以前、お世話になった学校から
「今度◯◯周年の冊子を作ることになりました。
喜友名先生に文章を書いていただきたいのですけど、お願いできませんか」
という電話がありました。
お話を聞くと歴代の管理職から1名、歴代の教師から1名の文章が載るということ。
忙しさMaxの中、白羽の矢をうけとめさせていただきました。
締め切り日はちょうど授業で飛び回っている日だったので、飛行機の中で、教師をしていた頃のエピソードをちりばめて、
「こういう感じでよかったのかな」
と思いつ送りました。
すると数日置いて、電話がありました。
「こんな軽いものでは掲載できません」という話かな(・∀・;
と思ったら、ぜひ写真を載せたい、という話。
よかった。
写真ではなく、医師会の副読本のイラストでどうだろうか?
https://tanokyo.com/archives/4824
原稿の文章はこんな感じです。掲載先があるものなので一部のみ抜粋、固有名詞もの抜きます。
・・略・・
これまでの長い教師経験の中で「たのしい教育活動の拡がり」が決定的だという思いを強くし、計画通り、ちょうど50歳の年に公的な職から降りて、新たな教育活動に全力を注いでいます。◯ ◯小学校は、そのわたしのとても大切な学校です。
この記念の冊子には、おそらく、子ども達のこと、学校の歴史のこと、PTAのすばらしさなど、いろいろな方たちが筆を重ねていることと思います。私は◯◯小学校の、たのしい同僚たちと過ごした日々について書かせていただきたいと思います。◯◯小学校のごく普通の教師たちの日常としてお読みいただければ幸いです。
◯◯小学校では、◯◯◯◯・◯◯◯◯・◯◯◯◯・わたしの四人で◯年生を受けつもこととなりました。長年教務を担当してきた私に、久しぶりの担任としての仕事を丁寧に教えてくれた仲間の優しさは格別なものがありました。
四人の取り組みの中で「子ども達主体の活動の中で人間関係も良くなり、学校に来ることがたのしくなるような活動ができないだろうか」という話になり、各学級の自主的代表が集まって「なかよしプロジェクト」がスタートするなど、実験的な試みがいくつもできました。
・・略・・
「なかよししプロジェクト(Nプロ)」は、とてもたのしかった。
もちろん、こういう取り組みに力を注ぐことができた学年担任のメンバーがよかったことはいうまでもありません。
「なかよしプロジェクト」というのは、「生徒指導される・する関係で動き回るより、もっと子どもたちも先生も仲良くなってしまうことでたのしい学校生活を送ろう」ということで、子ども達の自主的な代表(各クラスから数名)とわれわれ教師が集まって、いろいろたのしい企画を実現するプロジェクトです。
世話人はわたし。
たとえば…
◯ 今度、体育の時間を合わせて「まわとび大会」をしよう
◯ 給食の時間、体育館に全員集まって、合同給食をしよう
ルールは
・一人だけで食べずにグループで食べる
・グループには必ず他のクラスの人が入っていること
◯ ミニ学芸会をしよう
◯ 得意なものシリーズで、発表会をしよう
などなど、子ども達の運営で、とても盛り上がる企画が立ち上がりました。
とてもたのしかった。
私の愛機Macの上には、今でもその時に自由参加で集まってきてくれた、各クラスの代表の子ども達からのメッセージが飾られています。
リーダーとして集ってきてくれた子どもたちは、おとなしい優等生型ではなく、元気たっぷりで型にはまることをあまり好まない子もたくさんいました。そしてどの子もとても魅力的な子ども達でした
※名前もあるので低解像度にします
メッセージにはたとえば
・きゆな先生へ
今までぼくと、Nプロを支えてくれてありがとう〜ス。
来年もこのパワーでがんばります
・きゆな先生
Nプロを支えてくれてありがとうございます。
Nプロのリーダーに希望してとてもよかったです
とあります。
「ぼくとNプロを支えてくれてありがとう」という言葉は、今見ても涙が出ます。
一緒に盛り上がっている日々は、実は支えられているという気持ちもあるのですね。
わたしもたくさんの子ども達に支えられていました。
他のクラスの子でしたけど、誤解もあっていろいろ言われている子もいました。その子もが、「ねぇ、一緒にNプロのリーダーやらない?」と声をかけると、喜んでくれて、とてもいい味を出してくれました。
その子は私が辞める時「Nプロで学年のみんながたのしんでくれる取り組みをたくさんできて嬉しかった」と語ってくれていました。
今でも想いは変わらず、「教師」という仕事は、とても素晴らしい経験だったと思っています。
その素晴らしさに全力を注ぎたくて、公的な仕事から離れて、今も夢を追い続けている、たのしい日々です。