれません。
普通の人ならAと考えるのに、ボクはBと考えるということです。

登校拒否について「すばらしいことだ」とボクはいうんです、相当ひねくれているんです。
ボクはそういう考え方に慣れてる。

みんなが「これはまずいことだ」と考えたとき、「もしかするといいことかもしれないぞ」と考える。
ひねくれて考えることが大事だという考え方を持っているものだから、ごく自然にそういう考え方が出てくるんです。

例えば〈入学試験におっこちた〉としたら、みんな困ったと思う。でも〈おっこちたらしめた〉かもしれないんだよ。

入学試験に合格したといったって「ギリギリ」で受かったら、入学してからビリでふうふういってるかもしれないでしょ。
それなら、おっこちた方がよいかもしれないんです。
落ちたそのときは悲しいかもしれないけれど、その後の学校生活全体と比較したら、いいことかもしれない。
だから「ころんでもしめた」なんていうことがあるんです。
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教員試験の前に観たい「ちはやふる 上の句」

教員採用試験のシーズンがやってきました。
わたしの合格SV(スーパーバイズ)を受けている人たちが何人も受験します。

緊張して不安な気持ちになっている人もいるかもしれません。
テキストを開いてもぜんぜん頭に入ってこないということもあるでしょう。
何か予期しないことが起こって気持ちが沈んでしまっている人がいるかもしれません。

そういう人たちにオススメしたいのがDVD「ちはやふる 上の句」の鑑賞です。
111分の長さ没頭してみてください。
決して無駄な時間にはならないはずです。
小学校の受験なら、作品の中に出てくる百人一首から出題されるかもしれません。
何よりやる気が上向いてくるでしょう。

https://eiga.com/movie/82125/

教育は人生をかける価値が十二分にある世界です。
合格してたのしく賢い子ども達を育てて豊かな人生をあるいてください。

このサイトの読者の皆さんで、遠く離れた県を受験するという方たちからメールをもらうことがあります。
たのしい教育に興味関心がある皆さんが学校現場に入ってくれることは、たのしい教育研究所(RIDE)のテーマです。
ぜひ合格してください、応援しています。
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どう学ぶかがとても大切

〈割り箸〉は割って食べたら捨てるだけ、というのがほとんどです、でもその割り箸からも学ぶことができます。どうして途中でコースアウトして短く割れてしまったり、一方は太く一方は細くなったりするのか?

中学の頃、それが気になった私は、割り箸の割れ方の研究をすすめたことがあります。結果、割る前に「これはOK」「これはコースアウトする」ということを、まあまあの確率で当てることができました。あの頃は、今よりもコースアウトする割り箸が多かったので、今より実験をしやすい状況だったこともあって、たのしく研究をすすめることができました。

割り箸は枝打ちで払われ捨てられるものを利用して作られます。間伐材といって、捨てずに利用しているので、木を無駄にしているわけではなく、環境を有効に活用していることでもあります。

その打ち払われた枝は、そのまま一本まっすぐに伸びていたのではなく、2つに分かれ、3つに分かれと分岐しているものがたくさんあります。
枝が分岐すると、そこに〈くるぶし〉の様に硬い部分ができます。
分岐した枝にかかる重量、その枝の動きを支えるために、強くなっていくのです。
特に変な力のかけ方をしたわけではないのに割り方がコースアウトしてしまうのは、その強くなっているくるぶしの部分影響が大きい、というのが私の研究の結論でした。
見た目ではっきりわかるくるぶし部もありますけど、割れる部分を触ることでわかるものもあります。
割り箸にそのくるぶしの部分が含まれていると、途中まではまっすぐすすんでも、くるぶしの部分で歪んだり、折れたりしてしまうのです。

割り箸の研究の話が長くなりましたが、ここで語りたいのは、割り箸の割れ方のことではありません。

使ったら捨ててしまう割り箸も、手にとって研究することもできるという話です。

私は宇宙工学の泰斗 的川泰宣先生から教育にかける熱意、夢、組織づくりと、たくさんのことを学ぶことができました。
全国理科教育のトップ遠藤純夫先生からも書ききれないほどのものを学ばせていただきました。仮説実験授業の生みの親 板倉聖宣先生からも肌に染み入るほどのものを学ばせていただきました。
しかし例えば的川先生とたくさん顔を合わせていても、天気のあいさつくらいして過ぎ行く人もたくさんいるでしょう。
学ぶという時、学ぶ対象も重要とはいえ、もっと重要なことは、学ぶこちらがわの構えであり姿勢であり目的意識的な態度だと私は考えています。

たのしい教育に触れても「あぁ、そういうものもありますね」「あぁ、◯◯に似ていますね」くらいで過ぎ行く人たちもたくさんいるでしょう。それはそれで、しかたないことです。
そこを立ち止まって「こういう授業を子ども達にしたい」「もっと子ども達がたのしく賢くなる授業をしたい」という人たちが増えていくように、力を注いでいきたいと考えています。
このサイトを読んでくれる人たちが、そのきっかけになってもらえたらこんなに嬉しいことはありません。読者の中には教師でない方もたくさんいます。教育関係の方達に、こういう活動をしている集団が沖縄にあるよという話をしてもらえたら、それが強い応援です。毎日たのしく全力投球、たのしい教育研究所(RIDE)です。一緒にたのしい未来をつくりましょう。みなさんの応援クリックをお待ちしています➡︎この〈いいねライン〉をクリックすることで〈たのしい教育研究所〉への「応援の1票」が入ります☆いいね➡︎もっと深くたのしい教育を味わいたい方は〈有料メルマガ〉をどうぞ!