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〈平和〉と〈たのしさ〉について考える;慰霊の日から一週過ぎた日に

 平和について考えてみたいと思います。沖縄で戦争が終結した日を歴史に繋いでいく日〈慰霊の日〉がありまました。慰霊の日をきっかけに、今回は「たのしさと平和」について考えてみたいと思います。お付き合いください。
 このサイトを見て下さっている皆さんが広めてくれた結果だと思っているのですけど、サイトの閲覧数がどんどん伸びています。そのデータ解析を見ると〈興味ある記事を中心に読む〉という方より〈アップされた記事なら全部読む〉という方たちの方が圧倒的に上回っています。今回のこの記事も「自由研究」について興味を持っている、という方にも十分に伝わる内容だと思います。丁寧に読んでいただけたら幸いです。


 平和な社会は人類が求めて止まない姿です。あまりにも当たり前すぎるので、平和をめぐるいろいろなアンケートには「あなたは平和な社会が良いですか。そうでない社会がよいですか」という様な趣旨の項目は存在しません。「今は平和な世の中だと思いますか?」とか「平和な社会とはどういう社会だと思いますか?」という様な質問から入ることが普通です⇨こちら

 誰だって平和が好きなのです。地球上のほぼ全ての人達が平和を願っているにもかかわらず、テロや戦闘が今も地球のどこかで起こっています。

 なぜでしょう・・・

 一部の過激な人たちがいるからでしょうか。
 武器を売って儲けている人たちがいるからでしょうか。

 わたしはそうは思いません。そのことから始めると、かなり長くなりそうなので、のちのちに譲るとして、〈たのしい教育研究所〉に届いた、ある方からのご意見をきっかけにして、わたしの考えを書いてみたいと思います。

 「教師生活も残すところ数年となりました。たのしい教育研究所の記事を毎日たのしみに読んでいます」とはじまるその方の〈憂い〉は昨今の国際情勢でした。
 結論をまとめると〈平和な社会をつくるには、日本が強くなっていくことが大切ではないか〉ということでした。その方の結論が〈たのしい教育研究所〉の活動と関連するのか疑問ですが、少なくとも〈平和とたのしい教育〉とのつながりなら、十分すぎるほど深く結びついていると思います。

「戦いにならないために強くなる」という重要な方法論が1つあります。現在の地球にある主だった国々がその方向で進んでいるという感じもあります。

 たのしい教育研究所の代表をつとめる私 喜友名は、ニックネームは「いっきゅう先生」ですけど、琉球空手道は段位七段を授かっています。
 空手を学ぶ者として「空手に先手なし」は基本中の基本ですし、空手を学ぶどの道場でも門人たちに〈平和〉の大切さを説いていることだろうと思います。
 そうやって、空手を何十年も真摯に学んで来た一人として
「〈自らが強くなることによって避けられる戦い〉は確かにある」
と感じています。
 強くなればなる程、それが相手にも伝わり、戦いを仕掛けられることはなくなるからです。そしてその意味で、先程書いた「〈戦いにならない為に自分の国の武力を高めていくこと〉は大切なことなのだ」という見方・考え方も確かにあるのだと思います。

 現在、いろいろな国が攻撃や防衛の力を競っている状態は、視点を変えると、武道家たちの求めている平和の状態である、という見方もできるでしょう。

 では、戦いにならないためには、自分の戦う力を高めていく方法しかないのでしょうか? あるいはそれが最も有効な手立てなのでしょうか?



 そうではないと思います。

「相手と仲良くなる」という方法があるのです。
 私たちは一人の人間として〈仲良くなる・仲良く過ごす〉ことの魅力を十分すぎるほど知っているのではないでしょうか。
 そしてそのことこそが、たのしく豊かな暮らしを創っていく方法だと思うのですが、どうでしょうか?

 逆に「〈強くなることよって維持される平和〉は〈仲良くなることによって得られる平和〉より危うい」ということも、私たちは日常の生活で十分体感しているのではないでしょうか。

 周りの家々の人たちと仲良く過ごす;たとえば「野菜ができたからおすそ分けです」という様に交流している暮らしと、ピストルを携えている人たちが家の角かどに立ち警護する中で得られている平和と、いったいどちらの街で暮らしたいか?
 人間のDNAが求めているところに従えば、ほとんどすべての人が前者を選ぶと思うのですが、どうでしょうか。

「理想と現実とは違うんだ」という言葉で論を打ち切る人もいますが、そんなことで思考停止してはいけません。〈理想は何か〉別な言葉で言えば〈目的地がどこにあるのか〉を見定めて航海しなくては危ういのです。

 はじめの部分に戻りますが、わたしたち人類は間違いなく〈平和な社会〉を求めている生き物です。そして人類は一歩一歩〈平和な社会〉を形作りつつある過程にあるといって間違いないでしょう。
 信じられないかもしれませんが、現代社会は、人類が始まって以来、どんどん平和になって来ているのです暴力の人類史 上

 まだまだ悲劇は起こっている中で、平和で住みよい社会、創造性豊かなたのしい社会にしていくために、私たちの深い部分が求めている〈仲良くなる〉というアプローチを見失ってはいけないと思うのですが、どうでしょうか。

 〈仲良くなる〉ことには〈平和的な意義〉と〈快感〉とが両立しています。そして実はそれらの根元は一つなのでしょう。
 〈たのしい教育〉は間違いなく周りの人たちの笑顔を増やしていく教育です。そこには仲良くなるに足る十分なアプローチが内在しています。
 

 平和のために何ができるか?
 一気に物事を解決することはできません。しかし、たのしい教育が普及することは、間違いなく〈平和な社会〉を作っていくことになります。みなさんの力を合わせていただければ幸いです1日一回の「いいね」クリックで〈たのしい教育〉を広げませんか-〈人気ブログ〉いいねクリック⬅︎ジャンプ先のページでもワンクリックお願いします