来月の講座を前に「古代ギリシャ」について学び直しています。
その中で、板倉聖宣が「原子論の誕生」の中で『哲学』をいきいきと定義した文章を読みました。
この本はすでに数回読んでいるのですけど、何度読んでも新しい発見があります。
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古代ギリシアの学者たちは、いろいろな経験事実をもとにして「万物の根源は何か」を考えました。その話を読んでみると、みな全くの想像で、そんなことをいくら考えても仕方がないようにも思えます。
しかし必ずしもそうとはいえません。
じつは、これ以前の人びとは、ふだん経験しない自然現象が起きると、それをみな「神様のしわざ」と考えて恐れるばかりだったのです。ところが、それらの学者たちは、自然現象を神様のしわざとは考えませんでした。
どんな出来事でも、神様のせいにすると、それ以上の説明をしなくていいことになります。しかし、古代ギリシアには、どんな現象も人間に理解できるものと考えて、その原因をさぐろうとする人びとが現れはじめたのです。「〈自然や社会の現象〉のうち最も根源的な問題」を、やたらに神様のせいにしないで理解しようとする学問」のことを「哲学」といいます。
そこで、上に名をあげたような学者たちのことを「哲学者」といいます。 哲学という学聞は、世界で最初に古代ギリシアで生まれたのです。
じつは「科学」というのは、こういう「哲学」があってはじめて生まれることができたのです。だって、そうでしょう。「何でも裁神様のしわざ」とすることをやめてはじめて、自然現象の本当の姿や原因と結果を調ベることが始まるからです。
「万物の根源は何か」というような問題は、確かめようもありませんが、もう少し具体的な問題なら、確かなことを知ることができるかもしれないのです。いや、哲学が生まれると間もなく、これまで「分かりっこない」と思われていたこども、次つぎと明らかにされるようになりました。
大昔の人びとは、どこの人びとも、「雷や日食、月食などの恐ろしい自然現象はみな、神様が起こすものだ」と考えていました、しかし、そういう現象も「雲と雲がまさつして起きるのではないか」と考えられるようになりました。「日食や月食は、ふいに起きるので、これも神様が起こすものだ」と考えられていましたが、ターレスは「日食も規則的に起きる」ということを明らかにすることに成功しました。
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