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ここまで。

オットー・リリエンタール〈鳥の飛翔〉(1)ILLサービスはすばらしい

 たのしい教育研究所の人気教材に〈ひらりん〉があります、鳥やタネの飛翔を体感してもらえる教材で、先月の小学校での授業でもかなりもりあがりました。
 これを予想チャレンジの構造で本格的な〈たのしい教育プラン〉にする構想があります。わたしの研究と編集の時間がとれれば、いずれ講座などで実施したいと考えています。

 たのしい教材を作成する時に確かな基盤になるのは〈その歴史を学ぶ〉ことです。
 人間がある研究を初め、それが世代を超えて繋がっていたとしたら、その研究はとても重要なもので、その根底には必ず〈感動・たのしさ・価値〉が強く横たわっています。
 人間の飛翔の研究には、その人たちが人生かけてとりくむだけの価値、感動、たのしさがとてもたくさん含まれていたに違いないのです。

 そうやって研究が完成すると〈成果〉だけが残されていくので、研究していた時の感動・たのしさが忘れ去られてしまいます。

 たとえば近くにあるリモコンも、それを研究開発していく過程で、どんなに多くのたのしさや感動があったことか・・・
 だって人間が近づいていってスイッチを押すのではなく、離れたところで座ったままでスイッチをON/OFFできるのです。
 見えないけれど何かが飛んでいってポンとスイッチを押す、研究をすすめた本人が最も驚きと感動をもって取り組んだことでしょう。そしてその周りの人たちも大きな感動・たのしさを感じたことでしょう。

 たのしい教育は教育の最先端を走っているのですけど、その歴史を深く学んでいった成果なのです。

 さて人間が〈自分も飛びたい〉という途方もない夢をいだいて、実際にそれを実現させていった時に、目をつけている人物たちが何人かいます。モンゴルフィエ兄弟、オットー・リリエンタール、ライト兄弟です。
 多くの人たちはライト兄弟がはじめて空を飛んだと思っている様ですけど、そうではありません、リリエンタールやモンゴルフィエ兄弟はもっと決定的な研究成果をあげていて、そういう巨人たちの肩の上に乗ってライト兄弟がいるのです。

 さて最近リリエンタールが書いた〈鳥の飛翔〉を手にしました。


 RIDEにはたくさんの本や資料があり、その多くは第一研究所に保管されています。教育プランの研究を進めている第三研究所にはその1/100くらいの書籍しか置いていないのですけど、それでもいっぱいになってきました、4~5年前から極力〈紙媒体〉の本を購入するのは最小限にしています。
 リリエンタールの〈鳥の飛翔〉もできれば図書館から借りようと思っていたのですけど、研究所の周りの図書館にあたってみても置いていません。
 そうですよね、150年くらい前に執筆されたリリエンタールの文章を直接読んでみようという人はほとんどいないでしょう。

 そんな中、本に詳しいA先生が当たってくれて届いたのがその本です、〈琉球大学生の図書館〉にある本を研究所の近くの図書館が借りてくれて、それを貸してもらうという〈図書館間相互貸借:ILL〉です。すばらしいサービスです。
 貸し出し期間もたっぷり二週間あります。

 中を開いて、驚きました。

 つづく
 

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自分がやりたい授業ができないという悩み

 もっと子どもたちがたのしむ授業をしたいのに、市販のプリントやテスト類だけでなく、沖縄の学校独自の◯◯テストや◯◯テスト、県や国のテストなどたくさんある上に、学年が足並みを揃えて授業をすすめていこうということで学年会で確認していくので、自分の個性を出した進め方ができない、そういう悩みを、今まで何度も聞いてきました。

 確かにそれは事実でも、教師には実は自由になる時間はいろいろあります。たとえば〈今月は感想画・感想文のコンクールに向けての取り組みをやりましょう、ということになっても、「よし、じゃあさっそく五味太郎のたのしい絵本の読み語りをやろう」とか「ヨシタケシンスケさんの本を思い切り読んであげられる」とか、たくさんの選択肢がありますし、そこに個性は滲み出てしまうものですし。
 逆に、周りの学級とまったく同じ様にすすめたいと思っても、不可能なのです。

 最新のメルマガに、板倉聖宣(元仮説実験授業研究会代表/元科学史学会会長)の「理想と現実と妥協」という文章を載せたところ、若い先生たちを中心にくつも反響が返ってきました。

 板倉聖宣の語ったことを紹介します。

 自分の理想を心にきめていながら現実と妥協するとそれが心の負担になります。そこで日本人は妥協がきらいです。妥協がきらいということはふつういいことだと考えられているようですが、わたしはあまりいいことではないと思っています。

 日本人は「妥協をするのがいやだから理想主義に走る」かというと、そうではありません。たいていの場合〈妥協をするのがいやだから〉といって理想をすてるんですね。

 自分は理想をもっている、ところが現実にはいろいろな問題があってなかなか理想どおりにはいかない。そんなとき多くの人は一応は「理想どおりにやりたい、理想を現実化したい」と思うわけです。

 ところが理想どおりにやると仲間から冷たく見られたり首がとんだり、いろんなことがおこることが予想される。そこで「となりの先生とうまくやっていくためには理想どおりやれないな」と思ったりするわけです。

 そんな場合、すぐに理想どおりできなかったらできるところからやればよいと思うのです。現実と妥協して、理想のうちのできるところをやればよいのです。

 そうすれば妥協しているという心の負担が残りますが、この世の中は流動的ですから、そのうち現実がかわります。そこで現実がかわったらそこにうまくさっと理想をとり入れて、だんだんと理想が全面的に実現できるようにしていけばよいと思うのです。

 

国土社「はじめての仮説実験授業」より

 

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日本最大のどんぐり/ドングリ

 最近、話し合いがあって沖縄本島北部まで行きました。立ち寄った売店で〈オキナワウラジロガシ〉の実を見つけました。10個ほどが数百円で売られています。買おうかと思ったのですけど、RIDEにはずっと大きくて色ツヤ良いものがいっぱいあるのでやめておきました。

 
 以前、RIDEでどんぐりの教材化をしている時にスタッフが紹介した記事があります、もう6年前なんですね、ここをクリックするとジャンプします。
 記事の中のオキナワウラジロガシの写真は、近くのしっかりしたクリの大きさと比較すると、そのサイズ感がわかると思います。

教材「どんぐりセット」できました(^^

 懐かしくなって、またオキナワウラジロガシのことをいろいろ調べてみると、こういう情報が手に入りました。

 沖縄にはオキナワウラジロガシ林は無いのですけど、鹿児島県にオキナワウラジロガシ林があるというのです、面白い。

 ドングリセットは、たしか50セットくらい作ったのですけど、すぐに無くなって、今はRIDEに2~3セット残っているだけです。

 「ゆずってほしい」という人もいるのですけど、あまりに貴重なので、もう値段がつけられません。
 授業などで利用したい方は、レンタル可能です、お問い合わせください。

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菜の花をたのしむ/島村暮鳥のユーモア

道端に菜の花が咲いていました、気持ちがあたたかくなります。

 

〈菜の花〉いっぱいの詩があります、山村暮鳥(ぼちょう)という詩人・児童文学者が作った作品です。

 はじめてこの詩の全体の形を見て〈絵の様な詩〉だなと感じたことを覚えています。
 声に出して読むと、本当に菜の花畑にいる様な気持ちになります、やってみてください。

 学生の頃この詩の鑑賞で〈副題〉のことや、最後の連の〈やめるはひるのつき〉が〈病めるは昼の月〉だということ、そしてそれが持つ意味などをつらつら語られて、詩の鑑賞というのが、その詩の魅力をごっそり削いでしまうことになるのだなと思いました。
 うっかりすると学校での授業も、そうなるかもしれません。

 そういうことよりも、この詩を構成するそれぞれの行が〈スクッと立つ菜の花〉の様に高さを揃えている美しさや、折り重なる様に咲く菜の花たちの様に〈なの花という言葉〉を重ねている美しさが何千倍も何万倍も大事だと思います。

 何十回も読んで、その中を構成している言葉が気になった時に解説するのも良いし、「そうだね、先生もよくわからないから調べてみようね」でもよいと思います。
 それを二、三回読んだだけで「〈病めるは昼の月〉っていうのは暮鳥の闇の部分を・・・」という話にもっていく、テストに出るからね的な授業は、詩に対する冒涜でさえあると思えてなりません。

 異なる言葉に注目するならまず「それぞれの連に一行ずつ異なるフレーズを織り込みながら、リズムは決して崩れないという妙」を讃えたい。

 中にはこの詩の副題を消し、最後の連を消して、ついでに一連だけにして紹介していることがあって驚きます。勝手にそういうことをするなら〈風景〉というタイトルも変えなくてはいけません、もうその詩ではないのですから。

 私は〈病めるは昼の月〉を暮鳥のネガティプな部分とは受け取っていません。
「これだけの見事な菜の花の周りにいるから、空に見えている昼の月さえ顔色を失ってしまったるんだろうね」という暮鳥のジョークとして読み取っています。
 こういう解釈は誰もしていないと思いますけど、けっこう真実に近いのだろうと思っているんですよ。
 副題の〈銀座モザイク〉も私なりの解釈があります、でもつらつら書くより、そのまま音としてたのしんでおくのもよいものです。優れた詩というのはまるで宝石の様です。

 いつかRIDEでたのしく深く味わう詩の授業をしてみたいものです。

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