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「超能力を否定しないから悲惨なことが起こってしまった」板倉聖宣の講演から

 今週のメールマガジンで紹介した板倉聖宣(仮説実験授業研究会代表)の「超能力を否定しないから悲惨なことが起こってしまった」という話の反響がいくつも届いています。少しだけ抜粋して紹介しましょう。1995年6月のサイエンスフェスタの講演の一コマです。※写真は沖縄にお招きした時のもので、サイエンスフェスタのものではありません

板倉
 私は国立教育研究所をやめてから、やりたいことがどんどん増えて、爆発して崩壊してしまうんじゃないかと心配しています(笑)
「何を先にやって、何をどうやるか」をうまく考えないと、何もできなくなってしまいますからね。
 ひとつやりたいことは「明治以後の庶民にとっての科学の歴史」「庶民についての科学事件の歴史」、あるいは「庶民がどのようなことを〈科学事件〉として興味深く、または怖れをもって、期待をもって接したか」ということです。

 明治の初めには「この大地が丸いこと」や「原子のこと」を初めて知って、すごく感動した人がたくさんいます。そのうち「コックりさん」などの超能力がが流行して、またびっくりしたりといろんなことが起こっています。そのうちに「紅茶キノコ」なんてのがあったり、公害反対があったり、いろんなショックがあって、最後は「オウム真理教事件」で終わる。

 そういうものをつかんでいけば、私たちは「庶民にとっての科学」というものを見直すことができると思います。「科学思想史」というのは、もちろん何冊も書かれましたが、庶民にとってのそういうものをつかんでいきたいのです。

 たとえば、オウム真理教に集まっていた科学者たち;あの人たちが科学者といえるのかどうかわかりませんが、科学を学んでそれなりに優等生になった人たちが、どこでどう踏みはずしたのでしょうか。

 マスコミにも大きな責任があるんです。
 超能力的な番組をわんさと流し、超能力的な現象が真実であるかのごとく言ってきたのですからね。

 マスコミは超能力を大いにうたい上げて視聴率を高めたものだから「超能力が原因だ」とは言いたくない。
 それでも「超能力は自粛する」というので放映しなかった番組もいくつかあります。再放送をやめるとかね。さすがに気にしてはいるんです。しかし「超能力的な考え方がおかししいとはなかなか言いたくないし、認めたくない。

 

 多くの人は「超能力は怖い」という感じだけど「超能力が間違っているかどうか」については分かっていないのです。

 オーム事件の時、ある通信社の記者が僕に話を聞きにきました。
 その中で「今は科学者がみんな専門分化しているから、そして科学に対する見通しを失ってるから、ああいう人たちが出るんじゃないでしょうか?」とか「大学の研究費が少ないのがああいう事件になるんじゃないでしょうか?」とか言うのでビックリしてしまいました(笑)。
 そして
「いや、そうではないのです。超能力がいけないのです。

 ですからマスコミも、宗教評論家も全部責任があるのです。

 科学というものをまっとうにやらなきゃいけないのです」

と、相手がほとんど考えてもいなかったことだけを言いました。

 

「オウム」はゆくゆくは解体するでしょうけど、超能力というものをおかしいと考えずにいくというが困るのです。

 その記者は「超能力はソ連で研究して学問的な成果が出たそうですよね」ということを言うんです。
 もちろん「それは嘘ですよ」と言っておきましたが、「オウム」を追って批判しようという記者がそんなことを言うのですから…

 「超能力を全面的に否定しない」様な、そういう考え方が〈寛容のある幅の広い考えだ〉というのが問題なんです。

 

 たいていの科学者は幅の広い科学者になりたい。冷たい科学者、うるさい科学者になりたくないんですね。それで、超能力を真剣になって否定する人がほとんどいない。

「死んだらどうなるか」ということについても、一方では「そんなことは分かりきってるじゃないか」と言いながらも、一方では「やっぱり、もしかすると来世があるかも知れないなあ」という話になってしまうのです。

「超能力」についてのいろいろな調査によると、非常に多くの人たちが「超能力の実在」を信じている。「神秘的なものの実在」を信じているんですね。それで「死んだらどうなるか」ということについて、はっきりした科学的な世界観をもてなくなっています。

 科学は「死んだら原子になっちゃうよ」と言っているのに、それを排除して「そう言ってはいけません。それは偏狭です」ということになる。科学的に考えるのは偏狭な人間で「来世がどうだ」と言うと偏狭ではない(笑)。これはすごくおかしいですね。

 科学に迫力がなくなったのです。
 科学が円満になって、全面的に宗教に譲ってしまった。
 しかし、科学というものはもともと円満ではないものです。
 日本のインテリたちのほとんどは円満な人になりたくて、宗教もおかしな偏見も認めてしまった。そして、せいぜい断片的な知識を教えるくらいになってしまった。
「エネルギーの式はこう書きますよ」とかなんとか断片的なことを教えて「原子というものには魂はないんだよ。原子が結合したら勝手に動き出すのであって、原子が結合してあとから魂を入れて動かすんじゃないよ」ということをちゃんと教えてあげていなかったのです。

 たとえば〈理科教育〉という中でも、「先生は幽霊を見たことがある」と語るように怪しげなことを語ったりする教師がいるようです。そういうことで子ども達を脅かすことのない世の中にしていく、それも本格的な科学者つまり原子論者の役割の一つでしょう。1日1度のこの「いいね」で一緒に〈たのしい教育〉を広めましょう➡︎いいね=人気ブログ!=ジャンプ先でもサイトをワンクリックするともっと良し!