仮説実験授業研究会代表 板倉聖宣(日本科学史学会会長)の発想法を毎週メールマガジンで紹介しています。たのしい教育を語る時のより処となるものがたくさんあるからです。
今週は、哲学についてかなり売れた書籍の内容について、板倉聖宣が触れた言葉を紹介しましたが、その明快な話の内容に、文字打ちしている私自身がうなる場面がたくさんありました。少し紹介させていただきます。 最新版のメールマガジンの中からの抜粋です。
※語られている書名はあえて記さないでおきます。
結局、この本では「自分で考えることが哲学だ」と言っているようです。これはとんでもない間違いだと私は思います。
哲学は学問です。
「自分で考えることが哲学だ」というなら、それは〈学問〉ではありません。
学問なんだから、まず学ぶことです。学ばないで独創的にやっていこうとする人がいますね。
そうすると独自なことが言えるかもしれないけども、これまですでに克服済みの考えに自分がとらわれて、すごくムダしちゃう恐れもあるでしょう。「観念論か唯物論か」というのはすごくデリケートです。
そこに物があるから見えるのか、思うからそこに物があるように見えるだけなのか。
あるに決まっているんです。
「思うから、それがあるように見えるだけだ」というのが観念論です。そうすると研究が何も進みません。
科学は〈本当〉ということを追究するんですから、〈本当〉が自分の心の中だったら大変なんですよ。だって〈本当〉が自分の心の中にあるというなら〈何でも本当〉になっちゃうんだから。〈本当〉は向こうにあるんです。だから「実験」して向こうに問いかけてはじめてわかるんです。
唯物論的な考え方をしなければ、科学はにっちもさっちもいきません。
そうやって「そんなことはわかりっこないよ」といわれていた事柄がわかってきちゃったのです。目に見えないものがどんどんわかっちゃった。古代ギリシアの段階から重さの加法性で「原子はこういうものに違いない」とか主張してきたんですから。
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